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 私はいっきに全身に汗をかいた。
 たぶんユエホワもそうだ。
 どうする!?
 ツィックル箒はかならずすばやくよけてくれるだろうけれど、でも万一、よけきれなかったら?
 なにしろ、まわり中アポピス類だらけだ。
 同時にあっちこっちから投げられたら――
 あれ?
 人間に化けたアポピス類の元子どもたちは、投げてこようとしなかった。
 全員、手に持つキャビッチをじっと見ている。
 左右の手を、かわりばんこに。
 なにをしているんだろう?
「なにをしている」私が思うのとおなじことを、マントのアポピス類がどなった。
「なげるって、なに?」元子どもの一人が言った。
「どうやればいいの」
「うーん」みんなで首をかしげる。
「ぜったい教えるなよ」ユエホワが低い声で私にいう。
「うん」もちろんそんなことするわけがない。
「おれたち、くちからぽーんってだしてたからさー」元子どもの一人が言う。「くちにいれたらいいんじゃないのー」
「おー」
「さすがー」
「あたまいいー」
 そして元子どもたち全員が、キャビッチを口に運びはじめた。
 けれど成長したキャビッチは、人間化した元子どもたちの口には大きすぎてはいらず、みんなかりかり、しゃくしゃく、と、キャビッチをかじりはじめるしかなかった。
「あれー」
「くちにはいらなーい」
「でもおいしいねー」
「うーん」
「おいしー」
 そして全員、へへへー、とうれしそうに笑った。
「よし、お前らそれ食ってろ」ユエホワがひょいっとアポピス類たちの頭上を飛び越していったので、私も箒でついていった。
「この、役立たずどもが」マントのアポピス類はかんかんに怒っている。
「だからー」ユエホワは言いながら、まだ空中にただよったまま残っている二メートルの巨大化キャビッチを両手で押し投げた。「鬼魔に頭使えってのが無理だっての」
 自分も鬼魔のくせに、と思ったけど今は言わずにおいて、私も箒の柄の先でキャビッチにツィッカマハドゥル(たぶん)をかけ投げた。
 けれどどちらも、ぎりぎりのところでよけられてしまったのだ。
 やっぱり、大きすぎるのはあまりよくないのかも知れない。
 使い勝手が悪いもんね。
 それよりは、手ごろな大きさで数多く分散させたほうがいいのかも。
 エアリイで、あまり小さくならないよう、できるだけ元の大きさのままキャビッチを分散させられれば。
 そう心の中で考えながら、私は「エアリイ、セプト、ザウル」とていねいに唱えた。
 ぼん、と音がして、こんどは元の大きさの三分の二ぐらいの大きさのものが十なん個かに分散した。
「うーん」私は思わず首をひねった。「やっぱり小さくなるなあ」
「じゅうぶんだろ」ユエホワがうなずきながら、私の心の中を読んだかのようなことを言う。「シルキワス行け」
 私はいちばん近くに浮かんでいる分散キャビッチをつかみ「シルキワス」と唱え投げた。
 キャビッチは、ふっと消えた。
 けれどその瞬間、私はなにか違和感をおぼえた。
 なんというのだろう――そう、自分が予測したのより、キャビッチの消えるタイミングが早かったような、気がした。
 その次の瞬間、私は背中のどまんなかに、ものすごい衝撃を感じた。
「うわあっ」思わず悲鳴をあげた。
 それは、私が投げたキャビッチだった。
「光使いか」ユエホワがさけぶ。
 シルキワスがなにか操作されて、相手のではなく私の背後から出現し、私を直撃したのだ。
 それにしても、痛い!
 息がすいこめない。
 私は顔中をぎゅうっとしかめて前かがみになった。
「ううう」のどの奥から、うめき声が勝手に出る。
 苦しい!
