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少年は回顧する2

 いくら考えても思い出せないので、少年はその事は横に措く。少年にとって今最も大事なのでは、生きていたという事だ。それも妹と一緒に。
 最初は驚いたものだ。この世界に来る直前まで張り詰めていたので、驚きだけではなく警戒も強かったが。
 今にして思えば、随分と畏れ知らずなことをやったものだなと思って猛省している。相手が穏やかであったからよかったものの、最悪あの場所で殺されていたかもしれない。そう思うと、急に芯から冷えてくる気がした。
(まぁ、多分あれぐらいでは問題なかったのだろうが)
 注意事項を思い出し、少年は小さく息を吐く。
 少々声を荒げたぐらいでは、敵対行為とまでは取られなかったらしい。いや、取られないだろう。少年は改めて管理者と名乗った相手を思い出し、そう確信する。
(あれはこちらを見ているようで見ていない目だった)
 それは少年が元の世界に居た時に向けられた目の一つだ。いや、あの時よりも酷いだろう。
(こちらを認識していながら、大して興味もないといった感じ。そう、あれは……なんて言うんだったっけ? えっと……)
 少年は学の無い頭で、昔聞いた言葉を思い出そうと頭を回転させる。しばらくそうしていると、「あ」と小さく声を上げた。
(そうそう。確か路傍の石を見るような、だったはず! うん、そんな感じの目だった)
 思い出して満足したのか、少年はうんうんと頷く。
(こちらに興味が無いのだろう。いや、何をしようともどうとでも出来るという感じかな?)
 少年は改めて管理者の姿を思い出す。
 一言で言うのであれば、恐ろしいほどに美しい人だった。現実味の無いほどに整った顔立ちに、青の混ざったような銀髪。その興味の無い目のせいか、酷く冷淡な印象を抱かせる人だった。
 そんな管理者の存在のせいか、少年は最初、この世界を死後の世界だと思ったほどだ。直前の出来事が無ければ夢だと思っていただろう。
 しかし、おそらくこれは現実で、少年達はこの先この世界で生きていかなければならない。
(ここには立派な家に井戸、それに食べ物まである。生きていく分には十分過ぎるし、むしろ元の世界よりもかなりいい暮らしだ)
 不安な点は、少年と少女以外には、管理者の女性と管理補佐と紹介された男性しか居ない事か。それと、森の中には入らない方がいいと警告された事。
(俺では森の中の魔蟲にも勝てないかららしいが……)
 少年の脳裏に、元の世界に居た蟲の魔物が思い浮かぶ。
 一言に、魔蟲と言っても強さにかなりの差があった。少年でも倒した事があるような弱い魔蟲から、魔獣にも劣らないと言われるほどに強い魔蟲まで様々。
 なので、森の中に居るのはどんな魔蟲だろうかと思った。それに、元の世界では街中でもたまに弱い魔蟲を見掛ける事があったので、少年はこの世界にも自分でも勝てるような魔蟲が居るのではないかとも思っていた。
 それでも警告は警告なので、森の中に入るのは止めておく。少なくとも、今はこの生活に慣れることから始めなければならない。こんな立派な家の一室で横になって堂々と眠れるということで、昨夜は気持ちが高揚してか中々眠ることが出来なかった。慣れ無い世界と言うのもあったが、それも目の前の分かりやすい現実の前では小さな物であったらしい。
 少年は寝ている部屋に設置されている窓から外の方へと視線を向ける。
 窓の外はまだ薄暗く、朝と夜が混ざったような色をしていた。それでもあの日よりは明るく、今がもう朝なのだと教えてくれる明るさをしている。今までであれば、既に起きて食べ物を探していただろう。しかし、今はそこまで急ぐ必要はない。
 少年は今日の予定を頭に思い浮かべる。まずは朝食だ。庭の果実を採って妹と一つずつ食べる。井戸も在るので水も手軽に使える。
 食器類なども最初からこの家には用意されていた。この家の物は全て好きに使っていいと言われているので、それらを使用してもいいはずだ。しかし、そういった人並みの生活というのはやはり慣れていないらしく、少年はそうして色々と思い描いてみただけでもかなり違和感を覚えるようだった。
 そうして朝食を終えると、今度は街の散策。
 昨日は管理者達の案内で街中を歩いたが、かなり奇麗で大きな街だった。少なくとも少年が暮らしていた街がゴミ溜めに思えるぐらいにはここは清潔で、少年には正確なところは分からないが、それでも暮らしていた街よりもずっと大きいような気がした。
 この街には分厚い防壁どころか、簡素な囲いや堀さえも無い。それだけ外敵が居ないという事なのだとは思うが、魔獣に襲われたばかりの少年にとっては、それが酷く心許なく感じる。
 それでも、とにかく今はそんな事に囚われている場合ではないだろう。まだ来たばかりではあるが、ここが安全なのは少年にも何となく分かった。街の外に出れば違うのだろうが、とにかく今は外には出ずに街に慣れる事が優先だろう。
 その散策だけで今日は終わるだろう。それでもまだ足りないと思うので、当分は同じような日々になりそうだ。
 それにこの街の管理をしているという管理補佐の男性にも改めて挨拶しておかなければならないだろう。そこの上位者には挨拶をしておくと言うのは、どの世界でも共通だと少年は思っている。裏路地で暮らしていた時も、挨拶ぐらいはしておかなければ面倒な事になったものだ。
 そういった事を頭の中で組み立てたところで、少年は起きる。隣ではまだ少女がすぅすぅと穏やかな寝息を立てて寝ている。ここが安全な場所だと認識しているのだろう。
 実際、ここは安全だった。夜に獣の遠吠えすらしないのだから。虫の鳴き声さえ聞こえないので、自分達が立てる音がいやに大きく聞こえるほど。
 だが、それでいて不安になる事はなかった。やはり妹と一緒だったからだろうかと少年は思う。そう思うと、今更ながらに助かってよかったと急に実感してきてしまった。
 少年は泣きそうになって慌てて部屋を出ると、手頃な桶に水を汲んで水の用意をする事にした。その前に井戸の調子を確かめながら桶を洗ったり顔を洗ったりとした後、子供でも持ち運べる大きさの水瓶を用意して洗っておく。
 洗い終わると家の邪魔にならなそうな場所に水瓶を置き、そこに桶に汲んだ水を運んでいく。見た目以上の重労働だが、それさえ何だか新鮮で、少年は段々と楽しくなってきた。
 水を溜め終えて一休みしていると、少女が起きてくる。いつの間にやら夜の気配が消えて空はすっかり明るくなっていた。

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