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 がしゃ――ん

 その大きな音、ガラスがわれるような音は、聖堂の天井のほうからきこえた。
 はっとして全員がふりあおぐと、屋根にはめこまれていた窓ガラスになぐられたような丸い穴があけられていて、きらきらと破片がふり落ちてきていた。
「危ない」父が私をかばうように抱きすくめる。

 どし――ん

 つぎに、こんどは壁のほうから大きな音がして、ぐらぐらと床がゆれ動いた。

 ばり――ん

 さらに、壁の窓のガラスも大きな音とともに割れ落ちた。
 人びとは――いなくなった。
 逃げだした、ということなのだけれど、椅子にすわっていたアポピス類は全員、人型から一瞬にしてヘビ型へと姿を変え、いっせいに椅子の上から床をはって出ていったのだ。
 そのようすを私は父の腕の下からのぞきこんでいたが、彼らの床をはうスピードは流れ星のように速く、思わず「うわっ」と声をあげたほどだった。
「だいじょうぶだよ」父は、私が大きな音や振動におびえていると思ったのだろう、にっこりと微笑んだ。
「う、うん」私はとりあえずうなずいた。
 やつら――だれに聞かずともわかる、ユエホワをさらい、私の家や祖母の家にまでやってきた、アポピス類だ――は、いつものように姿をあらわさなかった。

「光使いたち」

 とつぜん、小さな声が聞こえた。
 ハピアンフェルだ。
 私たちは、祖母の方を見た。
 小さな粉送り妖精は、祖母の頭の上に飛び上がり、ふわふわとまたたいていた。
「光使いたち、もうやめて」またたきながらハピアンフェルは、小さな声でさけんだ。「悪い人たちのいうことをきいてはだめよ」
 だれも、ちいさな妖精の声に答える者はいない。
 本当に、その声は届いているのか?

 どし――ん
 がしゃ――ん
 ばり――ん

 音はますます大きく鳴りひびきつづけた。
 菜園界の大工たちが精魂こめてつくりあげた地母神界初の聖堂は、みるみるむごい姿にかわりはてていった。
「外へ」母がさけび、私たちは聖堂の出口へと走った。
 だれの姿も見えないけれど、そこには“やつら”が立ちふさがっているはずだ。
 だけど、父も母も祖母も、なにもためらわずそこへ向かって走ったのだ。
 私は父と母に守られるような位置で、いっしょに走った。
 なぜかユエホワも私のとなりで走っていた。

