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第四話 I

「………なんだ?私をからかいに来たのか?」

 時は少し前。紅白が怪我をした数日後、天姫に連れ回されている時期のこと。
 紅白は、社会科準備室の前で、蓮のことを待っていた。
 少し肩を落とし、いつもより若干元気のない蓮は、ため息をつきながら声をかけた。

「まぁそんな感じっすかね~」

 壁に背を預け、手はポケットに突っ込んだまま、いつも通りおどけている紅白。しかし、疲れのせいか、どこか少し元気がない。

「お前に心配されるとは、私もまだまだだな」

 蓮はさっきまで理事長室に呼ばれていた。その中で話していたことは、この前の街での事件のことだ。蓮は自治会担当なので、その責任を問われていたのだ。

「まぁ安心しろ。怒られるのは慣れている。私も学生の頃は、お前のようによく、はしゃいでたしな」
「はしゃいでない」
「はて、私の記憶違いかな?」

 訝しげな顔をしながら、紅白もやれやれとため息をつく。

「まぁ、私のことは気にするな。確かに理事長に色々と言われたが、今に始まったことじゃない。罰と言うほどのこともないしな。それこそ自治会には如月みたいな問題児がいるんだ。今更だろう?」
「うわ、バカにしやがって」

 蓮は微笑を浮かべながら、社会科準備室の扉を開ける。

「少し疲れた。今日は早く帰るとするかな。お前もしっかり休んで早く怪我を治せよ。といっても、ボディガードが忙しいみたいだがな」
「そんなんじゃないっすよ。絶対王政に逆らえないただの民衆です」
「まぁそう言うな。お前は、…お前だ」

 蓮はそう言って、社会科準備室の扉を閉めた。その時の蓮の横顔が、紅白の眼には焼き付いた。
 一つ大きく息を吐き、上を見上げる紅白。視界の先には、いつもと変わらない白い天井が映るだけ。
 そのいつもと変わらない風景、そして日常を共に過ごす周りの人。それを見るために、紅白はここに来ていた。

「俺は俺、か。………とんだ問題児だな、まったく」

 紅白から漏れた呟きは、誰の耳に届くこともなく、校舎の中で少し響いた。




 空には月が輝いていた。
 いくつかの星も見える。
 空に見える星のように、人通りは少ない。
 灯りの少ない夜道。
 人が通れば、目立ちはしないが、気づく人もいるだろう。
 だが、その人影に、誰も振り向くことはなかった。
 暗闇に黒い服は、確かに目立つものではない。
 しかし、それでも、誰一人として『彼』を認識できた者はいない。
 音もなく、
 気配もなく、
 人影は、ただただ歩いていく。


 『彼』は、ある建物の前で止まった。
 建物には、研究所の文字が刻まれている。
 どこからか出てきた雲が、怪しげに輝く月を見え隠れさせていた。
 『彼』は、研究所のセキュリティの壁をいとも容易く潜り抜け、その中へ入っていく。
 白を基調としたその内部は、いくつもの部屋があった。
 この時間でも、何人かの人間が、せわしなく動いている。
 特に白衣を見に付けた人は、あわただしく動いていた。
 書類を持って駆ける者。
 頭を抱えてパソコンのディスプレイを眺める者。
 数人で意見を交えながら話をする者たち。
 そんな人たちは、『彼』が入ってきたことに、誰一人として気が付かなかった。
 無理もない。
 忙しい中で、誰が気配のしない者に気が付くだろう。
 厳重なセキュリティがかけられているはずの建物の中に、侵入者が入ってくるなど、誰が思うだろう。
 『彼』は、特に表情を変えず、あたかもその部屋に入ることが当たり前であるかのように、一つの部屋へと入った。


 『彼』は―――――如月紅白はそこにいた。

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