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(3)追究と追憶

 予めメールで連絡を取り、相手が通話可能な時間帯を確認してから、玲は久し振りに大学時代の友人へ電話をかけた。

「陽菜、久しぶり。元気だった? 今だったら大丈夫よね?」
「うん、子供はちゃんと寝かしつけたから平気よ。二人ともなると、もう毎日が戦場だわ~」
「本当にお疲れ様」
「それにしても、連絡してきたのは本当に久しぶりね。どうかしたの?」
 結婚や出産を契機に自然に相手の都合を考えるようになり、以前のように頻繁に連絡を取らなくなって久しく、陽菜は言外に何か重要な用件かと尋ねてきたが、玲は苦笑まじりに理由を告げた。

「ごめん、大した事では無いんだけど、五年位前に陽菜が『男避けに』と言ってくれた指輪があったでしょう? あれが初めて役に立ったから、思い出して電話してみたのよ」
「へぇ? それはまた、どういう状況下で?」
 興味津々で話の先を促してきた陽菜に、玲は昼間の経緯を説明した。それを聞き終えた陽菜は、半ば呆れながら確認を入れてくる。


「それはそれは……。面倒なお客に目を付けられたのね。一応聞くけど、その人と再婚する気は無いの?」
「二十代で離婚したり未亡人になった女は、借金を抱えていたり変な病気を貰っているかもしれないそうよ」
「うん、無いわ。あり得ない。そんな馬鹿の相手をしなくちゃいけないなんて、玲の職場ってある意味ブラックね」
 即答した陽菜に、玲は苦笑いで応じる。

「そんなに困った人がゴロゴロしていないわよ。大抵の人は、真面目に婚活に取り組んでいるから」
「それにしてもね……。あんた達も指輪の一つ位、作れば良かったのに。式も後回しにして、落ち着いたらゆっくりとか言ってたら、あっという間に桐谷君が発病しちゃって」
「……そうね」
 溜め息を吐きながら独り言のように言われた内容に、玲は控え目に同意した。するとそれで我に返ったらしい陽菜が、慌てて弁解してくる。

「ごめん! 責めてるわけじゃないのよ!? ちょっとタイミングが悪かったなと思ったら、つい口に出ちゃって!」
「うん、悪気は無いのは分かってるから」
「そう? 本当にごめん」
 そこで陽菜が本気で謝ってから、何やら慎重に尋ねてくる。

「……あのさ、玲。この際だから、ちょっと聞いても良い?」
「何?」
「さっきの人は論外だけど、本当に再婚する気は無いの? 桐谷君が死んで、そろそろ六年だよね?」
 それを聞いた玲は、苦笑しながら言葉を返した。

「別に、何年経ったら再婚しないといけないと、決まっているわけではないでしょう?」
「何となく……、玲が向こうに義理立てしているような気がして。ほら、あの気の強いお姑さん。お葬式の時の、玲のお母さんとの取っ組み合いの大喧嘩は、本当に凄くて度肝を抜かれたわ」
「……できれば、思い出させないで欲しかったわ」
 つい最近、夢で見たばかりの光景に、どうしてこのタイミングで口にしてくるのかと、玲は思わず項垂れた。しかし陽菜が重ねて問いかけてくる。

「私も思い出させたくは無かったけど、あのお義母さんに今でも難癖を付けられたり、嫌がらせをされたりしてないの?」
 そこで思わずカウンターに目を向けた玲は、何とも言いがたい表情になった。

「別に……、嫌がらせとか、そういう事は特には……」
「何なの? その微妙に煮え切らない物言いは?」
「本当に、何も無いから。それじゃあそろそろ切るわね。せっかくの睡眠時間を削ったら悪いし」
「分かった。それじゃあね」
 疑わしそうに尋ねてきた陽菜だったが、やはり長電話はできなかったらしく、
素直に通話を終わらせた。

「本当に、どうしようかしら……」
 玲の視線の先には相変わらず届出用紙があり、更にその奥に飾ってある夫とのツーショット入りのフォトフレームも同時に視界に入れた彼女は、憂鬱な表情で溜め息を吐いた。

