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由良里との出会い

 可憐な女性と顔を合わせる。普段なら美人であっても素通りするのに、今回ばかりは目に焼き付いてしまった。

 忠彦は十秒ほど悩んだのち、失礼を承知で声をかけてみることにした。路上で女性をナンパするのは、人生で初めてではなかろうか。

「あの、すみません」

 女性は一度目で反応することはなかった。路上で声をかけられるのは、一ミリたりとも
頭になかったと思われる。

 声をかけ続けたとしても、振り向いてもらえるかはわからない。大声になると周囲に迷惑をかける。女性の肩に軽く触れることにした。

 女性は肩を触れられるのを想定していなかったのか、身体を大きく揺らしていた。痴漢騒ぎにならないでほしいと、心の中で願うばかりだ。

 視線を合わせた女性は唇を震わせていた。どこの誰ともわからない男性に声をかけられたことで、襲われるのではないかと考えているように映った。近年では路上における通り魔殺人事件も起きている。

 忠彦は安心感を持ってもらえるよう、笑みを見せることにした。自分のできることといえばこれくらいしかなかった。

「びっくりさせてしまい、申し訳ございませんでした」

 女性はかろうじて平常心を取り戻したようで、声を絞り出していた。依然、強い警戒心を抱いているのをはっきりと感じ取った。 

「私に何か用ですか」

 一目惚れしたことを、別の形に置き換えて伝えることにした。初対面の女性に「好きです」と直接伝えるのは躊躇われる。一発でアウトになる。

「あなたの魅力に惹かれてしまい、声をかけてしまいました」

 女性は耳元の髪の毛をかきあげる仕草をする。忠彦はその動作に、心は大きくときめいた。間近で見ると、より一層美しく見える。

 女性は状況をようやく理解したらしく、顔のこわばりは消えていった。

「可愛い女の子を見つけたので、路上にてナンパしたということですか。人として感心しませんね」

 路上でナンパして、好印象を与えられるわけないか。忠彦は一分後には、あなたには興味ありませんといわれるシチュエーションを想像した。

 女性はおかしいことでもあったのか、口元に笑みを浮かべる。

「私は彼氏もいませんし、特別によしとしましょう。強姦に襲われたと勘違いするので、今後は心臓が止まりかねないやり方は避けてください」

 博打要素の強いナンパはとりあえず成功に終わったとみなしていいのかな。忠彦は大きな一歩を歩みだす予感でひしめいていた。

「自己紹介をしていませんでした。私は川田由良里といいます。よろしくお願いします」

 初対面で名前を訊けるとは思わなかった。忠彦の期待した以上の成果を得られた。

「北条忠彦です。よろしくお願いします」

 女性は大きなあくびをする。昨日はわずかな時間しか眠れておらず、睡眠不足なのかなと思った。

 由良里は瞼をゴシゴシとこすっている。朝目覚めたばかりかのように、何度も行っていた。

「疲れているので、座れるところはありませんか。身体を休ませたいと思います」

 歩いて数分のところに喫茶店があったので、そこに案内することにした。ゆったりとできて、身体を休まるのに持ってこいといえる。

 由良里はゆっくりとしたペースで後ろからついてきた。忠彦は彼女のゆったりとした動きに合わせる。友達ならストレスになるものの、好きな女性のためなら一時間であっても待てそうな気がした。

 由良里は肩に手を載せてきた。思わぬところから温もりを感じたことで、脈拍は一気に早くなった。

「急に手を載せてしまい、申し訳ございません。すぐに離します」

 手の温もりを失うと、全てのものを手放したかのように感じた。ナンパした女性からの体温は何物にも代えがたい。

 喫茶店の前に辿りつくと、入店を促すことにした。無料で休めるようなスペースはないため、多少の負担はやむを得ない。

「ここで休みましょう」

 由良里は丁寧に頭を下げる。髪の毛は左右に揺れた。

「気をつかっていただき、ありがとうございます」

 由良里に好印象を与えたのか、彼女は柔らかい笑みを見せる。アルバイトの失敗で、疲れてい
た心はおおいなる癒しを受けた。

「いらっしゃいませ」

 女性店員のはきはきとした声が、店内に響き渡る。コンビニでアルバイトをしているけど、ここまで大きな声を出すことはない。「いらっしゃいませ」に感情を込めたとしても、良い商品を提供できるわけではない。

 由良里の体調を鑑みた場合、店から近い席にしたいところ。幸いにも一番前の席は誰も座っていなかった。

 二人は向かい合うように席に座った。隣でないのは残念だけど、由良里と顔を合わせられることを前向きにとらえたい。

 アルバイトの給料をもらったばかりなので、財布は潤っている。由良里に何かを御馳走しよう。心の広いところを見せて、好感度をアップさせたい。

「何か頼みますか。おごりますよ」

 由良里はとんでもないといわんばかりに、首を横に振っていた。初対面の男性とお金の貸し借りは避けたいようだ。

「大丈夫です。お金をきっちりと所持しています」

 喫茶店のメニューを眺める。特段変わった商品は置いておらず、ホットケーキなどの軽食、オレンジジュースといった飲み物、アイスクリームといったデザートくらいしかなかった。

