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 かぐわしく香る色とりどりの花にはたちまち実がなり、花びらはおしげもなくはらはらと散り落ちていった。ああ、とため息をもらす人もいた。私も、こんなにあっという間に散っちゃうなんてもったいないなあ、と思った。
「フュロワ神が、時間を早くまわしているんだろうね」父がつぶやく。
「えっ」私はおどろいた。「時間を?」
「そう。花たちの時間をね」父がにっこりと笑う。「ぼくたちがあっというまに老人になったりはしないと思うから、だいじょうぶだよ」
「そうなんだ」私は少しほっとした。
 そんなささやかな会話をしている間にも実はどんどん成長してゆき、花びらたちはすっかり散ってしまって、土の上に置いてあったキャビッチの葉も土の中にとけて消えたようになくなり、人びとはあとに残った実を採って、中の種を手のひらの上に取り出した。
 それは、小さな種だった。直径が1ミリか2ミリぐらいの、まん丸い種。色は、黒いのもあれば茶色のも、白いのもある。
「この種のときからもう、持ち主の魔力が反映されているんだよ」父が説明してくれる。「持ち主っていうのは土の持ち主ってことだけど、いまここにいる皆は、おなじく神つくりたての土を使っているから、またちがった力が加味されているのかも知れないね」その声はますます楽しそうに、わくわくしているように聞こえる。
 それから人びとは、各自が種をまくエリアを話し合って決め、その中でそれぞれ種を土にまいていった。早くすんだ人は時間のかかっている人を手伝ったりして、にぎやかに、楽しげに、その作業は終わった。
 私はもちろんはじめての種まきだったので、ぎこちない手つきでしどろもどろだったが、母が教えてくれ、父がいっしょに手伝ってくれたので(父もなれていないためしどろもどろだったが)、なんとか遅れをとらずにまき終えた。
 それからフュロワは、人びとを即席のキャビッチ畑から外へ出るように告げ、畑の土の上だけに霧のようなやわらかい雨を降らせはじめた。
 清らかな水の音と、心までがきれいになるようなすがすがしい香り。
 これは、聖なるセレアの水だ。
「すばらしい」父がささやくようにいう。「地母神界はいま水不足だから、神が特別に雨を用意してくださったんだ」
「すごい」私も心から感動しささやきをもらした。
「ねえ、ところで」母はとくにささやくこともなく、ふつうに私たちにきいた。「さっきから母さんの姿がみえないけど……どこかに行くっていってた?」
「ああ、お母さんなら」父は森の方を見て答えた。「ハピアの仲間をさがしに森へ入っていったよ」
「まあ」母はあきれたように言った。「勝手にそんなことして。だいじょうぶなのかしら」
「だいじょうぶだよ」父はにっこりとほほえんだ。「伝説のキャビッチ使いガーベラだもの」
 そんな話をしているうちにもキャビッチの種は土の中から小さな芽を、あちこちでつぎつぎにのぞかせはじめた。
 人びとは――もちろんその光景を、菜園界の自分たちの畑でこれまで何度も見てきた人たちなのだろうけれども、それでもあらためて、ほう、と感動のため息をつきよろこびを口にし合った。
 神のつくりたての土と、神が特別に降らせた雨とで芽生えたキャビッチだ。それは新たな感動を呼ぶのも無理はないだろう。
 私なんかは、キャビッチの芽ぶきそのものを目のあたりにすることじたいはじめてだったので、感動もひとしおだった。
 芽はたちまち大きくなってゆき、キャビッチの葉はくるくると内側にまるまって、いつも見ている魔法野菜の姿に育っていった。
 そうして即席のキャビッチ畑は、あっという間にたくさんのキャビッチであふれかえった。
「よし」フュロワが空に浮かんだまま腕組みをしてうなずいた。「それじゃあ俺は大工のやつらの方手伝ってくるから、キャビッチスロワーの皆は手分けして偵察しておいてくれ。よろしくね」そう言い残すと、すうっと姿を消し、はるか彼方の聖堂をつくっている人たちのところから、おおお、という歓声が聞こえてきた。移動したんだろう。