「だいじょうぶか」すぐ近くでユエホワの声がした。
 顔をしかめたまま見上げると、ムートゥー類は大きな金色の翼を広げて、私を囲んでいた。
 私は声も出せず、首をふるのが精いっぱいだった。
「キャビッチ食え」ユエホワは敵の方を振り向きながら言った。「しばらくこうしててやるから」
「うう」私は言われるままキャビッチをとりだし、葉っぱをちぎって大急ぎで口に運んだ。
 たちまち息が楽になり、私は大きく深呼吸した。
「俺らの気持ちが少しはわかっただろ」ユエホワは半べその私をちらりと見下ろして言った。「いっつもそれ、喰らってんだ」
「……」私は何も答えられず、もそもそとキャビッチの葉を食べつづけた。
 ユエホワの翼の中はあたたかく、キャビッチは甘い味で、なんだか今敵とたたかっている最中なのだというのがうそのようだった。
 私はふんわりと、ここちよい空間の中にいた。
「光使い……じゃないみたいだな」ユエホワがぶつぶつと言う。「盾か……あいつらの盾からなんか光が出てくるようだった……あれでシルキワスを阻害したのか」
「ユエホワ、きさまなぜ人間を守る?」アポピス類が叫ぶ。「人間の仲間になったのか」
「鬼魔を裏切るつもりか」別のアポピス類も叫ぶ。
「はあ?」ユエホワは私を囲んだまま振り向き、あきれたような声で答えた。「裏切る? 鬼魔を? お前ら、どのつら下げてそんなこと言ってんの?」
 そのとき、どん、とにぶい音がして、ユエホワの体が強く揺れた。
「あつうっ……くっ……」
 見上げると、かなり痛そうに歯をくいしばり顔をしかめている。
「だいじょうぶ?」私はキャビッチを食べながらきいた。
「いや死にそう」ユエホワはしぼりだすような声で即答した。
「キャビッチ食べる?」私はポケットの中からキャビッチを取り出しながらきいた。
「うん」ユエホワはうなずいてから「あーん」と口をあけた。
「は?」私は眉をひそめた。「自分で食べなよ」
「いや、あのね」ユエホワは目をほそめて言い返してきた。「今俺は、両手をつかってあなたを守ってるからね。なに、食べさせてもらうこともできないの」
「えー」私は眉をひそめたまま、取り出したキャビッチを持ち上げた。
「そんなでかいの口に入るかよ。そっちでいい」ユエホワは、それまで私がちぎっては食べていた方のキャビッチをあごで示した。
「えーっ、これあたしの食べかけじゃん」私はケンオカンをこめて拒否した。
「じかにかじってたわけじゃないから大丈夫だよ。ほら早く」緑髪は催促してもういちど口をあけた。
 私が眉をしかめたまま、残りのキャビッチをその口もとにもっていったとき、ユエホワは「リューイとかかけんなよ」と口早に注意した。
 私はだまってユエホワにキャビッチを食べさせ、そのあと「リューイ」わざと誦呪してやった。
「やめろよ」ユエホワは横を向いてもごもごと食べながら文句をたれた。
 私は新しく出した方のキャビッチの葉をちぎりかけたが、手を止めた。それは、ヨンベが渡してくれたキャビッチだったのだ。
「うーっ、やっぱすげえなキャビッチ!」ユエホワは目をぎゅっとつむって感動の声をあげた。「すーっと痛みが消えた」
「うん」私はうなずいた。「あたしももう大丈夫」
「よし」ユエホワは翼をおさめて、すばやく私の持つヨンベのキャビッチに薬をかけ、くるりと敵たちの方に振り向いた。「これでもう一回やってみろ」
「わかった」うなずきながら、私はなんだかわくわくしていた。
 ヨンベのキャビッチに、ヨンベのおじさんの薬をかけて投げる。
 どんなふうになるんだろう?
 ただひとつ惜しいのは、これを二人の目の前で投げてあげられないということだ。
 こんなに離れた場所――なにしろ鬼魔界だ――で、二人のまったく知らないところでこれを投げるのは、すこしだけ申しわけない気がする。
 でも。
 ヨンベから渡されたキャビッチを、てのひらのまんなかに乗せる。
「シルキワス」私は呪文を唱えた――心を込めて、キャビッチに呼びかけた。「トールディク、ヒューラゥ、ヴェルモス」キャビッチが、それを持つ手が、そして体がどんどんあつくなる。
 キャビッチからの答えを受けた私の体が、聖なる光を放ちはじめているのがわかる。そしてキャビッチも、朝一番に輝くお日様のように、黄金色に輝きだした。
「ヴィツ、クァンデロムス」叫ぶ。

 私の手の上のキャビッチがその瞬間、音もなく消えた。

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