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第27話 幻のイトウ 大魚を得るニーニョ

「昼のはずなのに……なんだか暗いわねー」
 この前は夜が明るかった。全く恋文町はどうかしている。これじゃ、日が高いうちから真っ暗で、本当に小さな森の中で遭難しかねない。
「今、一体道路から何メートルくらいのところだ?」
「おそらく! 半分くらいは来た筈よ」
 つまりたった五十メートルだ。それを蛇行と高低差で物凄い時間をかけて歩いた事になる。相変わらず、どこを見渡しても外の景色は透けて見えなかった。気味の悪い色のカエルやイモリが木肌にしがみついている。
「ハーレクインヒキガエル! みんな気をつけて、猛毒よ」
 本当のアマゾンにしか居ないような生物だ。ニホンカモシカが居たり、一体ここの生態系はどうなっている。
「……ここは?」
 二つの渓谷を渡ってたどり着いたのは沼地だった。そこだけぽっかりと空が見えている。下はうっすら霧が垂れ込め、さらにうっそうとした気配。
「きっとこれが底なし沼ね」
 ヘリの遭難者もここに沈んだのかもしれない。
「上、見ろよ」
 空いた空に、雲が渦巻いている。
「間違いないここね。おそらくここが誘拐現場のようね。落ちないように気をつけないといけないけど、沼にうずが巻いたら要注意よ」
 沼は真円を描いている。ありすはじっと観察している。
「で、あの向こうの家は何かな」
 沼の対岸に、小屋があった。きっと森の管理人の物置小屋かもしれない。
「……あそこの小屋へ行けるかしら」
「幻の伊東さんが使ってる倉庫かもね。でも橋もなければなにもない」
「やめてよ。もう変なこと言わないでって言ってるでしょ」
「何が? 今変なこと言った? あたし」
 底なし沼から泡が浮かんでいるのをありすは見つけた。
「気をつけて。これは、さっきの鰐なんか非じゃない怪物が棲んでるかもしれない」
 水面が波打って魚体がギラギラと光って見えている。でかい。
「……間違いない。二人とも、今の背びれ見たでしょ? 幻のイトウよ。魚編に鬼と書いてイトウ! 『伊東』に幻をつけたら出てきた! ウーが変なこと言うから!」
「な~にがぁ~?」
 ザバアと飛び跳ねた魚体を見て三人はのけぞった。優に二メートルはあった。ここは確かアマゾンではない。日本にこんな巨大な淡水魚が存在するなんて、時夫は知らない。
「開高健が幻のイトウと呼び、『釣りキチ三平』がその名を世に知らしめた怪魚イトウ……。まさに、淡水版バラクーダ! かつてアイヌの伝説では鹿や人を襲う怪物とされ、あまりに巨大すぎてその死体が川をせきとめ、何と湖ができたという」
「解説してる場合かヨ!」
 ありすは心なしか興奮しているように見える。ありすは人に意味論を戒めておきながら、自分でそれを助長している。こいつは甚だ矛盾だ、と時夫が思っていると、ウーが対岸の小屋の中から釣竿をもって出てきた。……何時の間に?
「ねぇ~ルアーがあったよ。これで釣ったら?」
「ウー、あんた、まず第一に、どぉやってそこへ行ったのよ」
「浮き橋のスイッチがそこにあるよ。普段は沈んでるみたいだけど、管理人が渡るときに使ってるんじゃないかな。……ねぇここゲートルームだよ」
 どうも、ウーはありすと時夫が空を見上げているうちにスイッチを見つけたらしい。そしてありすが解説している内に渡りきっていた。
「どこに?」
「そこの木についてる枝よ。後ろ後ろ。シムラウシロ」
 振り返ると枝かと思ったバーがあった。良く見ると擬木。森に溶け込んだ保護色の人工物だ。ウーは偶然おしりでスイッチを押したらしい。ありすがバーを下げると、沼地に丸い飛び石が出現した。
「すぐ引っ込んじゃうよ。急いで」
「だ、ダメだ。イトウが」
 睨んでいる。さっきのニホンカモシカさえも飲み込みかねない巨大な口。これに食われたら沼に引きずり込まれる。全く、どうして門番が二種類も居るんだ。いいやそこなし沼である以上、こっちが真打か。ウーはきっと、間隙を縫って偶然対岸の小屋にたどり着いたのである。あるいは、と時夫は思う。石川ウーは森のシステムを知っていたのかもしれない。恋文はわいで床ジョーズをやっつけたときの冷静さといい、何かと不審だ。いや、確かにたたみの縁を最初に踏んだのは彼女だったが。ともかく、グレーな存在には違いなかった。
「任せて!」
 ウーは無謀にもルアーを沼に投下する。「釣りキチ三平」のラスボス・レベルの強敵相手に素人のウーが太刀打ちできるとも思えなかった。仙人みたいな伝説の釣り名人や山伏みたいな大男、あるいはサングラスをかけた魚紳士の登場を待ちたいところだ。
「ふっふっふ、この釣竿、アモルファスウィスカーだわ。『しょせん』がつくとも女のママゴト遊び、見せつけてやるー」
 最初の一・二匹あたりはブラックバス、ブルーギルばかり面白いように釣れる。ここにも、外来魚の猛威が。しかしルアーを投げ入れて十分後、貪欲な怪魚はすぐさまウーの細腕が操作する鼠ルアーに食いついた。
「あ”~~~!! 早く渡ってこっち来て手伝ってェ~!」
 このままではウーが底なし沼に呑み込まれてしまう。再びバーを操作し、浮き橋を出現させると、ありすと時夫はその上を走った。イトウがその巨体をくねらせ豪快に飛び跳ね、ありすの華奢な胴体をその尾でパンチする。のけぞって沼に落下しそうになるところを、時夫の右手が捕まえた。
「あ、ありがとう」

