揚げ小倉トーストサンド①
アシュレインの平穏が今日も続く昼下がり。
ゆっくりゆっくりと街道を行き交う人通りの中、薄い金の長髪と涼しげな風貌が目立つ、衛兵服を着た一人の男性が通ると道行く人々はすぐに彼の為に道を開けた。
「ああ、すみません。皆さんありがとうございます」
風貌通りに、声も涼やかで耳通りがいい。
その何気ない労いの言葉だけでも、若い町娘や少し年老いた女性達の頬をほんのり赤く染めさせ、男達はそれを見て苦笑いしていた。
そんな彼が、時折似た挨拶をしながら道を歩いていると、商業ギルドの辺りである人物が声を掛けてきた。
「よぉ、衛兵隊の隊長が久しぶりに出てくるとは珍しいなぁ? イレイン」
「これは……ロイズさん、お疲れ様です」
商業ギルドの若き現ギルドマスター、ロイズ=マッグワイヤー。
衛兵隊の隊長であるイレインより、よっぽど恵まれた屈強な体格が今日も眩しいが、彼は今は休職中でもランクAの冒険者。
時折耳にするが、少し離れたところにある冒険者専用の訓練場で鍛錬する姿を見る事もあるとか。
そんな彼に、イレインはまだ役職もなかった衛兵だった頃から世話になっている。今の地位にいたとて、彼に敬意を払うのは当然だ。
「かたっくるしい挨拶は寄せよ、俺とお前の仲だろ?」
「あ、はい……そうですね」
「ところで、どこ行く……ああ、いや。スバルが言ってたアレか?」
「ええ、彼に呼ばれましたので」
これから行く予定の店は、当然ロイズが切り盛りしてるギルド直轄の店だ。
自分よりもさらに年若い店主なのに、ロイズどころかこの街や郊外地の貴族もお忍びで来るほどの人気店となっている、ポーションにもなる『パン屋』。
そこの新商品について、試食してほしいと頼まれて来たのだ。その事情を、店主直属の上司であるロイズが知らないわけがない。
「なら、呼び止めて悪かったな。早く行ってやれ」
「はい。付かぬ事を伺いますが、どんな新作で?」
「ああ。甘いやつだな、疲れた時にはちょうど……おっと、だからその状態か」
「あなたには、隠せませんね」
実は、訓練と執務を終えてから出て来たので、いくらか疲れてはいた。
ロイズよりはまだまだ若くとも、隊長職に就き、前衛に立つ機会が減ってきたせいか、若い衛兵達には少々劣ってきてしまってる。
それと、スバルから『申し訳ないが、出来るだけ疲れた状態で来て欲しい』と伝書蝶に書かれていたので。そのせいか、少しばかり眠気もある。
最も、見回りを兼ねた周回で街の住民に悟られはしないようにはしていた。のに、この御人にはやはり無理ときた。
「俺が言えるのは、効果てきめんってとこだ。期待しとけ」
「ありがとうございます、では」
「おぅ」
ロイズとはそこで別れ、一人でパン屋の方に向かおうと足を早めようとしたが、ロイズに一瞬肩を掴まれて。
「…………あんま、ハメ外すなよ?」
「………………………………肝に、銘じておきます」
やはり、表層以上の感情もだが、この御人にはイレインの胸中の思いまで見透かされていたか。
元より、外すつもりはないが万が一と言うことがある。
元は冒険者でも、今は責任ある立場でいるロイズだからこそ、忠告してきたのだろう。イレインは軽く会釈をしてから、彼から離れた。
「……やはり、聡い御人だね」
イレインはこれから食べられる、新しいポーションパンにももちろん期待はしていた。
だが、それよりも、同性のはずなのにあの可憐な面立ちと物腰が癒しの対象でしかない『スバル』に会いたくてたまらなかったのだ。
(……私は衆道のきらいがあるわけではないのに、彼だけは違う)
それはイレインだけでなく、あそこに来店する大半の男性客達にも同意者が多い。
何故それを知っているかと言うと、彼らを含め衛兵隊主軸で『スバル親衛隊』を立ち上げているからだ。
イレインはそちらの隊長も兼任はしてないが、幹部の一人でいる。
(領主様の御屋敷で幾度かお見かけした、御令嬢方にも勝るとも劣らない可憐さ。なのに、何故男なんだぁああ!)