 女性店員が氷の入った水、おしぼりをそれぞれのテーブルに置いた。

「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか」

 忠彦はコーラとホットケーキ、由良里はアイスクリームを注文する。店員は「かしこまりました」といったのち、ゆっくりと下がっていった。

 由良里にアプローチしようかなと思っていると、彼女は外に視線を送っていた。自分の世界に入り浸っているかのようだった。

 コーラ、アイスクリームは三分としないうちに運ばれてきた。どちらも手間のかからないメニューであるため、瞬時に準備できる。

 手間のかかるホットケーキは注文しないほうがよかったかな。疲労をためている女性の体調を悪化させるところまで思考はいきつかなかった。

 忠彦はストローでコーラを飲んでいく。口の中ではじけていく泡は、いつもより少しだけ甘く感じられた。

 由良里はアイスクリームに手を付けなかった。テーブルに肘をつけたままの状態で、外をじっと眺め続けている。

 アイスクリームは熱でじわじわと溶けていく。由良里に伝えようかなと思ったものの、彼女の空間に立ち入らないことにした。女性は自分の世界観を邪魔されると、不機嫌になりがちだ。

 アイスクリームが四分の三ほど溶けるのと同時に、熱々のホットケーキを提供された。トッピングとして、バター、シロップクリームをつけられていた。

「ホットケーキになります」

 店員はホットケーキをテーブルの上にセットしたのち、くるくると丸めたレシートを指定の場所に置いた。

「ご注文は以上になります。ゆっくりとしたひとときをお楽しみください」

 由良里は最後までアイスクリームに手を付けることはなかった。最初から何も食べるつもりはなかったのかもしれない。

 忠彦の推論を裏付けるかのように、目の前の溶けたアイスクリームを前にしても、あっさりとしていた。

「店を出ましょう。アイスクリームの代金はお渡ししますので、まとめて払っていただけますか」

 由良里はアイスクリーム代金の300円を、忠彦のテーブルの前に置いた。手元に収めると、領収書をもってレジの方に向かった。

 レジでは男性店員が対応する。忠彦と比較すると、ガタイは一回り小さかった。

「ありがとうございます。合計で1100円になります」

 忠彦は500円玉1枚、100円玉6枚を取り出す。千円札を持っていたものの、財布でパンパンとなっていた小銭を処理したかった。お釣りのたびに小銭を受け取っていると、知らず知らずのうちに中身はたまっていく。

「ありがとうございました。またお越しください」

 今回でお別れになるのかと思っていると、彼女の方から切り出してきた。

「次回もここで待ち合わせをしましょう。日時は来週の午後二時でいかがでしょうか」

 コンビニでアルバイトをしているため、時間の調節をしなくてはならない。彼女の指定した時刻にやってこられるのか。 

 忠彦は可能ならば、電話番号のやり取りをしたかった。仕事の都合もあるため、連絡先を知っておかないと色々と不都合になる。

 電話番号を知ることで、好きなときに連絡を取れるメリットもある。由良里との会話を増やして、親身になっていけるといいな。

「携帯電話の番号を交換しませんか」

 由良里はいぶかしそうな表情を浮かべていた。初対面で連絡先を訊いたことを快く思っていないのかもしれない。

「スマートフォンなどの連絡機器を所持していないので、連絡手段はありません」

 由良里くらいの年齢で、携帯電話を持っていないのは非常に珍しい。近年は小学生であったとしても、電話を持たせる保護者が増えている。

 自宅の電話番号、住所を聞き出すのは躊躇われた。恋人ではないので、沈黙を貫かれることになりそうだ。

 忠彦は自分の置かれた状況をきっちりと伝えることにした。この事実を隠しておくと、後々の禍になりかねない。

「日曜日はアルバイトをしているので、確実に来られるかわかりません」

「そのときは、翌週の同じ時刻に会いましょう。私は必ずやってきます」

「ドタキャンになると悪いので・・・・・・」

 忠彦は言葉を濁すことにした。彼女を信じてあげたかった。

「別に構いません。その場合は他のことをします」

 由良里は両肩に手を載せてきた。彼の左肩、右肩には異なるタイプの熱が伝わることとなった。

「今日はありがとうございました。私にとってかけがえのない一日になりました」

 身体の接近に便乗して抱擁しようかなと思ったものの、初対面なのでさすがに自重することにした。うまくいきかけているのに、たった一つの大チョンボでマイナスになるのは避けたい。

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