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第二章 捜査会議 1

第二章 捜査会議
 大打は桜木巡査に強制的に鑑識課から連れ出され、捜査2課の会議室に連れて来られたのだが、耳の痛みに多少不貞腐れていた。
 それでも黙ってついてきたのには、桜木の怒りには何物の逆らえない激しさがあったからだ。大打刑事は自ら常日ごろバイオレンスデカと評しているにも関わらず、今日の桜木巡査の剣
幕を目の当たりするにつけて、阿修羅のようなオーラはとても逆らえる雰囲気ではないと感じ
怯えあがってしまったのだ。
 怒ったこいつには逆らえない。一応見てくれは小娘の皮をかぶっているが時たま阿修羅の様な本性が顔を出す事がある。桜木優美子の正体は鬼女なんじゃないか、大打は今真にそう思うのだった。
 そんな大打の思惑とは裏腹に、キュートなプロポーションをキャリアスーツで着こなした桜木優美子は、軽やかな仕草でホワイトボードの前の書類をテキパキと整理して、今回の事件のファイルを広げた。
 さっきの怒りは綺麗さっぱり収まったようで大打に向かって、天使の様に微笑みかけている。
アイドルになっても十分通用する容姿だ。警察官にしておくのはもったいないと署の交通課の若手男子警察官の間ではもっぱらの評判で、ファンクラブすら存在している。彼らの間では大打に対しての嫉妬罵声は耳を覆うばかりだ。
 しかしその魅力は何故か、ストライクゾーン広めの女好きを自称する大打には全く通用していない。
 大打にとっての魅力的な女とは、新宿二丁目あたりの裏路地の飲み屋で彼の猥談をまじめに聞いて喜んでくれるような、ノリが良くて化粧のノリもすこぶる良い、薄暗いところに好んで生息しているお姉ーちゃん達の事なのだ。実はストライクゾーンはやたら狭くて、酒がないと女に甘えられない悲しい中年男性そのものなのだ。
 大打に言わせると桜木は男と接する女の色香が分かっていない小娘ということになってしまう。 彼女は女の年齢の無駄遣いであり、ひいては優美子の存在自体、世の良い女に対しての冒涜とまで本気で思っている。
 女性向ファッション雑誌の表紙を飾る様なセクシーさを誤解した女。その時、大打は耳の痛みから普段になく冷静になり、客観的に桜木の容姿を上から下まで目配せしてふっとそう感じていた。
(いかん、いかん魔がさしたわ。おまえのパンツには一銭の値打ちもないわい。例えどんなに染み付きであってもだ。猫に粗相された座布団とか、毛玉吐かれたタオルの方がマシだ)