「じゃあ私たちも、森の中へ行ってみましょう」母がそう言い、箒の後ろに父を乗せて飛び上がった。私もつづく。
「そういえば、ユエホワもどこか行ったようだね」父がまわりを見回して言った。
 本当だ。
 どうりで、キャビッチを植えるあいだずっとしずかだったわけだ。
「もしかして、おばあちゃんといっしょに森へ行ったのかも知れないな」父が考えをのべる。
「行ってみましょう」母が森へ向けて飛びはじめる。私もつづく。

 森は、菜園界にある森とはだいぶ雰囲気がちがっていた。
 私たちの世界の森は、すずしくて、さわやかな香りがして、鳥が鳴いていたり、小さな生き物がときどき走ったり木の枝から枝へ飛びうつったりしているけれど、地母神界の森は、まずすずしくも、さわやかでもない。
 背の高い木々が数多くそびえているけれど、見たところ葉っぱがあんまりついていないようだ。ついていても枯れ葉みたいにかさかさしていて、緑色をしているものはほとんどない。
 木々の下、地面の上も、落ち葉や草などはなく、かさかさした砂地が見えている。
 動物の姿もない――まあ、今ここにはアポピス類しかすんでいないということだから、それはそうなんだろうけれど――ヘビの子一匹見えない。
 箒で飛ぶのにかぎっていえば、こっちの森の方が飛びやすい、かも知れない――すきまが多いから。
「母さんたち、どこにいるのかしら」前を飛ぶ母があたりを見回しながら言う。
「うーん」父もあたりを見回す。
「おばあちゃーん」私は飛びながら、大きな声で呼んでみた。「ハピアンフェルー」ついでに「ユエホワー」
「母さーん」
「ユエホワー」母も父も、飛びながら呼ぶ。
「ここよー」どこか遠くの方から、祖母の声が聞こえた。
「あ」母は右手の方にふりむき「こっちだわ」と向きを変えてスピードを上げた。私もつづく。
 しばらく行ったところで今度は下の方から、
「ここよー」
と、祖母の声が聞こえた。
 私たちはすぐさま箒を下に向け下りはじめた。
 そこにいたのは祖母と、緑髪鬼魔と、小さな光に包まれたハピアンフェルだけだった。
 妖精たちも、アポピス類たちも近くにはいないようだ。
「ここでなにをしてるの?」箒から下りながら、母が祖母にきいた。「妖精たちは?」
「いま、ハピアンフェルが呼びかけているのよ」祖母はハピアンフェル――祖母の頭の上に浮かび、ふわ、ふわとほんの小さな光をまたたかせている――をそっと手でしめした。「この森、ひどいありさまでしょ。これも妖精が――粉送りたちがやったようだわ」
「まあ」母は眉をひそめ、あらためて頭の上の枯れた木々を見回した。「彼らはどうしたいのかしら、この世界を」
「大多数の妖精たちは、アポピス類から自由になって、あいつらと棲み分けをすることを理想としてるんだろうけど」ユエホワが答える。「でもこの森を枯らしたやつらは、それだけじゃ腹の虫がおさまらねえんだろうな。もしかしたらアポピス類を全滅させようなんて思ってるのかも」
「ゼンメツ?」私は思わず大きな声でききかえした。「そんなことできるの?」
「そりゃ、水も草木も枯れ尽くしたら、アポピス類でなくてもここで生きていくことはできないだろうよ……妖精たちはこの地母神界を、妖精だけの世界にしたいのかも」
「えっ、じゃあ、ラギリスはどうなるの?」私はまたききかえした。「妖精の神さまになるってこと?」
「さあ」ユエホワは首をかしげた。「でも神なら、水や草木が枯れても死んだりしないだろうしな。けっきょくそうなるんじゃねえの」
「ええー」私は、小さな妖精たちがふわふわと飛び回る世界の中でただ一人ラギリス神がたたずみ、ひそひそと何をいっているのかわからない話をつぶやく場面を想像した。
「いや、ラギリス神はアポピス類の神だから、きっとアポピス類たちを全力で護るはずだよ」父は首を振りながら言った。「きっと、妖精たちに対しても、なんとかして説得してくれるはずだ」
「そうかなあ」
「そうかなあ」私とユエホワは同時にギモンの声をあげた。

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