 ※※※

 土曜の夜、自宅の固定電話に着信があったものの、その発信者番号に見覚えが無かった春日は、怪訝な顔で受話器を取り上げた。

「もしもし?」
 慎重に問いかけた彼に、相手が確認もせずに捲し立ててくる。
「長井陽菜、旧姓戸塚陽菜よ。まさか分からないとか言わないわよね? 春日優輝」
 それを聞いた春日は、大学時代に同じくワンダーフォーゲル部に所属していた人物の事を思い出し、相変わらずだと笑いながら応じた。

「いや、幸いそこまで耄碌してはいない。しかし電話をかける時は、先に相手を確認した方が良いぞ?」
「そうね。そっちの連絡先が変わっていなくて助かったわ。玲に聞いたら、絶対何事かと思われるだろうし」
 ここで玲の名前が出てきた事で春日は僅かに眉根を寄せたが、いつも通りの口調で続けた。

「ところで、悪い事は言わないから止めておけ」
「は? 何を止めろと?」
「離婚を考えていて、俺に代理人を頼むつもりだろう?」
 ちょっとふざけて言い返してみると、電話越しに陽菜の地を這うような声が伝わってくる。

「あらあら……。あんたの電話、買い替えた方が良いんじゃない?」
「ちょっとしたジョークだ。邪念を送るのは止めて貰えないか? ワンゲル部史上最凶電子機器クラッシャーのお前にかかったら、それだけで容易く破壊されそうだ」
「昔から、あんたの冗談は笑えないのが大半だったけどね……。他人の黒歴史を蒸し返すのは、止めてくれないかしら?」
 うんざりとした声で言われた春日は、それ以上からかうのは止めて話を元に戻した。

「それで? お前から連絡を貰うのは卒業以来初めてだし、本当に思い当たる節が無いが、用件は何だ?」
「玲の事よ」
「佐倉がどうかしたのか?」
「何よ、最近連絡を取り合ってないの?」
 そこで意外そうに問われた春日は、正直に告げた。

「今日は土曜日だから……、一昨日の木曜日、見舞いがてら様子を見に行った。風邪をひいて寝込んでいたからな」
「は? 一昨日、マンションに行ったわけ? 何をしに?」
「食べ物と飲み物持参で様子を見に行った。それが何か?」
 すると電話越しに溜め息を吐く気配が伝わり、重ねて問われる。

「あんたの事だから、本当にそれだけで行ったのよね……。もう少し、詳細を聞かせてくれるかしら。今、どれ位の頻度で玲と会っているの?」
「月一位か? パソコンが固まったとか、埋め込み式の照明のカバーの開け方を忘れたとか時々相談を持ちかけられるが、直に見た方が早いしな」
「大抵、玲から連絡が来るわけ?」
「半々かな? 俺の方から連絡する事はあるし」
「因みに、どんな用件で連絡するの?」
「先月は、兄の所に二人目が生まれたから、出産祝いに何か贈りたいから選ぶのを手伝って欲しいと頼んだ」
 何気ない口調で春日が告げると、陽菜が呻くように言ってくる。

「出産祝い……。あんた、何でそういう無神経な事を……」
「本人は十分楽しんでいたぞ? 基本的に可愛い物が好きだからな。『あれが良いこれが良い』と散々目移りして一日がかりになったから、昼食と夕食を奢った」
「その間、あんたは何をしていたのよ?」
「何を見ても同じにしか見えないから、黙って見ていた。因みに、出産祝い云々は嘘だ」
「え? どういう事?」
「その少し前に佐倉に電話した時、ちょっと仕事の事で滅入っていた様子だったから、気分転換に連れ出す為の口実だ。選んだ物は、俺の勤務先のパラリーガルに、簡単に事情を説明した上で譲った。だから佐倉には本当の事は言うなよ?」
 一応春日が釘を差すと、陽菜からは憤然とした声が返ってきた。

