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 そうか。
 ギュンテは水がめの神さまだから、水が世界のどこにあるかは当たり前にわかるんだ。
 そうだよね、だからさっきみたいに水――というか雲を呼び寄せて雨を降らせることができるんだ。
 そんなことを思い、私はひとり、うなずきながら箒で飛んだ。
 ギュンテの乗る小さな雲を追って。
 私の少し前を祖母の箒が飛び、なぜか私の横をユエホワが飛ぶ。
「泡粒界に行ったとき話したこと、おぼえてるか」ふいにユエホワが飛びながら言う。
「泡粒界?」私はききかえした。「サルシャ姫のこと?」
「じゃなくて」緑髪は大急ぎでさえぎった。「あの世界が人間界の水を管理してるっていっただろ。この世界の水もそうなのかなってさ」
「ああ」私はまたうなずいた。「でもここは、人間界じゃないし」首をかしげる。「ちがうんじゃないの?」
「うーん」ユエホワは飛びながら腕組みした。「やっぱそうかなあ」
「ききにいってみたらいいじゃん」私は横目でムートゥー類を見ながらテイアンした。「泡粒界に。サルシャ姫ー、って」
 ユエホワはだまっていた。
「会いたかったよーって」
「うるせえな」赤い目がにらみかえしてきた。「だまってろ」
 私はふきだすのをこらえて前を向き、祖母についていった。
 サルシャ姫というのは私より少し年上の泡粒界のお姫様で、ユエホワがカタオモイしていた相手だ。かわいそうな鬼魔だなあ。

 しばらく飛ぶと、きらきらきら、と遠くでなにか光るものが見えた。
 さらに飛ぶと、それは水で、私たちのゆくてに川があらわれたのだ。
「うわあ」私は思わず声をあげた。
 川のまわりは荒れた大地で、草も少なく、生きものの姿も見えない。
 そんな中でその川は、ふしぎなほどゆたかな水をたたえ、ゆったりと流れていた。
 幅は、さっきまでいた聖堂が三つぐらいはゆうに入るほどある。
 深さは、ぱっと見ただけではわからない……水は透明で、空の色を美しく映していた。
 水底の砂や石なんかが見えないということは、だいぶ深いんじゃないかと思う。
「ここにいるのか?」ユエホワが雲の上のギュンテを見上げてきく。「妖精が」
「うん」ギュンテが顔をのぞかせてうなずく。「水の中にいる。けどなかなか苦労してるみたいだな」
「苦労?」私はききかえした。
「ああ。こんだけたくさんの水を枯らすとなると、相当の力が必要になるだろうからな……力つきて沈んでしまうやつが次々に出てるようだ」
「えっ」思わず箒の上から川を見下ろす。「妖精たちが?」
「ああ」ギュンテはまたうなずいた。「なんでそこまでしてこんなことすんのかな」
「それだけ、意志がかたいということでしょうね」祖母も、箒の上から川を見下ろしながら言う。「アポピス類に立ち向かうという、反骨の意志が」
「ガーベランティ」祖母のバッグの中からハピアンフェルがふわりと姿をあらわした。「なんとかして、このことをやめさせたいわ……どうすればいいのかしら」
「そうね」祖母は微笑む。「まずは呼びかけましょう」
 そうして私たちは、ゆったりと流れゆく川に向かって、箒の上から呼びかけはじめた。
「おーい」
「妖精さーん」
「水流しのみんなー」
「出てきてちょうだーい」
「もうやめてー」
「水から出てこーい」
 けれどどれだけ呼びつづけても、川の流れも、水面のようすも水中のようすも、なにも変わりはなかった。
「ふう」祖母がため息をつき、
「だめだあ」私が音をあげ、
「ほんとにいるのか」ユエホワが疑い、
「いるわ。存在は感じるの」ハピアンフェルが主張する。
「わかった」ギュンテが雲の上から声をかけてきた。「じゃあ、あんまりしたくはなかったが、ひっぱり上げてみよう」
 そうしてギュンテは、水がめを抱えて雲からぴょんと飛び降りた。
 はっとおどろく私たちの目の前で水がめの神さまはふわりと空中にたたずみ、両手に水がめを、逆さにして持ち、体の前にさし出した。
 すると。
 きらきらきら、とかがやく川の水が、霧のようになり、水面からどんどん上に上がってきて、ギュンテの水がめの口の中にすいこまれはじめた。
「わあ」
「まあ」
「うわ」私たちはそれぞれ声をあげた。
「みんな」ハピアンフェルは仲間たちを呼んだ。
 よく見ると、霧をなしていたのは川の水ではなく、小さな水流しの妖精たちだったのだ。
