一寸先は闇ならぬ悲劇
気がついたときは屋上に転がっていた。
リクも隣で倒れていたので起こしてやった。
彼女は近くに転がっていたサメの人形を手にとって不思議そうに言う。
「あら? 17時に待ち合わせて、秘密の部屋に入ろうとしたはずなのに、何でここにいるのかしら?」
「確かに。部屋はまだ見せてもらっていないな」
おかしなことに、二人とも17時からの記憶が欠落しているのだ。
暗くなり始めたので、秘密の部屋への訪問は諦めて、家へ帰ることにした。
次の日からはリクに会えず、結局、秘密の部屋を見ることは出来なかった。
その後は語り尽くせないほどいろいろなことがあった。
イヨの身代わりになって後方支援部隊に赴任することになった。
壮行会の当日は、講堂で舞台に立っていた。
校長の長い話が終わって、次は生徒代表の挨拶だった。
最初名前が紹介された時は眠かったので何という名前かは聞き損ねたが、舞台の袖から大きな人形を手にしたリクが出てきたのには心底驚いた。
彼女はこちらを見てニコッと笑った。俺も軽く会釈した。
彼女は壇上ではさすがに人形を持ちながら話は出来ないだろうと思ったら、持ったまま話を始めた。
「全校生徒より贈る言葉!」
全文暗記しているらしい。
例のアニメの少女の声で淀みなく贈る言葉を読み上げる。
ただただ呆気にとられるしかなかった。
後方支援部隊の赴任先は、味方も信用できない場所だった。
一緒に赴任した彼女達三人、ミイとミキとミルを魔の手から救った。
銃撃戦に巻き込まれたこともある。
敵との肉弾戦、タイマン勝負もあった。
ミキとの付き合いも始めた。
本当にいろいろ貴重な体験をした。
妹に話をしたら一日では終わらないだろう。
赴任して1ヶ月経つと3日の休暇が出た。
妹とパン屋の前で待ち合わせした。
お土産にアクセサリーを買うとイヨが携帯に電話をしてきた。
遠い記憶が蘇り、出てはいけないような気がしたので、悪いと思ったが無視した。
待ち合わせ場所で久しぶりに妹に会った。
妹は俺の濃い緑色の服を見て不思議そうだったが、元気な兄貴の顔を久しぶりに見て、「お兄ちゃん!!」と泣きそうなくらい喜んでくれた。
「さっきレストラン見たら満席だって」
「そうか、残念だな」
妹は左斜め前の方向を指さす。
「あっちの洋食屋さんに行かない? 私あそこのケチャップたっぷりのオムライスが好きなの」
「じゃ、そこにしよう」
横断歩道を渡る時、右側に見える黒塗りの高級車が気になったが、妹が手を引くので、黙ってついて行った。
すると、途中で妹が「アッ!」と短く叫んで手を離した。
何かにつまずいたのか、前方にドサッと倒れた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないかも」
妹を起こすと、両膝に血がにじんでいる。服も所々すり切れている。両方の手の平も擦り傷があった。
俺は手に持っていたバッグの中に救急用具が残っていないか調べたが、見当たらない。
「こういうときに限って救急用具がないんだよな」
すると、「あら大変。大丈夫?」とアニメに出てくるような可愛い女の子の声が聞こえた。
声の方を見ると、制服姿のリクが大きな人形を抱えて立っていた。
彼女も俺もこんなところで出会うとは思いも寄らず、大いに驚いた。
「あ、マモルさん、久しぶり!」
「こんなところで会うとは珍しいな」
「もう終わったの!?」
「いや、休暇で。……そうだ、お守りありがとう。ずっと身につけていたよ」
鎖で首から下げていたお守りを服の中から引き出し、彼女に見せる。
「アラッ! 本当に肌身離さずだったのね!? ありがとう! 凄く嬉しい!!」
喜ぶ彼女の両側をよく見ると、黒いスーツを来てサングラスをかけた長身の女が一人ずつ立っている。
二人とも髪はオールバックだ。濃い赤の口紅が印象的だった。
その時、遠い記憶が蘇った。
(あれ?……この女……見覚えがある……いつ……どこでだろう)
「そこの洋食屋に入ろうとしたら、妹が転んで」
「どれ、よく見せて?」
彼女は妹の傷口を見ると「可愛そう」と慰めて言葉を続ける。
