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あの世に旅立つ

 由良里と顔を合わせる機会は得られなかった。連絡を取ろうにも、電話番号、住所を知らなかったため、どうすることもできない。

 一カ月も疎遠になったために、心の中にはブラックホールさながらの穴が開いてしまった。一刻も早く、彼女と一緒の時間を過ごしたい。

 スーパーで買い物をした直後だった。二つの鼓膜を太い声が通過することとなった。

「こんにちは」

 後ろを振り向くと、五〇くらいのおばさんが立っていた。悲しい出来事に見舞われたのか、頬はやつれていた。

 忠彦はあからさまに面倒だという応対をする。一回りも年上の女性に用はない。由良里のような清楚な女性と話をしたい。 

「どちらさまですか」

 おばさんは律儀に頭を下げる。恩を売るようなことをした記憶はないだけに、何をしているのかなと思った。

「川田由良里の母親で川田麻友といいます。娘のことでお世話になりました」

 由良里の親族と知ったことで、身体はぴたりと止まることとなった。先ほどまでは毛虫さながらに扱おうとしていたのに、自然と視線を合わせてしまっていた。 

 由良里はどうなっているのかを質問する前に、彼女の母親から答えを伝えられた。

「由良里は二週間前に息を引き取りました。半年前に難病を患い、余命は半年から一年と宣告されていました」

 忠彦の胸の内に激震が走った。体調の悪さには気づいていたものの、末期であるとは思ってもみなかった。

 平均寿命八〇年といわれている中、二〇前後で生涯を終える。彼女は自分の死を告げらえたとき、どのような思いで受け止めたのだろうか。

 由良里は観覧車でのデートを終えたあと、もうダメなのを察していたのか。それゆえ、もう会うことはないという発言をした。忠彦は詳細を知らないため、頓珍漢なやり取りをして、機嫌を損ねてしまうこととなった。

 麻友は娘の容態の悪さについて説明を加えた。忠彦も薄々は感じていたものの、予想を遥かに上回っていた。

「医師からは外出を止められていたけど、あの子は聞きませんでした。室内で過ごす生活にうんざりしていたのかもしれません」

 外出することも許可されないほど悪かったのか。由良里は自らの生命を犠牲にして、外をうろついていた。彼女にとっては命がけの冒険だったといえる。

「たまたま外出していたときに、男性から声をかけられたと嬉しそうにしていました。病気で絶望にさいなまれていたときに、希望の光が灯ったんです」

 末期の病気にかかっていたことで、周囲から必要とされなくなっていた。それゆえ、ナンパしてきた男性に心を開いたと思われる。

 死を間近に控えていたことも大きい。一年も生きられないのであれば、襲われたとしても未練はあまり残らない。

 健康体のときに声をかけられればよかった。そのようなことを考えていると、母親は過去の話を持ち出した。

「二年前と反応は全然違いました。あの子は二年前に同じことがあったとき、問答無用で警察に通報していました。健康体だったら、受け入れなかったと思います」

 健康な状態ならダメだったのか。由良里と結ばれる運命にはなかったのをしみじみと感じた。神様の悪戯はいつになっても厳しい。

「健康であったなら、すぐさま破局を選択していたでしょう。仕事のために、50パーセントもドタキャンする男は確実に見切ります。交際しているからには、真剣であることを求められます」

 こちらの諸事情など一パーセントも考慮されない。恋愛というのは厳しいなと改めて感じた。

「由良里は一週間に六日は自宅で休んで、お出かけのための体力を蓄えていました。北条さんのために、残りの人生を捧げるつもりでいたので、不在のときのショックは計り知れませんでした」

 おくびにも出さなかったものの、胸の内ではショックを受けていた。一週間に一度の外出に残りの人生を託していた女性との約束を、当然のように破っていた。自身の犯した罪はあまりにも重い。

「私は心配だったので、後ろからついていくことにしました。万が一のことがあった場合、すぐに病院に戻さなくてはなりません。娘のたった一つの楽しみを奪いたくなかったけど、母親としてはほっとけませんでした」

 娘を監視するのは躊躇われても、事情が事情だけにやむを得ない部分もある。忠彦は父親の立場なら、100パーセント同じ行動をとったと思う。死ぬとわかっているからこそ、自分の見ているところで息を引き取ってほしい。

