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午後もお掃除

 ふと目が覚めて、しばらくボーっとする。周囲を見回して、ここはどこだっけ……って考えて、慌てて飛び起きた。

「ヤバっ! 仕事!」
「あら、起きた?」
「疲れてたのかな? ぐっすり寝てたわよ~」

 声をかけられてそっちに視線を向けると、床に紙を置いて話していた田中さんと大山さんが目に入った。ずり落ちたものを見ると茶色の毛布だ。誰がかけてくれたのか聞くと大山さんだった。

「も、申し訳ありません! どれくらい寝てました!?」
「一時間くらいかしら。まだ三時前だから大丈夫よ」
「うう……本当に申し訳ありません……」
「気にしなくて大丈夫だから。コーヒーを飲む?」
「あ、はい。いただいてもいいですか?」
「いいわよ」

 休憩時間を過ぎていなかったことホッと息をつく。田中さんがカップにコーヒーを淹れてくれたのでそれを受け取った。

「お砂糖とミルクはいる?」
「ミルクだけいただけますか?」
「はい、どうぞ」

 コーヒーポーションを渡されてそれを入れ、スプーンでかき混ぜてから一口啜る。相変わらず外からヘリコプターの音がしてるけど、スマホの時間を見たらあと三十分で休憩が終わるところだったので、見るのを諦めた。
 明日もまた寝てしまった時のためにスマホにアラームをセットしておこうと二時半にセットし、スマホをバイブにしてロッカーの鞄にしまい、鍵をかける。

「あの、すみません。その紙は何か聞いても大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。これは来月の献立予定なの。さっきまで三佐たちと話し合いをしていて、その確認をしてたのよ」
「予算が限られているから、いかに安くボリュームのある、バランスのとれた献立を考えるのは大変だけどね」
「そうなんですか~」

 お昼を見た限りだけど、どっちの食堂も満席に近かったし、あとから来た人もいたからそこそこの人数がいるんだろう。その人数を見越して献立を考えるのは大変そうだ。
 特に最近はじわじわと物価が上がってきてるからその分の予算も一応上乗せされているけど、それでも食材を駄目にしないよう、予算を超えないよう考えるのは大変なんだそうだ。

「一人でも考えるのは大変なのに、たくさんの人の献立を考えるのって大変そうです……」
「まあね。特にあまりがちな食材をどうさばくかとか、さ」
「どこもそうみたいだけど、どうしても牛乳と卵があまりやすいのよね」
「紫音ちゃんは何かレシピを知らない?」

 そう聞かれて考える。伯母に教わった卵料理はいくつかあるけど……。

「料理はあまり得意じゃないんですけど、牛乳と卵を使うことに限定するならプリンとアイス、パンケーキやフレンチトースト、あとはカルボナーラくらいしか思いつきません」
「プリンは定番だけど、アイス……。他には? どんなのでもいいわよ?」
「え? えっと、ほうれん草とシメジとベーコンをバター炒めした上に生卵を乗せてレンチンとか、卵サラダとか……」
「ふむ……。レンチンは無理だけど、生卵の代わりに半熟ゆで卵や温泉卵、スクランブルエッグをのせるのはアリね」
「卵サラダも美味しそう」

 私の乏しい料理の話やその調味料、材料などを聞いて田中さんと大山さんがあれこれ話したり、大山さんは計算機を出してなにやら計算してる。何を計算しているのか聞いたら、カロリーや栄養素などの計算をしているんだとか。
 私にはさっぱりわからなかったけど、栄養バランスを考えるとそういった計算は必要だそうだ。それが管理栄養士の仕事らしい。
 そんな話をしてコーヒーを飲んでいる間に休憩が終わる十分前になったので、カップをどこで洗えばいいか聞くと「そのまま私にちょうだい」と田中さんに言われたのでお言葉に甘え、毛布を畳む。

「毛布はどこにしまえばいいですか?」
「ここに入れてね。使うなら勝手に出していいから。ただし、この部屋以外は持ち出し厳禁よ」
「はい、わかりました」

 ロッカーの横にふすまみたいな扉があって、大山さんがそこを開けると毛布が何枚か見えた。綺麗に畳んでおいてあったので自分で畳んだものを上に乗せ、気合を入れてさて仕事! と思ったら、田中さんに「ちょっと待って」と言われて外に出させてもらえなかった。
 どうしたのかなと思っていたら、外から女性二人の怒鳴り声みたなのが聞こえてきて、田中さんも大山さんも呆れたような顔をして溜息をついている。

『二人いるのに、どうして二時間で終わらないのか聞いているだけだろう?』
『ですから、こんなに広いから時間がかかるって言ってるじゃないですか!』
『今日から来た人は、初めてなのに一人で二部屋を掃除して、三時間かからなかった。それに君たちよりも綺麗に掃除していた。なのに一部屋を二人で掃除して、二時間で終わらないってどういうことだ? しかも君たちはずっとお喋りをしていて、碌に手を動かしていなかっただろう? それで広いから掃除が間に合いませんって言われて、僕も他の人間も納得すると思うのか?』
『……っ』