 たこやきの中にたこやきが!
 HEY!!
 たこやきの中にたこやきが!
 HEY!!
 たこやきの中にたこやきが!
 HEY!!

 ありすの両手から発せられた無数の光の弾丸がイトウに向かっていった。秘奥義にしては連発している訳だが。二メートルのイトウは空中で五回転した後、沼にダイブして、そのまま幻となった。ありすは今度はしっかりと無限たこやきの呪文を唱えることができたようだ。
「やれやれ、今回はウーもお手柄ね。金時君も」
 対岸に渡ったありすはウーの持つルアーを見て驚いている。
「この釣竿。女王が持ってた釣竿だよ!」
「えっ、月から出てきた誘拐事件のときの?」
「そうよ。見覚えがある。だとするとここは一体」
 真円を描いた底なし沼。女王の釣り場だと?
「女王はきっとここで夜な夜な人攫いをしていた。この底なし沼は、満月につながっていた」
「まじか」
 連続誘拐の犯行現場。アパートから離れていないこんな近所で、真灯蛾サリーが誘拐していたなんて時夫はゾッとした。
「女王は満月の夜、この底なし沼に映った月の影に身体を突っ込んで扉を開き、地上の恋文町の佐藤さん釣りをしていた」
 小屋のドアを開けると、物置小屋だった。
「フゥ~~~!」
 ウーは箒ギターではしゃいでいる。どこにそんな元気が内蔵されてるんだ。それだけではない。銃刀法に違反しそうなヤバい刀や槍が並んでいた。いかにも伊東一糖斎の持ち物という感じだ。女王がありすへの反撃に日本刀を振り回したのもここにあったものだろう。揚羽蝶の羽が一枚残っているのを、ありすは拾った。ありすが月の中へ投げ込んだ部下たちの名残だ。しかし奇妙な点がある。中央に机が置かれ、そこに多数のレバーが取り付けられた昔のタイプライターのような装置が置かれていた。地下の御紋たる「六角形に蜂の頭」のマークがついている。恋文はわいのように入り口になかったのは、もう露骨にアピールするのを止めたからかもしれない。
「これか。やはりゲートルームの中心だわね」
「うん」
 うさぎが満足げに壁に寄りかかった途端、外に異変が起こった。
「ちょっとウー、おしりに気をつけなさいよ! 大きなおしり」
「大きくないもん!」
 確かにウーのおしりは底なし沼を渡るスイッチを見つけた。だが、今。慌てて三人が沼を見ると、渦を巻いている。
「何あれ?」
「この辺りの時空が歪んでる……何かに掴まって! す、吸い込まれる」
 気をつければ落ちる事はない。だが、底なし沼はイトウだけではなく、それ自体の起こす回転によって周囲のものを引きずり込むのだ。底なし沼の渦が怪しく光り出し、三人の体は小屋からいとう(イトウ)も簡単に渦の中心に吸い込まれていった。

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