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「ほい、ポピーも」ギュンテは水がめを私の方にさし出した。「またキャビッチを一個、こん中に入れとけ」
「あ、うん」私は急いでリュックをぽんとたたき、キャビッチを一個手に取った。うす紅色の、小さめのものだ。それをギュンテの水がめの中に入れる。それはすぐに、見えなくなった。
「へえ、それはどうなるの?」母が興味しんしんの顔で質問した。
「俺にもわかんねえ」ギュンテがいたずらっぽく笑う。「けどポピーの魔力だから、きっととんでもなく強いキャビッチになると思うぜ」
「すごいわ。楽しみね」母は私にわくわくした声で言った。
「うん」私もなんだか楽しくなってきた。
 ふっ、と、ため息のような音がした。
 ふり向くと緑髪の“悪たれ”ムートゥー類が、眉をしかめて苦笑していた。
 ギュンテはなにも言わなかったが、いきなりそいつの首に腕をまわしてがっきりと脇の下につかまえた。
「あだだっ」ユエホワが悲鳴をあげる。
「おいお前、また悪さしてポピーを困らせたりとか傷つけたりとかしてねえだろな? あ?」ギュンテが声を低くしてきく。
 水がめは、そんな神のすぐそばでふわふわと空中に浮かんでいた。
「してないっ、してないから離してっ」ユエホワは金切り声で必死に叫ぶ。
「まあ、ユエホワも神さまとお友だちなのね。すごいわ」祖母が感心し、
「おお……すごい。すばらしい」父も相変わらず感動していた。
「ち、ちがう」ユエホワは首をかためられたまま必死でヒテイした。「友だちなんかじゃない」
「あれー」ギュンテはいまだユエホワを離そうとせず声を高めた。「つめたいやつだなあ。何年のつき合いだよおれら」
 そんなことをしているうちにツィックルはぐんぐんと背を伸ばしていき、あっという間に私の肩ぐらいの大きさにまでなった。
「みて」母がまた足もとを指さす。「下草が生えてきたわ」
「うわ」私は目をまるくした。
 そこは、さっきまでの砂漠のようにかわいた大地ではなく、しっとりとした土にやわらかな草の芽がつぎつぎとのぞきはじめている、ゆたかな土地に変わっていたのだ。
 それらの植物はどんどん成長してゆき、草の形は少しちがうけれど私たちの菜園界にある森の景色にだんだんと近づいていった。
 これで、鳥や小動物、アポピス類以外の鬼魔の姿があったら、ほとんど菜園界と変わらない森の状態になるだろう。
 そしてツィックルも、もう私の身長の二倍ぐらいにすくすくと伸びていた。
「いい感じね」祖母がまたそう言う。「キャビッチもすくすく育っていることでしょう」
「聖堂の方も、だいぶ進んでいるでしょうね」父が遠くを見ながら言う。
「そうね」母も言う。「アポピス類たちにも神さまのこと、ちゃんと教えられたかしら」
 だれも、それには答えなかった。
「ラギリスは、うまくやってっか?」ギュンテがだしぬけにきく。
 だれも、それにも答えなかった。
「あいつさ、おとなしいだろ」ギュンテが笑いながら言う。「誤解されやすいたちだけど、根はいいやつだからさ、よろしく頼むよ」
「おとなしい?」ユエホワがきき返す。「おとなしくはないと思うぜ。ただ、何いってんのか聞こえないだけで」
「そう、だね」父もおずおずとうなずく。「なにか、言いたいことはたくさんあるようではあったけども」
「あ、そう?」ギュンテは目をまるくした。「そうか……」少し考える。
「彼は、だいじょうぶなのかしら」母が、友だちのことのように神のことを心配する。「あんな感じで、この世界を取り仕切っていけるのかしら」
「うーん」父が腕組みをしてうなる。「それにはまず、ラギリス神を深く信奉しうまく采配のとれる、祭司たちの存在が必要だね」
「祭司?」私はきき返した。「ルドルフ祭司さまみたいな人?」
