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 十月十二日水曜日 午後二時二十分
 一海寺庫裡(居室)

 小木原鎮は光悦とその息子とともに、庫裡内で文書等を保管している場所とそれ以外の思い当たるところ全部の捜索に取りかかっていた。
 光悦の言う古文書など今まで見たことも聞いたこともなく、存在するとも思えないが、この状況を打破するために行動するしかなかった。
 聞けば聖徳の祖母は鎮たちが子供の頃、近所で畏怖の対象にしていた庄司のおばはんだという。豪傑で婿養子の夫を尻に敷き、鎮たちがいたずらしていると必ず拳骨を振るい、ちゃんと修行を積めと叱った。
 寺社の跡取りに対するただの小言だと思っていたが、おばはんにはいずれこうなることが見えていたのかもしれないと思うと、鎮は聖徳の話を信じざるを得なかった。
「みつかりませんね。思い当たる保管場所は他にはもうないんですか?」
 鎮の前に座る三上が古い檀家台帳など書類の束から目を上げる。
「ないなあ――」
「お前が覚えてないだけやろ」
 三上の隣に座る光悦が束から顔も上げずに吐き捨てた。
「ちっ、ほんまにおのれは憎たれ口しか吐かんのう」
「もうっ二人ともっ」
 三上の叱責で鎮の頭にふと幼少期の思い出が蘇った。
 父親にこっぴどく叱られ暗くて狭い場所に閉じ込められたことがあるのだ。真の暗闇はいたずら好きのくせにびびりな鎮少年には効果てきめんだった。あまりの恐怖に今までその存在すら忘れるほどに。
 あれはどこだったか。
「あ、思い出した。本堂や。内陣の床下――」
「そこにあるんですかっ?」
 三上が身を乗り出す。
「古文書あんのかはわからん。そやけど床下に隠し収納庫あったんは確かや。子供ん頃、罰で放り込まれた覚えあるよって」
 鎮の言葉で光悦が馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「ちっ。ほんまに腹立つやっちゃ――」
 光悦に向かって腰を上げた鎮よりも早く三上が立ち上がり「早く行きましょう」と鎮の腕を取る。
「こいつの記憶ら当てにならんで」
 そう言いながら光悦も腰を上げた。

 居室からの長い廊下を経て本堂の障子を開けると奥の須弥壇から黄金に輝く御本尊が見下ろしていた。
 線香の残り香を含む空気を乱し内宮まで入った鎮は素早く須弥壇に向かって手を合わせしゃがみ込んで座具をずらす。
 その下にあるのはいつものただの板間だったが、よくよく見ると小さな長方形の切れ込みがある。
「ここですか?」
「すっかり忘れとったわ。そやけどどないすんや、これ」
 切れ込みをなぞってみるものの開け方も覚えていない。そもそも自分で開けたことはないのだから知らないのは当然で、とりあえず爪を立てたり指先で押したりしてみた。
 片方の端を押した時もう片方が浮いた。
「取っ手になりましたね」
 三上の言葉に鎮はうなずき、その部分に指を入れて板を持ち上げる。
 床板の幅二枚分の正方形の暗い空間がその下に現れ、仄かに黴臭い空気が立ち上る。
 鎮は一瞬躊躇した。仁子以外もう怖いものはないと思っていたが、まだ暗所恐怖症は治っていなかった。
「優光君、すまんが覗いてくれへんか」
「わかりました」
「ぷっ、まだ怖いんか」
 光悦を睨みながら鎮は立って三上に場所を譲った。
 三上が躊躇もせず足から入って中にしゃがんだ。頭の位置が床より下になる様が闇に吸い込まれていくように見え、鎮は眩暈がした。
「何か明かりをくれませんか」
 三上の声で我に返り、慌てて前机の燭台に火をつける。「気ぃつけてや」と差し出すと、三上がうなずいてそれを受け取った。
 蝋燭の火に照らされて板に囲まれた内部が浮かび上がる。収納庫は細長く奥行きがあるようで、三上の頭が床下に消えた。
「棚がありますね。さっきのよりかなり古い台帳がまだまだあります。あれ? これ――」
「あ、あったんか?」
 光悦が寝転んで頭を突っ込む。
「いえ違います。ちょっと待ってください――あっこれだ。ありました」
 ごそごそと物音がして三上がバックしてくる。先に左手の燭台を光悦に渡し、一本の巻子本と一冊の折本を取り出してきた。
 鎮は床に座ってそれを受け取った。
 変色した巻子本の表には『猪狩山異聞』、それよりも比較的きれいな折本には『一海寺覚書』と筆墨で書かれてある。
「ほんまにあったんやなあ」
 鎮は深く息を吐くようにつぶやいた。
「ほれ見い、わしのの言うた通りや」
 したり顔の光悦を横目に鎮は床下の三上に目を向けた。
「まだなにかあるんか?」
「はい。これも関連しているものかと」
 そう言いながら文箱より一回りほど小さな桐の箱を取り出して来る。蓋に『猪狩山祭具』と書かれていた。
 その時、廊下を走って来る足音が聞こえ、障子が開くと同時に仁子が飛び込んできた。
「あなたっ、恒徳が帰ってきたでっ」
 気丈に振る舞っていたが一人息子の安否をよほど心配していたのか、笑顔に涙を溜めている。
 それは鎮も同じだった。座していなかったらその場でへなへなと座り込んでいたに違いない。
「そうかっ、よかった、よかった」
 先に返事する光悦の声と床下から顔を出した三上の安堵の溜息が鎮の耳に届いた。

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