 そんな不貞腐れた大打の態度を、一切無視して優美子は捜査会議を始めた。
 窓際に立った桜木は深呼吸して、今回の事件の調査ファイルについて、今までの殺人事件の経過を大打に語りはじめた。
「大打さん、大津からいただいた鑑識報告には、もう目を通されていますか?」
「おぅ、大体な」
 大打はイスをクルクル回しながら、大人しめな応答に心がけた。外見から一応、不貞腐れた態度は消えて主人の様子を伺う子犬のような表情になってはいる。
「了解です。経過の概要は説明しました。それではどこから捜査を始めていけば良いんでしょうか?」
「被害者は港町大学の研究生ってことは大学院の学生ってことか?」
「はい、将来は考古学研究者志望ってところです。全国に研究者は六万人はいますから、地球の歴史に興味を持っている人々の数は相当なものですよね」
「指導教授は下鴨って名前の教授か……。神の腕を持つ発掘王か……神と名がつくものは大概はとても胡散臭い……それが俺の経験から導き出した神の結論だ。
 雷、カミキリ虫、剃刀……」
 大打はそう言いながら、指折り胡散臭いものを数え始めた。その姿を見て優美子は、一般的に神の例を挙げる時には、女神とか言葉の後ろに神の付く単語を出すのが普通ではないかと思ったが、その議論は冒頭から捜査会議がいきなり脱線するのでコメントを差し控えた。
 彼女は代わりにこう答えた。
「大打さんにとって神は、かなり敵対する存在みたいですね」
 それを聞いて大打は確信した。
(やはり桜木はただの世間知らずの小娘だ。想像妊娠以前の蒙古斑的存在だ。多少は良い成績で警察学校を卒業してきたかも知れないが、人生の経験が無さすぎる。
 クラスで苛められて、口に雑巾突っ込まれて。パラシュート部隊のリンチにあったこともない。虎とボートで漂流して太平洋を横断した事もない)
 そんな大打の顔をじっと見ていた優美子もまた、別の事を考えていた。
(剃刀で神だとぉ、バッカじゃないのーこのおじさん。これって人の話をまじめに聞いていない証拠の受け答えよね)
 2人の間の沈黙を破り、大打が口を開いた。
「捜査の本題に戻そう。脱線していると会議が進まん!! ここにある昨日までの捜査経過報告書を読むと、凶器に使われたという化石も確かに本件捜査のポイントだが、今回の事件の数日前偶然にも下鴨という教授の発見した恐竜の全身化石というのが盗難にあったというのも、な
んか引っかかるな。たいへん貴重な発掘資料なんだろう。
 引っ掛かるというのはこの殺人との関連性がありそうだという意味だ。駅前で英会話の勧誘に引っ掛かるとか、トイレのドアを閉めたらスカートが引っ掛かったというような意味で使った単語ではない」
 大打は捜査会議に慣れていない事も考慮し、自分の言葉を補足した。
「わかります。あのぅ、そこ詳しく説明してもらうとこすか?」
「説明しとかないと、そこから意味を取り違えるかと思ってな」
 大打はさも当然と言う顔をしている。
「はいありがとうございます。話を紛失した化石に戻しますが、私もその化石気になっているんです。だって下鴨教授のコメント以外、誰もその化石の全体を見ていない様ですし……ゼミの学生たちもみんなですよぅ……。本当はどうだったのかとても気になります」
「気になるか……樹になるのが果物で地面に生るのは野菜……するとイチゴは野菜か……」
大打の話の振りに、まじめに食い下がるのも、優美子の何時もの癖だ。
「メロンは栄養学上の分類では果樹、園芸分野では果菜(実を食用とする野菜)とされています。私も一応栄養士の免許持ってますから」
「脱線していると会議が先に進まないと言っただろう!」
自分が振った話題じゃない、そう思って優美子はちょっとカチンと来た。
「大打刑事が先に樹に生るのは……とか話をふったんじゃあないですか」
「その程度の誘惑に負けて、本筋を見失うのか? 先生はそんな子に育てたのか?」
「はいはい! すみませんでした!」
「はい、は一回!」
「はい!」
 優美子は泣きたくなってきた。
(しかしこの程度でめげていたら、捜査の現場になかなか足を向けられない。ここはもう一我慢。大打刑事の頭を整理させないと。事件解決を最優先に考えて……)
 そんな葛藤が表情に出たのか、大打から見ると優美子は百面相の様に泣いたり、笑ったりしている様に見える。
 それを見て、大打はあらためて思った。
(こいつ、ちょっと面白いかも……)
何故か「可愛いかも」と言う単語ではない。そこで大打は、ふっと下鴨教授の研究室で見つけたディスクの存在を思い出した。
「このCDちょっと中身見といてくれないか」
 大打は何気なくポケットから1枚のCDを取り出し、優美子の前に置いた。
「何ですか、それ?」
「俺は、誰かさんの緊急呼び出しに振り回されて下鴨教授の研究室に先日行っただろう……」
「あっそう言えば、教授が泥棒に入られたって、近くの交番に被害届け出してましたよ。書類が本庁に回って来た」
「それ、俺か……」
 あんなディスク一枚程度で被害届か……大げさなヤツだなと大打は思った。桜木から今の話を聞いて不思議そうにしている大打に向かって彼女は言った。
「大打さん……そう言った行為をされる場合、形式的にも捜査礼状取ってから出かけて下さい! 全くもう、手癖悪いんだから……」
「泥棒と警官は親戚だろう。よく言う話だ」
「泥棒側がよく言う話ですよね。警察側がそれ言っちゃぁダメです」
「ただ今回はだなぁ、せっかく出かけて行ったから、なんか土産の一つもないとかっこが付かんと思ってな」
「それでもまず、出かける先を『殺人現場』にして下さい」
「堅い事言うな。怪我の功名っていうだろう。後から何が役に立つか分からん場合だってある」
「……」
「そこでだ、ヤツのデスクのCDケースをちょろっと探したんだが……FのファイルのバックアップCDは一枚しかなかったからそれをちょっぱいで来た」
「なんでディスクなんです。怪しいと思ったらいっそUSBとかにハードディスクまるまるコピーしてくるとかすればもっと有効な気がしますが。そのくらいしますよね、大打さんなら」
「ちびっ子、言うね。一応ヤツのパソコン立ち上げたが、パスワードがな」
これは大打のいいわけだ。そこまでやっちゃいない。気を取り直したように桜木巡査が聞く。
「なんで、Fのファイルが気になったんですか? 殺害された学生の名は……?」
「FuckのF……あの助平ジジイが何かエロいコレクション持ってないかなと……」
「何時から下鴨教授が助平ジジイになったんですか? しかもそのファイルを私に調べろと……やらしかったらどうしてくれるんですか?」
 不愉快そうに視線を合わせない桜木の表情を見て、大打がにやりと笑った。
「ほほぅ、興味を持ったようだな。そのちょろまかしたファイルの中身に。若いから仕方のない事だが……まあ、ほどほどにしておけよ」
「何をほどほどにするんですか? 若いとどう仕方ないんですか?」
 桜木の表情が、さっき以上に怒りに染め上げられていく。大打の挑発に乗せられてはダメだとわかってはいるのだけど、抑えられない。
「いや……俺も一応ざっとは見た。立ち上げたら内容はちっともエロくなかったんだ。骨……恐竜とかの骨格図みたいなもんが入ってた。あれでイケるなら教授はかなりマニアックな趣味だよなぁー」

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