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第九十一話 潜れ

 名無しはさっきの試合と同じように短剣を焔の顔面向かって投げる。焔は最小限の動きで避ける。だが、当然のことながら、元の位置にはもうすでに名無しの姿はなかった。

 その位置は観客席では容易に知ることが出来た。もうすでに名無しは焔の後ろに回り込んでいた。

「やばいネ!!」

「レンジー!!」

 リンリンとサイモンは感情をあらわにした。コーネリアと茜音は口には出さなかったが、手には力が入っていた。

 そして、まさにその切っ先が焔の心臓を捉えようとした時だった。焔はそのままノーモーションで後ろに振り返えると同時に、思いっきり剣を叩きつけた。だが、そのことにいち早く気付いた名無しは飛び退く形で焔から距離を取る。焔も深追いすることなく、一旦仕切り直しという形を取る。

 その様子にリンリンとサイモン、茜音は安堵の気持ちを露見させる。コーネリアも態度には出さなかったが、ホッとしたような顔つきになる。だが、すぐに目線を焔に集中させる。

「わーお、やるじゃんあの少年。流石はシンが手塩にかけただけはあるねー」

「まあねー(俺の死背暗脚を毎回見切ってるんだ。これぐらいはできて当然。問題はここから……)」

「オッホン!」

 あからさまな咳払いがシンとリンダの横で聞こえた。2人は横に顔を向けた。そこには、何とも不機嫌そうな顔をしたヴァネッサがいた。

「リンダ……お前はいつまでシンにもたれかかっているつもりだ?」

「あーら、ヴァネッサちゃん。別にいいじゃん。戦闘部隊の男ってガッチリしてて、もたれかかるのにはちょうどいいんだもん」

「他にもいるだろう。ガッチリしている奴なら2名ほど」

 そう言うと、ヴァネッサはシン以外の教官、ハクとレオに目を向ける。

「あー、確かにいるわね。でも、ハクは女子人気ヤバいからそんなことしたら、他のやつらに殺されちゃうでしょ」

「アハハ、俺はそんなつもりないんだけどな」

「で、レオは筋肉もりもりでごつごつしてるから、なんか嫌」

「てめえ、リンダ」

「ごめんごめん、褒めてんのよ。で、シンは別にモテてもないし、筋肉もりもりでもないから、ちょうどいいのよ、これが。ほら、体幹もすごいんだから。ほれほれ」

 そう言って、リンダはシンを揺らす。だが、シンはまったく微動だにせず、体幹の良さをアピールする。でも、そのせいで、何度も胸がシンの体に触れる。それを見たヴァネッサは舌打ちをして、そっぽを向くのだった。

「あれ? 何か怒っちゃった?」

「んー、乙女だねー」

 シンはその舌打ちの意味を怒りによるものだと解釈したが、リンダはその意味をわかっていた。そして、その上でもたれかかるのを止めなかった。


 そうこうしているうちに、膠着状態は破られる。動きを見せたのは名無しからだった。体を揺らし、焔の方にゆっくり近づいてきたかと思うと、急に加速し、一気に焔の懐に入る。そして、そこから超高速の攻防戦が始まる。金属音が会場内にとめどなく響く。その場にいる者たちは無言で2人からまったく目線をそらすことが出来なくなっていた。それほどまでに目を見張るものがあった。

「2人とも速いねー」

 リンダが本音なのか、嘘なのかわからないような口調でそう言う。それに、シンも便乗する。

「本当に速いね。今まで焔の戦闘を客観的に見る機会なんてなかったから、なんか変な気分だ……でも、だからこそわかる。どちらがよりすごいかは」

 そう言うと、シンは少し苦い表情になる。確かに、一見2人に優劣はないように見える。だが、ほとんどの攻撃は名無しから仕掛けられていた。名無しはその技術の高さから多彩な攻撃を見せる。短剣だけではなく、足技も繰り出しながら、焔を攻めていく。

 一方の焔はというと、そのほとんどを防いでいた。だが、自分から攻撃を繰り出すことはほとんどできずにいた。できたとしても、簡単に短剣でいなされてしまう。名無しは更にギアを上げ、先ほど見せた後ろに回り込む技を戦闘中に幾度となく織り交ぜだした。焔はそのことごとくを寸分の所で何とか凌ぐ。だが、その様子から焔の方が劣勢に立っているということは明らかなものとなった。

「頑張るネ!! 焔!!」

「男なら根性見せろ!! レンジ!!」

 劣勢からか、たまらずリンリンとサイモンは焔に喝を入れる。その2人とは対照的に茜音とコーネリアはしっかりと状況を分析していた。

「名無しちゃんの攻撃を防いでいる焔も確かにすごい……すごいけど」

 先の言葉を言いあぐねている茜音に代わり、コーネリアが更に続ける。

「あれじゃ、じり貧ね。あの子の多彩な動きと攻撃に比べたら、焔の攻撃は速いけど、あまりにも単調すぎる……どうするの、焔」

 最後にコーネリアは焔に向かって、苦い表情を突きつけた。

 2分ほど名無しからの攻撃は続いた。すると、一旦距離を取り出した。その瞬間、今まで息を止めていたかのように、焔は大きく息を吐いた。


 やばいな。流石は暗殺一家の末裔に育てられただけはある。ほぼシンさんと同じ技術だ。しかも、今までシンさんと戦ってきたけど、実力はほぼ同じクラス。これじゃあ、どうあがいても……