「私の車の所に擦り傷に効く特効薬があるの。一緒に来てくれる? 歩ける?」
妹は少々自信がなさそうだったが「歩けます」と言った。
とその時、また遠い記憶が蘇った。
(妹が女に連れて行かれる……車の方へ行ってはいけない……絶対に行ってはいけない)
急に不安になったので妹を女から引き離し、車の方へ行かせないようにするため、「大丈夫ですから。その辺の薬局で薬買いますから」と断った。
そして、妹に「おんぶする?」と言うと、妹はすぐに俺の背中に抱きついた。
「じゃ、薬持って来るから、そこの洋食屋の中で治療しましょう。座っている方が楽でしょう。私も久しぶりにマモルさんと会えたので、お話が聞きたいし。お腹もちょっと減ってきたし。……お願い、薬箱取ってきて?」
彼女の右側にいた女がそれを聞いて駆け出す。走って行く先を見ると高級車だった。そして、高級車のドアを開けて、中から箱を取り出して小走りに戻ってくる。
(あの高級車が彼女の車なんだ……)
組み合わせが意外だった。
俺は妹をおんぶして洋食屋へ向かった。リクも女達も従った。
洋食屋の中に入った。
繁盛しているのか割と混雑していて、席は4つしか空いていなかった。
俺と妹とリクが席に座って、残りの席は彼女の人形の席になった。
彼女の両脇にいた女は席のそばに監視役として立っていた。
それを見ていた店員がこちらに来て、眉を
「お客様。こうしてここに立たれますと、店の通路が狭くなりますので」
リクは一人の女に耳打ちする。女は答える。
「では、私が残りましょう。君は人形を車の所へ置いてきて。それから店の前で待っていて」
指示されたもう一人の女は、人形を持って店の外に出た。
残った女は人形の席に座った。
リクが薬箱を開けて消毒薬と軟膏を取り出し、妹の膝の治療を始めた。
「大丈夫、俺がやりますよ」
「いいのいいの。私こういうの大好きなの」
彼女が妹の右膝に消毒薬をかける。妹が小声で叫ぶ。
「痛っ!」
「ほらやっぱり。これじゃ、しばらく歩けないわ」
彼女が治療を続けていると、突然、外で大音響の爆発音が轟いた。
店の中は騒然となった。席を立つ者、机の下に潜る者。
リクの隣に座っていた女が、反射的に店の入り口へダッシュする。俺も女に続いた。
店の外に出て爆発音がした方を見ると、高級車が黒煙に包まれ火を噴いていた。
俺より先に店の外に飛び出した女が「チッ」と舌打ちをし、当たりをキョロキョロすると、急に車の反対方向にダッシュした。
俺はダッシュした方向を見た。
すると、女は誰かに飛びかかった。
飛びかかられた弾みでそいつが倒れたようだ。
女はそいつに跨がり、上から押さえ込んでいる。ボディーガードの本領発揮である。
駆けつけて見ると、女が取り押さえたのは髪の毛が爆発したようにボサボサで、薄汚れた服を着た老女だった。
この騒ぎで、近くにいた2人の女兵士も駆けつけた。
取り押さえた女が言う。
「その装置は何だ!?」
老女の右手にはアンテナが立ったトランシーバーのような装置がある。
装置の大きさは拳の3個分くらいで割と大きい。
黒いボディの真ん中に丸くて赤いボタンが1つ。実にシンプルだ。
老女は泣きそうな声で言う。
「装置? 何のことか分からないよ」
「右手に持っている物だ!」
「ああ、この箱? 渡されたんだよ」
「誰から!?」
「眼鏡をかけた知らない女から」
「知らない女から渡されてなぜ受け取る!?」
「金をくれたんだよ」
左手を見ると、紙幣らしき物を握っている。
「金を渡して、何をしろと言われた?」
「あっちの黒い車に人形を持った女が乗り込むから、この赤いボタンを押して私に連絡しろと」
「何!?」
「ただそれだけだよ。乗ったら知らせりゃいいんだろ? だから簡単だと思って請け負ったんだよ。言われたとおりにしただけだよ。これ以上は何も知らないよ」
老女は右手の親指で何度も赤いボタンを押す。
「ほら、今何度も押したから、奴さん飛んで来るはずさ。そしたらそいつに聞いとくれよ」取り押さえた女は溜息交じりに言う。
「来やしないよ」
女兵士が「ご苦労。こちらで連行するから、後は任せなさい」と言う。
老女はジタバタした。
