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第1話 映画館で働くことが好きだった

「ねえ、結衣、この前さ、テレビで変な映画を見ちゃって」
「どんなの?」
「なんかね、アメリカのどっかの町がウイルス兵器に汚染されちゃうの。それで、どうがんばっても学者には見えない、いかついオジサンが科学者なのに格闘技でテロリストと戦うっていう」
「あー、はいはい。スティーブン・セガールの『沈黙の陰謀』か。また、くだらないのを見るね」
「大学の卒論を書いてる最中の気分転換になるかと思ったんだけど、見てる最中も見たあともずっとモヤモヤして、見るんじゃなかった。主人公はなぜかまったく感染しないし、街を消毒もしないし、最後も特効薬がどっかのお花だってわかって、そしたらヘリコプターで街中にそのお花をばら撒いて終わり。ウイルスとか感染とか詳しくない私でも、これはちょっと適当だなと」
「涼子はハズレを引くよね。たまたま見た映画がたいていひどいっていう」
「うん、映画館でも隣の人がずっとイビキかいてたり、前の人の頭で字幕が見えなかったり。本当に映画運が悪くて。映画館で働いてる結衣に運をもってかれてるのかも」

 涼子から素朴な映画の感想を聞くのが好きだ。仕事柄、周囲には映画に詳しい人が多く、専門的な批評を聞かされる。そういう話も興味深いが、なんかもっと、こう純粋に受け止めるだけじゃだめなんだろうか。

「結局、タイトルの『沈黙の陰謀』はどういう意味なの?」と涼子が聞いてくる。
「それは、日本向けの邦題だから、本来のタイトルは別にあるよ。同じ俳優の出てる映画は日本ではだいたい、沈黙のなんとかって邦題で売られるんだ」
「ふうん。でも、陰謀は普通、黙ってるものなんじゃないのかな。なのにわざわざ、沈黙とか」
「そういう、みなまで言っちゃうところが涼子らしいよね」
「えっと、それはバカにしてるんですかね?」
「いやいや、思ったことを素直に言う、いい子ってことだよ」

 暖冬でコートの要らない十二月のとある夕暮れ。私たちは、しょうもないウイルスパニック映画をネタに談笑をして過ごした。

 × × ×

 異変に気づいたきっかけはノドの渇きだった。やたらとノドが渇いた。仕事中にむやみと飲み物を飲むわけにはいかないから我慢していると今度は熱っぽい感じもしてきた。早退し、だるい体でふらつきながら帰宅後、検温すると三十七度ほどの微熱。いつもこの時期は花粉症に苦しんでいるが、くしゃみや鼻水は特にない。これは新型のウイルス感染症ではないのか。一気に不安が押し寄せた。接客商売だから、勤務中も私用の外出時も常にマスクをし、手洗い、消毒も欠かさなかったのに。
 
 不要不急の外出を自粛するようにとの政府の要請もあり、二月下旬頃から映画館への来客数も日に日に減った。それでも来てくれるお客さんはいた。あの人たちにとって、映画を見に行くことは、決して不要な用ではなく、重要な行いなんだろう。私もその気持ちに応えたかった。だからこそ、感染リスクを極力減らすように映画館も私自身も気をつけていた。

「僕ら二人で来てるんですけど、やっぱり、隣同士では座っちゃだめなんですよね……」
「はい、大変申し訳ございませんが、すべての座席が隣り合わないように一席分の間隔を空けて、チケットを販売しております」

 私が早退した日、話しかけてきた常連の若い男女のペア客に心苦しい説明をした。サービスデーの水曜日に訪れることの多い二人は、よく一番大きいサイズのポップコーンを一つ買い、仲むつまじく劇場に入って行く。感染対策の措置に残念がるも映画は好きなのだろう、その日も一つ空けた横並びの座席を買ってくれた。

 映画館で働くことが好きだった。もちろん、映画を見ることは好きだが、マニアというほどではない。ジャンルも芸術映画や、いわゆる通好みのものより、わかりやすいエンターテイメント志向の作品がいい。映画好きが高じてというより、日常の中でわずかな時間の非日常を届ける空間に惚れたのだ。遊園地やライブハウスは私にはテンションが高すぎる気がして、映画館くらいがちょうどよかった。大学も退学してしまうくらいのだめな自分だが、映画館のバイトは三年近く続いていた。

 だから、自分が新型のウイルス感染症に罹ったことを知ったとき、なにより心配だったのは、自分の健康より、映画館とお客さんのことだった。同僚やお客さんを経由して感染した可能性など考えもしなかった。自分が他の人たちにうつしてしまっていたら。想像するだけで震えた。

「県内五十七例目となる、新型ウイルスの感染者が確認されました。新たに感染が確認されたのは、映画館に勤める二十代の女性で、現在入院中とのことです。市は女性の行動歴の確認を急いでいます。働いていた映画館は、女性が陽性と判明した翌日より臨時休館中です」

私は五十七番目の女か。

(続く)

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