 焔は大きく首を振った。そして、再び己が救うべき相手を見据える。名無しは少し離れた場所から焔を観察すると、腰を沈め、前傾姿勢の形を取り、短剣を手の中で巧みに回す。

 あたりは静寂に包まれる。聞こえてくる音は名無しが短剣を手で巧みに操る音と、焔の呼吸音だけだった。その様子を緊張した面持ちでその場にいた者たちは静かに見守っていた。

 そして、糸が切れたかのように名無しが焔の元へと一気に距離を詰める。当然、焔も準備は万端。迎え撃つ体制を取る。名無しは逆手に持った短剣を焔へと振り下ろす。焔はその軌道上に剣を持っていき、防御の姿勢を見せる。だが、


 ヒュン


 もう腕は振り下ろされていた。だが、伝わってくるはずの剣の衝撃が全く感じられなかった。焔は名無しの手を凝視する。すると、そこに短剣はなかった。驚きを隠せずにいた焔は必死に短剣の行方を探す。すると、あろうことか空中に名無しの短剣が漂っていた。瞬間悟る。名無しは焔を攻撃する直前、手から短剣を放していた。つまりは、高度なフェイント。

 その意図に気づいた焔はすぐさま次の攻撃に備える。だが、もうすでに次の攻撃は放たれていた。そのことに気づいた焔は間一髪頭を下げる。すると、そこには焔の頭を真っ二つにするかの如く、短剣がきれいな線を描き、空気を切り裂く。

 だが、もうその時点で、焔が後手に回ることは確定した。再び、名無しからの一方的な攻撃が始まる。先ほどの止まることのない攻撃と、後ろへ回り込む技、そしてさきほど見せた高度なフェイントを織り交ぜられ、焔はもう防御するしかできないでいた。次第に、焔の表情はその苦しい状況を顕著にさせていった。

「あーら、このままじゃ焔ちゃんまずいんじゃないの?」

 呑気そうにリンダはシンに向かって言う。

「んー……そうだねー……AIはどう見る?」

 考え込む仕草を見せたシンは不意に今の話を聞いていたであろうAIに話題を振る。すると、耳元からすぐに返事があった。

「そうですね。今の焔さんでは、いずれ隙を突かれてお終いですね」

「やっぱそうだよね。今のままじゃ無理……そう、今のままではね」

 何やら含みのあるようなシンの言動にその話を聞いていた者たちは興味をそそられる。

「どういうことだ? シン」

 レオが初めに食いついてくる。

「俺も気になるね。まだ、焔には何かあるのかな?」

 続いてハクもシンへと歩み寄ってくる。シンは皆の視線が集めっているのを確認すると、焔の苦しい表情を見ながら、話し始める。

「焔ってさ、集中力によって、強さが変わるんだよね」

「集中力? ゾーンみたいなやつか?」

 リンダがシンに集中力とはゾーンのことか確かめる。シンはその問いかけにうなずく。

「ま、そんな感じかな。俺たちはモードって呼んでるけど」

「俺たち?」

 『たち』という言葉が気になったのか、レオがその意味を確かめる。

「俺たちって言うのは、もちろん、俺とAIのことね。それで、このモードは全部で3つあるんだけど。焔って言う名前からそれぞれに俺たちで名前を付けたんだよな」

 そう言って、シンは目線を耳元に付けている通信機に向ける。

「はい。1つ目は焔さんがすぐに引き出すことが出来るモード、気焔(きえん)モードです。これは、シンさんとの特訓など、体育祭など焔さんがやる気になった時発動するモードです。今回の第一試験でもこのモードが見られました。続いて2つ目は狂焔(きょうえん)モードです。気焔モードより、更に集中力が上がった状態です。自分自身を鼓舞して、自発的にこのモードに移行するか、誰かから叱咤激励を受け、無意識的に移行する、もしくは怒りが頂点まで達した場合に発動します」

「第二試験はAIの喝が入ったことによって、無意識に狂焔モードになってたね。そして、今も狂焔モードに入ってるね。このモードに入った焔は大抵の困難は乗り越えることが出来るんだけど……こりゃ、参ったな」

 そう言って、シンは今もなお、1人の少女に滅多打ちにされている焔を見て頭を掻いた。だが、ここである疑問を持ったのか、ヴァネッサがシンに近づく。

「おいシン。先ほどからお前たちは焔のモードを見分けているような口ぶりだが、一体どこでそんなものを判断しているんだ?」

「うーん、目かな」

「目?」

「焔ってさ、普段は全然やる気ないような、ダルそうな目してんのよ。で、それが気焔モードになると、グッとやる気のある目になるのよ。で、狂焔モードになると、更にその目つきからすごみが増して、ちょっと気圧(けお)される感じ……みたいな」