「何も悪いことしていないよ! やだよ! 年寄りを虐めないでくれよ!」
2人の女兵士は、老女の両腕を掴んで引きずっていった。
俺はテロの非情を目の当たりに見た。
自分は手を下さず、利用して実行させた者をトカゲの尻尾のように捨てていく。
何から何まで計算ずくめなのだ。
残った女が新しい車を手配している間、リクは誰かと携帯電話で話をしていた。
慰めの言葉が思いつかなかった。
彼女は電話を切ってこちらに近づいてきた。
「今日初めて警護に来てくれたのに、こんなことになって……」
彼女は俺のみぞおち辺りに額を当てて震えた。
ソッと抱いてやった。
彼女は俺にグッと抱きついた。
「彼女達、これが仕事と言って割り切っているけど、私……こんなの耐えられない」
「気の毒にな。でもリクさんが無事で良かった」
「ありがとう」
彼女は俺の服で涙を拭く。
そして、顔を上げて意を決したように言う。
「あと少しで完成よ。そうしたら、こんな悲劇はなくなる。必ず平和になる」
「完成って?」
「いいえ、……こっちの話よ」
リクは、新しい車が来たのでそれに乗って帰って行った。
騒ぎで食事どころではなくなったので、俺と妹は外食を諦め、妹をおんぶして家まで帰ることにした。
途中の弁当屋で弁当を買っていると、ポケットの中で携帯電話が鳴った。
取り出して画面を見るとイヨからだった。
今度は躊躇せず電話に出た。
「もしもし」
「マモルさん!? 少し前に電話したのに!」
イヨは少し興奮していた。
「ああ、ゴメン。出れなくて。ちょっと事件があって」
「事件!? 大丈夫!?」
「ああ、怪我はしていない。妹は転んで怪我しているが、もう大丈夫」
「よかった」
「心配かけてゴメン」
「それはそうと、ちょっと大事な話があるの。今どこ?」
「弁当屋の前」
「弁当屋?」
店の方に振り返る。
時々利用する弁当屋なのだが、ちゃんと店の名前を知らなかったのだ。
「ホカ弁屋クルミって書いてある」
「地図ないから店の名前だけじゃ分からない」
「北口出て左に200メートルくらい行ったところ」
「分かった。ちょっとそこに迎えの車が行くから、待っていて」
「え? 急な話だな。弁当買っちゃったし、妹は怪我しているし」
「ゴメンね。ちょっと代わる」
少し沈黙が挟まれた。
彼女は誰かと話しているようだ。
「マモルさん? お久しぶりですわ」
生徒会長ルイの声だ。
今回イヨとの交代を許可してくれた恩、間接的にイヨの救出に関与してくれた恩もあるが、家に集団で踏み込まれたことを思い出したので少々不機嫌に答えた。
「何か用?」
「大事なお話がありますの。妹さんと一緒にお弁当持って、私の家まで来てくださる? 迎えの車を向かわせますから」
「ケッコー。大事な話なら、今ここで言ってくれ」
「会っていただきたい方が今ここにいらっしゃるの」
「疲れたし、家に帰りたい。逆に、そっちから家につれて来てくれないか?」
彼女が
「ミキさんでも?」
まさかここで彼女の名前が出るとは思わなかったので、驚きのあまり声が出なくなった。
ルイは、沈黙からこちらの感情を悟ったようだ。彼女の勘は実に鋭い。
「お目にかかりたいでしょう? では、お迎えに上がりますから、そこで待っていてくださる?」
急に彼女が小声になった。
「ところで、……さん」
何と言ったか聞き取れなかった
「ゴメン、声が小さくて聞き取れない。周りもうるさいし」
車の走る音とか道ゆく人の会話とかで少々うるさいので携帯電話を耳に押し当てた。
「コホン」
彼女が咳払いしてから言う。
「ところで、マモルさん?」
彼女の語尾が上がった。それに意味深の空気を感じて警戒した。
「イヨさんはカノジョじゃなかったのかしら?」
またもや語尾が上がった問いかけが余韻を残す中、一方的に電話が切れた。
ツーツーという音だけが聞こえていた。
非常に情けないことに、他人に言われて今頃気づいた。
俺は最近ミキと付き合いを始めた。
イヨにカノジョだと言っておきながら。
それからしばらく、妹をおぶりながら心の中で繰り返していた。
(これって立派な二股じゃないか。何やってんだ、俺)