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(5)予想外の話

 土曜の夜。玲は時間を見計らって残業に区切りを付け、職場である結婚相談所を出た。その足で春日との待ち合わせ場所であるバーに出向くと、相手は既にカウンターに座ってグラスを傾けていた。

「悪いわね、急に呼び出した上に遅れてしまって」
 声をかけながら隣に座った彼女に、仕事帰りだと一目で分かる弁護士バッヂを付けたままの春日は、笑いながら応じた。

「俺が早く着いただけだ。そっちは時間通りだから気にするな。それに、他に気軽に呼び出せる人間がいなかったんだろう? お互い様だ」
 それに、注文を済ませた玲が苦笑する。

「本当にね……。三十過ぎると家庭があるか仕事が忙しいかで、付き合って貰うのも気が引けるわ。ところで、仕事の方は大丈夫だったの?」
「詰まっているなら、無理には来ない。それで、今日はどうした?」
「今度こそ、仕事を辞めたくなったかな……」
 力なく笑いながら、いきなりそんな気弱な事を言い出した玲に、大学時代からの友人である春日は、少々意外そうに問い返した。

「らしくないな。どんな無茶ぶりをしてくるクライアントでも、年々厚くなる面の皮を最大限に発揮して、笑顔で婚活をサポートしてきたんじゃないのか?」
「それはそうなんだけどね……。今週は日曜から色々あった上、今日、面と向かってクライアントに『担当から外れて』と言われたの」
「どういう事だ? お前は職場でもそろそろベテランの域に入っているだろうし、そうそうへまをするとは思えないが」
 益々要領を得ない顔付きになった春日に、玲は静かに目の前に出されたソルティードッグを一口舐めてから話を続けた。

「詳細は省くけど、担当しているクライアントの一人に、データマッチングでのお見合いで連戦連敗している女性がいてね。今日店舗で、反省会兼今後の方針確認みたいな場を設けたんだけど、そこで『三十過ぎで未婚の人に、偉そうに説教される筋合いは無いわ!』と逆ギレされたのよ。別に、偉そうに説教したつもりは無かったんだけど……」
 それを聞いた春日は、彼女の左手を一瞥してから淡々と言葉を返した。

「結婚指輪をしていなければ、結婚相談所に勤務しては駄目だというわけか? そんな狂人は放っておけ」
「それだけなら、どうとでも宥められたんだけど……。傍にいた後輩が、『私と違って先輩はちゃんと結婚しています。ご主人とは結婚して二年経たずに死別していますが』と口を挟んできてね。騒ぎが大きくなってしまって」
「そんな奴は、新人研修からやり直せ」 
 あからさまに不機嫌そうに吐き捨てた春日、玲は溜め息を吐いてから困り顔で宥めた。

「その後輩に、悪気は無かったのよ。確かに支店長から厳重注意を受けたけど」
「それにしても無神経過ぎるぞ。お前の所は、れっきとした客商売だろうが」
「そう言わないで。それで、その後輩の話を聞いた彼女の主張は『結婚して二年足らずで旦那に死なれた女なんて、縁起が悪い。今まで自分が何回も相手からお断りされたのは、担当者が悪運付きだったからよ』だったの」
 それを聞いた春日の眉間に皺が寄ると同時に、彼が手にしていたグラスの中で、氷が耳障りな音を立てた。

「そういう主張を平気で繰り出す無神経で頭の悪いところが、これまでの相手に嫌がられたんだな。今すぐ、そいつの名前と住所を教えろ。精神的苦痛を受けた事に対して、慰謝料を請求してやる。友人の誼で、依頼料はタダで良い」
「質の悪い冗談は止めて」
「俺は本気だ」
「や め て」
 訴える気満々の相手に玲が語気強く言い聞かせると、春日は溜め息を吐いてから不承不承頷いた。

「……分かった。今日は土曜だし、それが仕事に嫌気が差した決定打としても、他にも何かあるよな? さっき『日曜から色々あった』と言っていたし」
「うん……。実は日曜に、真吾の七回忌があったの」
 多少穏便な話題に変えるつもりが、見事に地雷を踏み抜いてしまったと感じた春日は心底後悔したが、不自然に話題を変える事もできず、玲と同様に友人であった彼について言及した。