 その説明を聞き、改めて焔のことを見る教官たち。確かに、そう見えなくもないが、なんせまだしっかりと焔の顔を見たことがないので、ニュアンスは理解したが、見極めれるかどうか聞かれると、イエスとは言えない状態だった。

「まあ、大体わかったから、その気になる焔ちゃんの最後のモードってどんなのよ?」

 リンダが気になってしかたなかったのか、見極め方の説明が終わると、すぐにシンに問いかける。

「最後のモードはこの2年間でまだ3度しかお目にかかったことがないんだけどね。あれは……なんていうんだろうね。あの目を見ると、少しドキッとするんだよね。まるで、全てを見透かされているような、何もかもを悟っているような目……」

「確かにあの目はそのようにも見えますが、見ようによってはいつものやる気のない目にも見えますね」

「ハハハ、確かにそう見えなくもない……だが、実際に対峙してみると、わかるよ。その恐ろしさが」

「へえ。どれくらい強くなるのかな?」

 ハクはシンとAIの会話から更に興味を持ったのか、シンにその脅威のほどを確かめる。すると、シンはニヤッとして、

「どれくらい強い……か。まあ、ぶっちゃけそのモードに入ったからって、めちゃめちゃすごい必殺技が放てるようになったり、驚異的な身体能力を得るわけでもないんだけどね」

「そうか」

 期待しているような答えは得られそうにないと、ハクが淡白な相槌を打った時だった。

「でも、俺……その状態の彼を倒しきれたこと……まだ一回もないんだよね」

 シンからまさかの答えが返ってきて、ハク、そして教官たちは驚きで、言葉を失う。シンとの付き合いが長いことからその実力は誰よりも分かっていた。その教官たちでさえその言葉を信じることができずにいた。

「おいシン。それはお前が本気でやっても……ということか」

 ヴァネッサはシンにその言葉の真意を確かめる。すると、シンは笑いながら首を縦に振った。その仕草を見た瞬間、ヴァネッサは信じられないように短く相槌を打つと、苦笑いをすることしかできずにいた。

「あらら、『死神』シンとあろう者が敵の命を刈り損ねることもあるんだね」

 リンダは相変わらず表情を変えることなく、シンに詰め寄る。

「アハハ、ま、言い訳をさせてもらうとするなら、30分の間にってことだけどね。それ以上やってたら、勝てたかもしれないよ」

 師匠の尊厳を守ろうとしたのだろうか、若干見苦しかったが、シンはそう言って笑った。だが、その言葉で更に自身を追い詰めるのだった。

「おいおい、30分で蹴り付けられなかったのかよ。なんじゃそりゃ」

「さっきのサイモンとコーネリアの10分間の戦いでも長いほうなのに、30分とはまた」

 レオとハクから苦言を突きつけられ、シンは少し笑顔が引きつる。その様子を察したヴァネッサは一旦ここでシンへの精神攻撃を止めさせるべく、話題を変える。

「はあ……で、最後のモードの名前は?」

 シンはヴァネッサの助け舟に全力でかじを切ると、心の中で感謝を示し、いつもの笑顔で、

「最後のモードの名前は―――」


―――やばい! このままじゃ、絶対に負ける! 動き速すぎ。そんな中に更にフェイントまで混ぜやがって! 


 焔は心の中で愚痴をもらす。だが、何の打開策も見つけることが出来ず、ただただなすすべもなく、段々防御も遅れ、間一髪という場面が増えてきた。そこで、2~3分ほど経過しただろうか。名無しはもう一度距離を取った。それもそうだ。いくら名無しと言えども、延々と超高速の攻撃が続くわけではない。少しのインターバルを置かないと、この攻撃は維持できないのだ。だが、休みすぎず、焔の集中力が切れかかってるところを狙ってくるのが、また厄介なのだ。

 焔はそんなことはお構いなしに再び大きく息を吐く。


 ダー!! 息が詰まる! やばいやばい。このままじゃ、本当にまずい。まず、あの子を助けるどうこう以前にこっちが積む。どうやって、助けるかは一先ず置いておく。今は……目の前の敵に負けないことだけを考えろ!


 焔はそう言い聞かせると、深呼吸を始める。


 落ち着け、青蓮寺焔。まずは絶対に負けるな。さあ、意識を集中させろ。感覚を研ぎ澄ませ。潜れ、もっともっと。もっと、深く。もっともっと、深く。誰も手の届かない意識の奥深くまで。


 焔は目を閉じ、全ての力を抜いて突っ立っていた。名無しはそんな焔の様子にここぞとばかりに飛び出していく。そして、最小の動きでトドメを刺すべく喉元に刃を突き立て向かって行く。その時だった。

「最後のモードの名前は……終焔(しゅうえん)モード。このモードに入った焔は、死ぬほどしぶとい!」

 名無しの切っ先は寸分の所で焔の剣によって防がれた。そして、開かれた目は何とも冷たく、そして今までで一番燃えていた。


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