そう叫びたい気持ちに駆られるが、人通りが多少落ち着いてるところに入ってもする訳にはいかない。
責務がある立場にいる者として、公衆の前で恥を晒すような行為をすれば住民からの信頼を失う可能性が高い。
出来たとしても、親衛隊の集会くらいだ。
一度咳払いをしてから足を早めようとすると、前方に見覚えのある赤毛が目に入ってきた。
「……エリザベス嬢?」
「っ、あ、あんた、は」
やはり、現役冒険者。
特に、年齢が若過ぎるのに会得出来たランクBまでの修練の賜物か。
どんな気配も、声にも瞬時に対応出来るのは素晴らしい。
ただ一点、知人の大半にバレてると思っていない『男性恐怖症』についてだけが、彼女の欠点と言うべきか。
しかし、イレインはエリザベスの体質の経緯は知っているので、深くは追求出来ない。
それに、今の立場の関係上多少は、彼女とも話せる。
「この界隈にいるのは珍しいですね?」
「っ、た、偶々だ。あんたこそ……見回り?」
「それもありますが、この先のパン屋に呼ばれてまして」
「ぱ、ん屋に……?」
「ええ。店主殿とは少し知り合いで……ああ、もしやあなたも?」
ぽんと手を叩くと、ほぼ同時にエリザベスは息を詰めて豊かな髪と同じかそれ以上に顔全体を朱に染め上げていく。
どうやら当たりのようだ。
「よろしければ、一緒に行きませんか?」
「い、いいい、いい! ちょっと近くまで来ただけだから!」
「冒険者御用達なのに、ひとつも買わずに?」
「た、食べたけど……あいつ、に、会いにくい」
「……店主殿に?」
「? 違う……」
まさか好敵手?になるかと思いきや、彼女の胸中のお相手?はどうやら副店長のラティストか。
たしかに、まだひと月しか経ってないが、彼目当ての女性客も多い。イレイン達とは別の親衛隊も結成されているし、幹部とも会うことはある。
(それはそうと、男性恐怖症持ちなのに……彼が、平気?)
見たところ、そこそこ見目のいいイレインにはたじろいでいるのに、口にしただけのラティストについてはあまり狼狽えていない。
それこそ、精霊族に見紛う程の美貌の持ち主のあの男だからか。その恐怖対象にならなかったせいか。
もしくは、直接言葉を交わして意識が変わったか。
「じゃ、じゃあ……あたしは行くから」
「お待ちください、エリザベス嬢」
「な、なに……?」
スバル親衛隊にとって、ラティストはある意味最強の守護者だが、ある意味敵。
スバルと常に共に居られ、彼の生み出す料理を一番に食せる位置は、親衛隊の誰もが奪いたい、
そんな敵に、もしスバル以上の存在が出来れば、ひょっとしたら仕事以外の生活が変わるかもしれない。
(幸い、エリザベス嬢はこの街の、それなりに資産を持っている商家の娘)
母親は豪族の娘だが貴族に負けないくらい美しく、エリザベスもその血筋を色濃く受け継いでいて、成人したてでも悪くない。
ラティストの最愛の相手の座を付け狙う親衛隊達には悪いが、これはスバル親衛隊として動こう。
「実は、店主殿……スバルさんから新作の試食会に誘われてましてね? せっかくですから、一緒に行きませんか?」
「な、なんで?」
「見たところ、少し寝不足のようですし。今回の新作は疲労回復以上の効果を期待出来るようなんですよ。口利きは私がしますから、ご一緒しませんか? 私がと言えば、ラティストさんもとやかく言いませんし」
「……ラティスト?」
「おや、お名前を知らずで?」
てっきり、知己の間柄に近いかと思えばそうではないようだ。
だが、イレインにとってそれくらい些末なこと。
「それと、新作は甘いものだそうです。女性には嬉しい情報でしょう?」
「あ、甘いもの……っ」
ほんの少し、期待に潤んだ瞳をイレインは逃さない。
少しだけ待ってやると、エリザベスは一度だけ首を縦に振った。
「め、迷惑じゃなきゃ……行きたい。礼も、言えてないから」
「それは、是非とも行きましょう」
騎士のように手は差し伸べられないが、少し距離を置いたまま二人は店へと歩き出した。