 穏やかそうな金本さんが、怒りを滲ませた声で指摘している。しかも、自衛官独特の話し方というか、私に対するのとは違う上官らしい話し方になっていて、びっくりする。

「毎日毎回三佐に怒鳴られてるのに、ほんとよくやるわよねー。しかも三佐ってば上官口調になってるし」
「あれは相当怒ってるよね、三佐。まあ、これで派遣を切るいい口実になるんじゃない?」
「だよねー。彼女たちが掃除したあとって、本当に掃除したの? ってくらい汚いし」
「ほんとよね。各隊長とか一佐たちに言われるのって、私たち糧食班の人間なんだから困るよ」
「ぶっちゃけ、理不尽よね」

 そんなことを話している田中さんや大山さんの声もかなり冷やかだ。しかも毎回怒られて直さないって、あり得ないんだけど……。

『もういいい、言い訳は結構だ。明日からこなくていいし、君たちの勤務態度は会社に連絡をしておく』
『そんな!』
『制服はクリーニングに出して、後日返却しに来てくれ。ああ、身分証は今すぐ僕に返却したまえ』

 そんな言葉が聞こえてきて、女性二人がしばらく何かを言っていたみたいだけど結局身分証を返したみたいで、悪態をついていた。うわあ……態度悪っ!
 それが遠ざかったところで扉がノックされ、田中さんが返事をすると金本さんが顔を出した。

「田中二曹、ありがとう。紫音さんを会わせなくて正解だったよ」
「ですね。ところであの二人はクビですか?」
「二人どころか、二度とあの派遣会社から人は頼まないから安心して」
「「おー、助かります!」」

 ニコニコ顔の三人に唖然としつつ、もしかして週五日になったのは怒鳴りあいをしていた人のせいじゃないかとか、面接の時に派遣を切るのは一年後と言ってたけど、実際は私の能力を見てもっと早く切るつもりだったんじゃなかろうか……。なんて考えたけどそんなことを聞くわけにもいかず、三人の様子を黙って聞いていた。
 そして金本さんから「そろそろ掃除を始めてくれるかな」との、先ほどとは全く違う、私が知っている穏やかな声でそう言われて幹部食堂の掃除を始めた。夕食は五時半からなので、五時までに終わらせてほしいと言われた。
 午前中の失敗をいかし、手順を決めて掃除をしたら、三時半前に終わってしまった。

「あの、金本さん、お掃除が終わったんですけど、次は何をやりますか?」
「え、もう終わったの? 本当に早いなあ……。じゃあ悪いんだけど、一般の食堂のテーブルだけ拭いて、朝みたいに調味料のチェックをしてくれるかな?」
「はい。幹部食堂も見たほうがいいですか?」
「幹部のほうは大丈夫だよ」
「わかりました」

 言われた通りにテーブルを拭き、調味料をチェックする。だけど、調味料が乗っている小さなトレーの汚れが気になったのがあったので、それも一緒に配膳カウンターに持って行って聞いてみる。

「あの、調味料が乗っているトレーが汚れているのがあるんですけど、どうしたらいいですか?」
「あー、ごめん。そこまで見てくれたんだ。ここに置いてくれる? 乙幡一尉、トレーを洗ってテーブルに出して」
「了解。紫音ちゃん、それは俺にちょうだい」
「はい」

 汚れたトレーを乙幡さんに渡し、またテーブル拭きへと戻る。テーブルを拭きながら全てのトレーと調味料をチェックし、少なかったり汚れていたりしたのはカウンターに持って行くと、乙幡さんがそれを綺麗にしたり調味料を足したりしてからテーブルの上に戻していた。
 全ての掃除が終わったのは五時ちょっと前で、危なかったと冷や汗をかいた。

「終わりました」
「お疲れ様。じゃあ、中に入って洗浄機の前でスタンバイしてくれるかな」
「はい」

 金本さんに声をかけるとそう言われたので、中に入ってエプロンなどを身につけてシンクのところに行くと、お昼と同じようにお湯を張る。他にも使うところのシンクのお湯を張ったほうがいいかと思って用意をしていると、乙幡さんがエプロンを身につけながらお昼と同じ場所に来た。

「あれ? お湯を張ってくれたんだ。ありがとう」
「いえ。他にやることはありますか?」
「特にないからそのままでいいよ」

 乙幡さんにそう言われたけど、手持ち無沙汰でなんか落ち着かない。どうしていいかわからずうろうろしてたら、乙幡さんに笑われてしまった。

「くくっ、そんなにそわそわしなくたって……」
「え、いや、その、手持ち無沙汰でどうしていいかわかりませんし……」
「どーんと構えていればいいって」
「そんなこと言われても……」

 慣れてる乙幡さんはそんなこと言って笑ってるけど、今日来たばかりの私だとそうはいかない。そんなことやちょっとした雑談をしているうちに五時半になり、夕飯の時間が始まった。

 のはいいんだけど……。

 お昼よりも少ないとはいえ、やっぱり戦場だったのは言うまでもない。

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