「早いな。真吾が死んでから、もう六年経ったか……。案内は来なかったが」
「うん。これまで通り、向こうのご両親が仕切っていてね。私は完全に蚊帳の外よ」
「…………」
 玲が自嘲気味に語ると、春日は怒りと痛ましさが混在した微妙な表情になった。それを見た玲が、困ったように相手を宥める。

「そんな顔をしないで。お義父さんとお義姉さんは、今回もちゃんと連絡をくれていたの。だけど……、毎回お義母さんを不機嫌にさせるのは申し訳無いし、法要を執り行うお寺には出向いたけど、お義姉さんと山門の所で待ち合わせて、お布施と例の用紙を言付けて帰って来たの」
 それを聞いた春日は、少し驚いた顔になって確認を入れてきた。

「例の用紙って……。まさか、あの姻族関係終了届と復氏届の事か?」
「そう。一応、ちゃんと書いて出しますからという報告のつもりで。でも……、ある意味、嫌みだったかしら?」
 そこでグラスを見下ろしながら自問自答するように呟いた玲に、春日は真顔で意見を述べた。

「わざわざ送り付けてきた位だし、別に嫌みでも何でも無いだろう。だが……、本当にそれで良かったのか?」
「正直言うと、本当に良かったかどうかは分からないけど、顔を合わせる度に『あんたのせいで真吾が早死にした』とか『まともに看病して貰えずに死ぬなんて不憫過ぎる』とか言われていたら、さすがにね」
 自嘲気味に笑いながらそんな事を言われた春日は、舌打ちしたいのを堪えながら話を続けた。

「前にも言ったが真吾が病気になったのはお前のせいじゃないし、真吾が入院してからもお前が仕事を辞めなかったのは、向こうの親父さんが後々の事を心配して続けるように言ってくれたからだよな?」
「ええ。進行性で、発見された時は既に手遅れの状態だったし、大学を卒業した翌年に結婚して大して蓄えも無かったし生命保険にも入っていなかったもの。お義父さんもお義姉さんも、そこは理解してくれたわ。ただ、お義母さんの気持ちも分かるし……」
「単に息子が早死にした事を受け入れる事ができずに、嫁に八つ当たりしているだけだ。年長者なら、年長者らしい対応をするべきだろうが」
 春日は忌々しそうな顔になり、玲はそんな彼から視線を逸らしながら呟く。

「真吾が余命宣告されてからも死んでからも、一心不乱に仕事を続けてきたけど、今日のような事があると私のような人間がこの仕事を続けていて良いのかなと、ちょっと考えてしまってね」
「『私のような人間』って、どういう意味だ」
「悪運付きの疫病神?」
 軽く首を傾げながら自問自答するように玲が告げると、春日は明らかな渋面となった。

「お前にしては、随分らしくない物言いだな」
「偶には良いじゃない。今までも、散々愚痴を聞いて貰っているんだし」
「それならここは1つ、ちょっと気分と運気を変えてみるか?」
 そんな思いがけない事を言われた玲は、不思議そうに春日を見返した。

「気分と運気? どうしろって言うの?」
「これを貰ってくれれば良い」
 すると春日は、上着の内ポケットからある物を取り出してカウンターに置き、更にそれを玲の手元に押しやったが、それを見た彼女の目が驚きで丸くなった。

「……何、これ?」
「一応、結婚指輪のつもりだ。佐倉の、左手薬指のサイズに合わせてある」
 視線の先にある極小サイズのユニパックに入れられた代物について、この上なく大真面目に答えた相手に、玲は頭痛を覚えながら問いを重ねた。

「突っ込みどころが満載ね……。どうして私の指のサイズを知っているのかはひとまず置いておいて、付き合ってもいないのに婚約指輪をすっ飛ばして結婚指輪が出てくる理由を聞かせて欲しいわ」
「婚約指輪は、真吾が買った物があるだろう? また欲しいならついでにそれも贈るが」
 平然とそんな事を言われてしまった玲は、溜め息を吐いて項垂れた。