「ディガ」
 ばしっ

 入り口の方からさけび声と、それをするどくさえぎる音――キャビッチ――がした。

「ゼア」
 ばしっ

 つづけてもう一度。
「うう」私の横でユエホワがうなる。
 見ると、緑髪鬼魔は目をまんまるくしてなにかおびえているような表情をしながら走っていた。
 そう、私にもわかった。
 さけんだのは――というかさけぼうとしたのは“やつら”で、その声の聞こえるほうにすかさずキャビッチを投げたのは、祖母と、母だった。
 おかげでだれも、やつらの魔力にかかって動きを封じられたり魔法を帳消しにされたりすることはなかったのだ。
「マハドゥーラコン」父がさけぶ。
「ピトゥイ」祖母がさけぶ。
「ティグドゥゼイ」父がつづきをさけぶ。
「ピトゥイ」母がさけぶ。
「クィッキィシュル」父がつづきをさけぶ。
 そのため、アポピス類の体にはりついてその姿を見えなくさせていた光使い妖精はすべてとりはらわれ、さらにアポピス類たちの自由な動きは封じられた。
 私たちは聖堂の外に出た。
 アポピス類たちは聖堂入り口から数十メートルはなれた台地の上にあおむけに寝転んでいた。
 祖母と母のキャビッチでふっとばされたのだ。
「七……人」ユエホワが、ささやくように言う。
「うん」私はうなずいた。
 あおむけに転がっているのは、たしかに七人の、人型のアポピス類たちだった。
「投げたの、二個だよな」ユエホワがまた、ささやくように言う。
「……たぶん」私は少しだけ考えてからうなずいた。
「どうやって……?」
「投げたあとに分散魔法を効かせたのよ」ユエホワのささやくような問いかけに、母が答えた。「何人いるかわからなかったから」
「ええっ」これには私もおどろいた。「同時がけ?」
「の、一種ね。それより」母は眉をひそめ、森の方を指さした。「畑の方はどうなっているのかしら」
「だいじょうぶか」
「何があった」
 菜園界の人たちがかけつけてきた。
「こいつらは」
「何だ」
「こいつらが聖堂を?」
「ひどいありさまだ」
「なんてことを」
 つぎつぎに、倒れているアポピス類たちをとりかこみ、破壊された建てものを見やり、なげく。
「裁きの陣へこの者たちを連れて行くんだ」父が皆にいう。「そしてアポピス類たちを呼びもどして、裁きのしかたを教えるんだ」
「ああ」
「そうしよう」
「急いで」母も指示する。「うちの人のマハドゥはそんなに長く効いていられないから」
「う」父がうめく。「うん、急いで」でもすぐに気を取りなおし、みずから一人のアポピス類の腕に手をかける「運ぼう」
「ほらな」ユエホワがまたささやく。「お前の父ちゃんがいちばんすごいよ」
 私は、ほんの少しだけうなずいた。
 父のほか、大工とキャビッチスロワーの一部の人たちが聖堂に残り、あとの人たちは私たちといっしょに畑の方へ向かった。
 畑は――
「ひどい」母が声をふるわせた。
「なんてことだ」
「ああ……」ほかの大人たちも皆、ぼう然と立ちすくんだ。
 そう。
 あんなにたくさんならんでいたキャビッチはめちゃくちゃにひきもがれ、投げ捨てられ、神の聖なる水を吸ってうるおった土はほじくり返され大穴をあけられ、そして水分までも失われてかさかさの白っぽい粉のようになってしまっていた。
 そこらじゅうにころがっているキャビッチたちも、あんなにカラフルでみずみずしかったのに、すべて色をうしない、白く、あるいは茶色くかさかさに枯れかけている。
「あらまあ」祖母はあまりショックを受けていなかったが「また妖精たちにやらせたのね」と冷静に考えを述べた。
「許せないわ」母がさけぶ。「せっかく皆で立派な畑をつくったというのに、こんなふうにめちゃくちゃにするなんて」
「私たちがここへ来たことじたい、向こうも許せないのでしょうね」祖母がまた冷静に述べる。「まあ想定の内といえばそうだけれど」
「でも」母は怒りがおさまらないようすだった。「話し合うことすらせずに、いきなりこんな」
「奇襲攻撃じゃないか」別の大人の人が怒りの声で言う。
「そうだ」
「卑怯なことを」
「彼らにしてみれば、私たちが畑をつくったことこそが奇襲になるのよ」祖母がまた冷静に述べる。
 皆は、言葉をつぐことができずにいた。
 私たちは、フュロワ神の指示にしたがってここへやってきた。
 やつらは、神のご意志すらも“奇襲”とみなすのだろうか?
 それはつまり、神さまを“敵”だとみなす、ということになるのではないのか?
 私は腕に鳥肌が立つような思いにおそわれた。
 鬼魔は、神に逆らって、神と闘うつもりなのか?
「アポピス類なら」ユエホワがつぶやく。「ありえなくもない、かな……」
「だとしたら」母がしずかな声で言う。「私たちは、神さまのために力を尽くさなければならないわ……キャビッチスロワーとして」その顔はきびしくひきしまり、その目は燃えているかのように見えた。
 私は背中にまで鳥肌が立つような思いにおそわれた。
「ガーベランティ」ふいに、祖母の肩かけバッグの中からハピアンフェルが声をかけた。「これは、光使いと水流しと粉送りがやったことだわ。森の方はだいじょうぶかしら」
「まあ、そうね」祖母はおどろいたようにハピアンフェルを見おろした。「行ってみましょう」そう言うと、箒にまたがって空へ飛び上がった。
 私たちもつづく。
「火起こしたちがまだ見えないのよ」ハピアンフェルは消え入りそうな声で告げる。「まさかとは思うのだけど」
「まあ」祖母はまたおどろいたように言った。「急ぎましょう」
 けれどすぐに、ハピアンフェルの心配していることが本当に起きているらしいのがわかった。
 森の奥から、こげくさい、植物の燃えているにおいがしてきたのだ。

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