「だぁああぁっ! 本当にあんたって、昔からそうよね!」
「『そう』とは?」
「さりげなく企画、さりげなくフォロー。便利屋にはならないけど、周囲に妬まれるヘマもしない、変に目立つ最前列から一歩か二歩退いた、世渡り上手な三列目の男! 単なる三枚目だったら、指さして笑ってやるのに!」
「支離滅裂な事を言われているみたいだが、それは一応、誉め言葉だと思って良いのか?」
「一応ね! だけどあんた、玲に関してだけは昔からヘタレよね!? 一体玲の事を、どう思ってるのよ?」
 そんな事を断言されてしまった春日だが、怒り出したりはせず、寧ろ笑いを堪えながら答えた。

「昔も今も、友人だと思っているが?」
 特に気負う事無く述べた春日に対し、陽菜は盛大に舌打ちした。

「そこで即答するのが、胡散臭くて仕方がないわね。少しは動揺したり、躊躇いなさいよ。可愛いげが無さ過ぎるわ」
「無理だな。三十過ぎの男に可愛いげを求めるな」
「そうね。一歩間違えるとストーカーの粘着質男に、そんなのを求める方が間違っているわね」
「随分な言われようだ」
 あっさり切り捨てられて春日は苦笑したが、陽菜は容赦しなかった。

「だって玲が桐谷君と結婚する前から、あなたは彼女の事が好きだったじゃない。面には出さなかったけど、あなたか玲と親しかった人間にはバレバレだったわよ。桐谷君の手前微妙過ぎるし、玲自身が全く気がついていなかったから、誰も口に出さなかったけど」
「だから? 俺は別に違法行為はしていないし、誰にも迷惑をかけていない」
「そうね。おとなし過ぎるのよね。いつまで玲を一人にしておくつもり? 横からどこぞの馬の骨にかっさらわれても知らないわよ? 最近職場で、顧客に言い寄られたそうだし」
「……それは初耳だ」
 少々意外そうに応じた春日に、どうやら多少は相手の意表を衝けたらしいと、陽菜が機嫌良く話を続ける。

「ところで、確認がすっかり後回しになったけど、どうせまだ独身だし、玲以外の決まった相手もいないんでしょう?」
「それこそ人の勝手だな。他人にどうこう言われる筋合いは無い」
「それなら結構。桐谷君が死んでから、何年経つと思ってるのよ。いい加減にそろそろ動いたら? 話はそれだけよ。邪魔したわね」
 そこで陽菜はいきなり通話を終わらせたが、春日は怒り出したりはしなかった。

「本当に、相変わらずだな。言いたい事だけ言って問答無用で切るとは。彼女らしいが」
 ひとりごちながら受話器を戻した春日は、何気なくリビングボードに飾ってある集合写真を眺めた。

「今思えば若造のくせに、随分と説教臭い事を言ったな」
 そんな事を呟きながら、彼は七年程前のやり取りを思い返した。

 ※※※

「失敗したな……」
 その時、友人の入院先に見舞いに出向いていた春日は、話が途切れたタイミングで真吾が何やら呟いたのを聞き逃し、怪訝な顔で尋ね返した。

「真吾? 今、何か言ったか?」
「失敗したな、と言ったんだ。こうなるのが分かっていれば、玲と結婚しなかったのに……」
 自嘲気味に笑いながらそんな事を口にした相手を、春日は反射的に叱り飛ばした。

「お前! 佐倉と結婚した事を、後悔しているとでも言う気か!?」
「だってそうだろう? こんなに早く置いていく事になるなんて」
「ふざけるな! 最初から彼女を不幸にするつもりで、結婚したわけでは無いだろう! お前はこれまでの彼女との全てを、全否定するつもりか!?」
 相手の怒りの程が分かったのか、真吾はすぐに神妙に俯きながら謝罪してくる。

「……そうだな。今のは、ちょっと口が滑った。聞かなかった事にしてくれるか?」
 それを聞いた春日は表情を和らげ、溜め息を吐いてから静かに確認を入れる。

「俺は何も聞いていない。他の奴にも言っていないよな?」
「ああ、誰にも言っていない」
「それなら良い」
 そして何事も無かったかのようにいつもの顔に戻った春日を見た真吾は、鬱屈した表情から一転して楽しそうに笑った。

「お前のそういう所、俺は好きだな」
「男に好かれても嬉しくは無い」
「正直な奴」
 そっけなく言い返された真吾は失笑し、釣られて春日も笑い出して、その日は互いに笑顔で別れたのだった。

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