「春日君って一見常識的なのに、時々ものすごく個性的な発想をするのは、以前から分かっていたつもりだったけどね……。それならどうしてそんな物が小型サイズのユニパック入りで、仕事帰りのスーツの内ポケットから出てくる理由を知りたいわ」
「毎日リングケースに入れて持ち歩くとかさ張るし、かと言って剥き出して持ち歩くと無くしそうで不安だったからだ」
 玲はそこまで聞いて、不審そうに尋ねた。

「『毎日』って……。具体的には、どれ位持ち歩いていたのよ?」
「もう、五年位にはなるか? 我ながら、諦めの悪い事だ」
 そう言って自嘲気味に笑った春日を見て、玲は唖然としながら無意識に呟く。

「……馬鹿なの?」
 しかし彼はその正直な感想に気を悪くしたりせず、寧ろ同意するように頷く。
「ああ。十分、馬鹿の部類に入るな。三十過ぎで独り身だと、男だと男好きなのかとあらぬ疑いをかけられるのに、女だとそんな事が無いのが理不尽過ぎる」
 そんな事を真顔で言われてしまった玲は、思わず「ぶふっ」と小さく噴き出してしまった。

「ごめん。笑うところでは無いわよね」
 すぐに苦笑しながら弁解すると、春日は軽く肩を竦めてから話を続けた。

「じめじめしているよりは良いさ。ここでこんな風に仕事を辞めたら、お前は今まで仕事を続けてきた事だけではなく、真吾と結婚した事までこれからずっと後悔しかねない。そんな事になったら、真吾が不憫過ぎる」
 春日の真顔での主張を聞いた玲は、僅かに驚いたように瞬きした。

「……それで? どうして五年位持っていたそれを、今、ここで、引っ張り出す気になったわけ?」
 そもそもの疑問を口にした玲に、春日は何となく少し考え込む素振りを見せてから、神妙に語り出した。

「前々から、お前が真吾との事を良い想い出に変える事ができたら、プロポーズするつもりだった。だがこれまで色々、引きずっている感じだったからな。特に、真吾の母親との事とか」
「否定はしないけどね……」
「お前に真吾との結婚生活を否定させるつもりは無いし、忘れる為の逃げ道になるのも御免だ。だが言葉は悪いが、向こうの親と縁を切る決断ができたのは、ある程度割り切る事ができたと判断した。一つ聞くが、親とは上手く付き合えなかったが、真吾との結婚自体を後悔してはいないだろう?」
「ええ、勿論よ」
「それなら良い。これからもそう思えるように、今後はつまらない事でうじうじ悩まないように、俺が面倒をみてやる」
 淡々と告げられた内容に、玲は呆れ果てながら文句を言った。

「何なのよ……、その変な自信は。それにいきなりこういう物を持ち出されて、『はい、貰います』と素直に受け取ると思うの?」
 その問いかけに、春日は苦笑しながら即答する。

「無理だな。だが良い機会だから、貰ってくれ。付けるつもりが無ければ、捨ててくれて良い。俺が持っていても、お前以上に使い道がないからな。そういう事だから、俺は帰る。これで清算してくれ」
「ちょっと待ってよ!」
 いつの間にか取り出していた財布から、春日は話の最中に抜き出した一万円札をカウンターに置き、さりげなく立ち上がって歩き出す。その為、玲は慌てて腕を伸ばし、彼の左腕を掴まえた。しかし困り顔の春日から、微妙に懇願する口調で言われてしまう。

「この場でこれを突っ返されるのは、お前が姑に罵倒される程度には、心が折れそうなんだよ。頼むから男の心情とかプライドとか、そこら辺を少しは察してくれ」
「…………」
 そこで咄嗟に言い返せなかった玲は、渋面になりながらも春日の腕から手を放し、春日は「悪いな」と苦笑いしてから悠然と歩き去った。

「言い逃げしやがったわね……」
 睨み付けるようにしてバーの出入口から出て行く春日を見送った玲は、脱力したように再びカウンターのスツールに座った。

「本当に、馬鹿みたい。何なのよ、付き合うのをすっ飛ばして結婚って……。しかも指輪を準備したのが五年前って、それ以前から私の事を好きだったとでも言うつもり?」
 玲は目の前のユニパック入りの指輪を凝視しながらそんな自問自答をしたが、それに対する明確な答えは当然得られなかった。

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