「由良里は一回目で気づいていました。私はついてこないように声をかけられるも、あの子のことを気にするあまり、やめられませんでした」

 由良里を出産したものとしての本能かな。母性はわからないので、細部までは理解するのは不可能だった。

「次回でラストにするので、最後くらいは自由にさせてほしいといいました。私は三日三晩悩んで、本人の意思を尊重することにしました」

 母親の苦悩はどれほどだったのかな。男性は出産することはないため、女性の感情はわからない。

 麻友がついてきていたら、彼女はもう少し生きられたのかな。由良里、麻友、忠彦の三人は最悪の結末を作り上げてしまった。

「由良里はその日のうちに、病院に運ばれたと聞き、すぐさまかけつけることにしました。三時間も外出していたことで、リミッターを吹っ切ったといえるでしょう」

 忠彦は彼女を助けるつもりだったのに、実際はとどめを刺してしまっていた。愛情を持っている女性を、一番苦しめる結果となった。

 由良里の二周目も回りたいというリクエストを断っていれば、もう少し生きられたのかな。忠彦は最も愛していた女性の命を奪ってしまった。

 麻友は病室での出来事を話した。

「懸命に治療するも、二週間後に息を引き取りました。意識不明の状態のまま、あの世に旅立つこととなりました」

 麻友は最後のやり取りをできないまま、娘の最期を看取ることになった。忠彦はそのことを申し訳なく思った。

 娘を失ったばかりの母親は、手提げカバンから複数の手紙を取り出した。

「由良里の書いた手紙です。読んでいただけますか」

 闘病生活をしていたとは思えないほど、丁寧な文字で書かれている。紙は湿気を含んでいることから、相当な時間が経過したと思われる。

「病気のことを隠してごめんなさい。何度も伝えようとしたものの、難病持ちはいらないといわれるのを恐れるあまりできませんでした」

 病気であることを知っていたら、一秒一秒をもっと大切にしようとしたと思う。情報を得ていなかったため、普通と同じように扱ってしまった。

 日本では同調意識の強さから、病気を差別する力は強く働く。それゆえ、隠し通そうとする人は後を絶たない。

 麻友から次の文章を渡された。彼女はことあるごとに、自分の思いを綴っていたようだ。

「告白されたときはとっても嬉しかったです。本心は交際したいと思っていたけど、受けるわけにはいきませんでした。近い未来に悲しませるのを知っていましたし、大好きな人に死ぬところを見られたくありませんでした。アルバイトを優先する男性に対する、不信感も拭えませんでした」

 病気持ちはつきあってはいけない法律はないので、踏み込んでほしかった。由良里の最後を見るのは辛いけど、告白した身としては交際したかった。

 最後の部分は強烈に突き刺さった。裕福な家庭に生まれていたなら、彼女との交際に発展したかもしれない。

 麻友から三通目の手紙を渡された。一通目、二通目とは異なり、文字は少し乱れていた。彼女の体調の悪化を感じ取れる。

「私は手をつないでくれるのを、楽しみにしていました。交際はしていないものの、好きな異性の温もりを感じ取りたいと思っていました」

 由良里の葛藤が伝わってくるかのようだった。病気を患っていなければ、どんなに幸せな生活を送ったのかを思い浮かべたのかは想像に難くない。

 由良里はわかっていないだろうけど、普通の状態だったら声をかけなかったと思われる。親しくなりたいというオーラを発していたからこそ、リスクを冒してナンパした。犯罪との天秤にかけられるだけの女性だったのは確かだ。

 四通目の手紙を渡される前に、麻友はラストであることを伝えた。

 手紙の筆跡は体調の異変を示すかのように乱れていた。一文字一文字をかみ砕くのに、時間を要することとなった。

「最終日は好きという思いを動作で伝えようと思います。最初で最後の手繋ぎは感動の渦に包まれていることでしょう」

 由良里なりにプランを立てて実行に移していたのか。忠彦は楽しむことに重点を置き、詳細まで踏み込んだことはなかった。

「観覧車では目を瞑っている状態で、どんなことをされるのでしょうか。猛獣のように暴れたら、それはそれで面白いかなと思います。マイナスの記憶は死ぬことで消えてなくなります」

 人間は死ぬことですべてを忘れられる。生きているものは片隅に残り続ける。

 忠彦は手紙の後半部分に目を通した。

「わずかな付き合いだったけど、刺激的な日々を送ることができました。声をかけてくださり、
本当にありがとうございました」

 忠彦の瞳から、ポツポツと涙がこぼれていた。由良里、お別れの挨拶くらいいわせてくれよ。一人で勝手に旅立つなんて卑怯じゃないか。

 麻友は彼女の最後について話をした。

「由良里は家族に見守られながら、静かに息を引き取りました。表情からは『一緒にいてくれてありがとう』といわんばかりの充実感でみなぎっていました」

 道端に生えている草は一瞬だけ躍動する。あの世に旅立ったはずの由良里から、「ありがとう」の言葉を贈られたかのように感じた。

 麻友は鞄の中から小包を取り出した。

「由良里からプレゼントを渡すようにいわれています。受け取っていただけますか」

 プレゼントの中にも手紙は封入されていた。忠彦は涙の流れている状態で、開封することにした。

「プレゼントを渡しているときには、私はもうこの世にはいないでしょう」

 生きているときに、直接渡せばよかったのに。どうしてこのような方法を取ったのだろうか。

「忠彦さんは別の異性と結婚すると思うので、形の残らないものにします。私なりに悩みに悩んで、手作りのチョコレートを渡すことに決めました。愛情を伝えると同時に、いつかは溶けてな
くなることを示しています」

「いつか溶けてなくなる」の部分に悲しさを感じた。恋愛感情は永久的なものではないかもしれないけど、チョコレートみたいに簡単に消えたりはしない。人間はそんな冷淡な生き物ではない。

 由良里とは天国に旅立ってしまったけれど、君と出会ったことは一生忘れない。僕の胸の中ではずっと生き続けているよ。

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