「みんな、私よ。ハピアよ。水流しのみんな、だいじょうぶ?」ハピアンフェルは、ギュンテの水がめの中にどんどんすいこまれていく妖精たちに声をかけつづけた。「私ね、今菜園界の人たちといっしょにいるの。菜園界の人たちが今この世界に、地母神界に、神さまといっしょに来てくれているの。アポピス類たちとも話し会いをしてくれているのよ。だからもう、あなたたちが命をかけてまでたたかわなくてもいいの」
 水がめにすいこまれつづけている妖精たちからは、返事が聞こえてこなかった。
「返事できねえんじゃないのか」ユエホワがつぶやく。「あんなにすいこまれてちゃ」
「そか」ギュンテは言って、水がめをひょいっと上に向けた。
 霧はさあっとまわりに広がり、きらきらきら、とこんどは上から降ってきた。
「ハピア」
「ハピア」
「おかえり」
「ハピア」
 霧の中から、ほんとうに幻のような、かすかな声がちらちらちら、ときこえ、耳にくすぐったいような感じをおぼえた。
 水流しの妖精たちだ。
「妖精さん」私は無意識のうちに呼びかけていた。「こんにちは」
「ガーベラだ」
「ほんとだ」
「ガーベラだ」
「キャビッチ使いのガーベラだ」
 小さな妖精たちがそう言って、私の頭の上や肩の上にふわふわ、きらきら、と舞いおりてきた。
「こんにちは、ガーベラ」
「こんにちは」
「あなたはすごい人だわ」
「鬼魔の四天王の一人を倒したとうわさで聞いたよ」
「すごいよ、ガーベラ」
「えと、あの」私はきょろきょろとまわりを見回しながら、口ごもった。
「その子はガーベラじゃねえぞ」ギュンテが空中から妖精たちに声をかけてくれた。「ポピーだ」
「ガーベラは私ですよ、みなさん」祖母が自己紹介をしたあと「ほほほほ」と口をおさえて笑いだした。
「ははは」ユエホワも、ごく小さく笑っていた。
「ええっ」
「あなたが?」
「鬼魔とたたかったんですか?」
「あなたが? 本当に?」妖精たちはものすごく衝撃を受けていた。
「ええ。もう何十年も前にね」祖母はうなずいたが「あらでも、ついさっきも闘ったわね、鬼魔と」と、訂正した。
「そうだぞ、お前ら」ギュンテが腰に手を当てて小さな水流したちをたしなめる。「ガーベラさんはこう見えてもものすっげえ強ええんだぞ。失礼なこというな」
「こう見えても、ってのも失礼だろ」ユエホワがつぶやく。
「ほほほほ」祖母はあまり気にしているようすもなく笑っていた。
「みんな」ハピアンフェルがあらためて水流したちに呼びかける。「もう水を枯らすのはやめて。せっかくラギリス神さまが用意してくださったこの世界を、だいなしにしてはいけないわ。私たちはアポピス類と話し合って、闘うことなく平和に暮らしていくべきよ」
 その言葉に、私たちは全員うなずいた。
 だけど妖精たちもうなずいたのかどうかは、見えなかった。
「無理だよ」
「そうよ、無理だわ」
「アポピス類は私たちの話なんか聞いてくれない」
「私たちは奴隷のようにこき使われるだけ」
「闘うしか方法はないよ」
「そう、俺たちみんなが平和に生き残るためには」
「闘うしかないんだ」
「そんなことない」私は思わず反対していた。「神さまだって来てくれてるし、聖堂もつくったし、あと裁きの陣の使い方も教えてもらえるし」
「そう」祖母がつづけて言う。「あなたたちを苦しめる悪いアポピス類は、私たちキャビッチ使いが今からこらしめるわ。だから安心してちょうだい」
「えっ」
「本当に?」
「ガーベラさんがやっつけてくれるの?」妖精たちはざわめきはじめた。
「ええ、そうよ」ハピアンフェルがうけおう。「そしてポピーも。他の皆も」
「やっつけるっていうか、裁きの陣で」私は訂正しかけたけれど、
「ポピーも、すっげえ強ええんだぞお前ら。もうあっという間にアポピス類なんか全滅だあ」ギュンテが大声でつづけたのでかき消された。
「うわあ」
「すごい」
「たのもしいな」
「お願いします」
「アポピス類を」
「全部やっつけてください」妖精たちはいっせいに水の中から飛び出してきて、口々にさけんだ。小さな声がたくさん重なって、さわさわさわ、と川の水の流れるような音になった。
「まあ」ユエホワがぽつりとつぶやく。「裁きの陣につれてかれるよりは、キャビッチくらった方が苦しむ時間が短くていいけどな」
「そうなの?」私はきき返したけど、心の中では今からいったいどうなるのか、悪い予感がしてしかたなかった。

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