「うーん」こんどはユエホワが頭のうしろに手を組んでうなる。「そんなたいそうな役割、引き受けられるやつがいるのかっていわれるとなあ」
「あの子たちは?」祖母が人さし指を立てる。
「え」
「ん」
「あの子たち?」
「って、どの子たち?」私たちは目をまるくした。
「だれ?」ギュンテは首をかしげた。
「あの三人の、賢い子たちよ」祖母がウィンクする。「まじめな魔法大生たち」
 一秒の間、しん、としずかになり、それから
「えええーーーっ!」と、私たちはそろってさけんだ。
「だれ?」ギュンテは首を反対側にかしげた。

 ツィックルの木が、家ほどの高さにまで伸びたのを見とどけたあと、私たちは森を抜け、元いたところへもどった。
 聖堂は、フュロワ神の手助けもあったのだろう、すっかり完成して、何もなかった大地の上にどうどうとそびえ立っていた。
「へえ。すごいなあ」
「まあ、すてき」
「ほんと。美しいわ」
「すごーい」私たちは口々にほめたたえながら、新しい建物の中に足をふみいれた。
 しずかな聖堂の床の上には大きな魔法陣が描かれてあった。
 裁きの陣だ。
 その中に、フュロワ神とラギリス神、そしてルドルフ祭司さまをはじめ数人の祭司さまたちが立っており、魔法陣の外にならべられた椅子にすわるアポピス類たちに向かって、祈りの方法を教えていた。
「みんな、がんばっているわね」祖母が感心していう。「アポピス類というのは皆、こんなにいっしょうけんめいに学ぼうとするものたちなの?」父にきく。
「うーん」けれど父はなにか疑いを持っているようすだった。「大多数のアポピス類は、政治や経済という実務的なことには長けているけれど、宗教や哲学のような精神的な分野については、あまり関心がない種族だといわれていますけどねえ。ムートゥー類なんかはあらゆる分野に造詣が深く研究熱心ですが」
「ふふん」ユエホワがえらそうにふんぞりかえる。「だろ」
「じゃあ今ここにいる皆は、そうとう無理してがんばって話を聞いているってことなの?」母がきく。「えらいわね」
 そんなことを話しているあいだに、ギュンテも裁きの陣の中に入り、三人の神さまたちは何か話し合って微笑み合った。
 それからギュンテ神は椅子に座っているアポピス類たちの方を見て、一瞬目をまるくして、それから「おいお前ら、起きろ」と声をはり上げた。
 アポピス類たちは全員いっせいにびくっと体を飛び上がらせ、それからきょろきょろとあたりを見回しはじめた。
 椅子の上からにょろにょろと這って外に出て行くものもいた。
「ああ、やっぱり」父はなぜかほっとしたような声でいった。「そうだろうね。うん。それでこそアポピス類だよ」
「あれっ、寝てたのか、こいつら」フュロワがおどろく。「全員赤い目を開けてたから、てっきり起きてるんだと思ってた」
「こいつらヘビ型だから、目は閉じないんだよ」ギュンテが肩をすくめて説明する。
「皆の者、神を敬うことについては理解したのかの」ルドルフ祭司さまがめざめたばかりのアポピス類たちにきいた。「裁きの陣の使い方、祈りのしかた、それから」
「神って、なんだっけ」椅子に座るアポピス類の一人が質問した。
「ほらな」ユエホワがせせら笑う。「永遠の時間が必要だよ」
「ははは」父が困ったように笑う。
 そのときだった。
「いたぞ」誰かのさけび声が聞こえた。
 はっとして声の方にふり向くと、そこには聖堂から外へ出る扉がいっぱいに開け放たれていたけれど、誰の姿も見えなかった。
「あいつらか」ユエホワが後ずさる。
「えっ」私はユエホワを見て、また扉の方を見ながら、無意識のうちにリュックをたたいてキャビッチを取り出していた。

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