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第十五話 火の精霊

 煉とディアーナは、庭のちょうど真ん中あたりで何十体もの赤い炎に取り囲まれていた。空中をゆらゆらと不規則に飛び回るそれらの軌道は、実に読みにくい。
 そんな中、二人の目はひときわ大きく輝く炎の塊に釘付けになる。周囲の炎よりも温度が高いのか、やや白みを帯びていて、中心に蜥蜴のような生き物がうごめいているのが見える。それが火の上位精霊、火蜥蜴(サラマンダー)であることは明らかだった。
 煉は精霊たちの行動に違和感を覚えていた。すでに射程圏内に入っているにも関わらず、攻撃してくる気配がないのだ。

「煉、こいつら変よ」

「ええ、まだ攻撃命令を受けていないようです」

 煉は迷った。先手を取るべきか? だがたとえ攻撃命令がなくても、使役獣がこちらの攻撃を無防備に受けてくれるわけではない。いくら命令の効力が強いとはいえ、己の命にかかわる事態には生存本能に従って反撃してくるのだ。
 しかし一方で、下級精霊であるエレメントへの攻撃に対しては火蜥蜴(サラマンダー)が動かない可能性もある。それはホール脱出の際に、狼への攻撃に対して人狼(ワーウルフ)が動かなかったことからも窺い知れること。ただ、もし愛喜が先程の失敗から学んでいるとすれば、火蜥蜴(サラマンダー)にエレメントたちの護衛の命令を下しているかもしれない。
 これは一か八かの賭けであった。煉は決断する。

「ディアーナ、今のうちにエレメントの数を減らしておきましょう。氷矢魔法(アイスアロー)で仕留めてください。攻撃の間、私が盾になります」

 一般に精霊のように有機的な肉体を持たない魔物は魔法種(まほうしゅ)と呼ばれ、その体を構成する魔法体(まほうたい)には物理攻撃はほとんど通じない。さらに厄介なのは、魔法攻撃であっても弱点属性でなければダメージを与えることはできないということ。
 目の前の魔物はすべて火の精霊に大別され、その体は常に火属性の魔法によって包まれている。よって同じ属性魔法を使う煉には倒すことができず、現状で有効な攻撃手段はディアーナの氷属性魔法だけしかない。
 それがわかっていながら、どうして煉と安室の役割を逆にしなかったのか。その理由は防御にあった。敵の攻撃は火属性であるため、煉の魔法障壁は耐性を持つことになる。一方でディアーナの魔法障壁にとっては弱点であり、ようするにディアーナは攻撃、煉は防御に有利な条件となるのだ。
 ディアーナは煉の言葉に頷くと、左の拳を真っ直ぐに突き出し、右手で弦を引くような構えをとる。すると握った左拳に青い紋様が浮かび上がり、数十センチほどの細長い氷柱がそこから弾き出された。
 氷柱は矢のように飛んで、一匹のエレメントに突き刺さる。その瞬間、まるで相殺されたかのように氷柱とエレメントはその姿を消失させた。

「さすがはエルフ族。あんな不規則に飛ぶ的に命中させるとは」

 煉は素直に感心した。氷矢魔法(アイスアロー)は弓を得意とするディアーナには正にうってつけの魔法といえた。本来は左手一本でも発動できるのだが、彼女はわざと両手を使って弓を射るような感覚で狙いを定める。
 攻撃の直後、周囲のエレメントは一気にディアーナへと襲い掛かってきた。それを予測していた煉が、彼女の回避行動に合わせながら盾となってエレメントの体当たりを防ぐ。多数のエレメントがぶつかった一瞬、煉の体の周りを囲む亀甲模様の魔法障壁が姿を現した。
 弾かれたエレメントは体勢と整えようと空中をフラフラと飛び回り、再び攻撃の機会を窺う。そのわずかな隙に煉は火蜥蜴(サラマンダー)に目をやった。攻撃を仕掛けてくる気配はなく、どうやら賭けに勝ったようだと彼は安堵した。
 ディアーナも状況を理解したようで、エレメントのみに意識を集中させる。彼女は回避行動を続けながら、次々に狙いをつけ魔法を放った。煉もその動きに連動し、彼女の背中を守るようにエレメントの体当たりを防いでいく。だが敵の不規則な動きに完全に対応することは難しく、ディアーナの障壁にも何度か攻撃を受ける結果となった。煉の障壁にも次第にダメージが蓄積していく。
 やがてエレメントの八割以上が消失した頃には、煉もディアーナも額から汗を流し肩で息をしていた。絶えず動き続けた影響もあるが、何よりマナの消費が身体に疲労をもたらしているのだ。
 魔法は無尽蔵に使えるわけではない。魔臓器に蓄積されたマナを限界近くまで消費すると意識を消失すると言われており、場合によっては命の危険さえある。

「大丈夫ですか?」

「はぁ、はぁ……、まだ平気よ!」

 彼女は気力を奮い立たせ、前方のエレメントを氷柱で射貫く。そのタイミングを狙って斜め後方から彼女に突っ込もうとしたエレメントに対し、煉は障壁による体当たりを食らわした。
 その直後、弾き飛ばしたエレメントの向こうに、ひときわ明るい炎が渦を巻く姿を煉は目撃する。彼が危険を察知した瞬間、炎の渦はまるで弾丸のように先端を尖らせ、彼らの方へ一直線に迫ってきた。
 煉は咄嗟に背を向ける。背中側の障壁はエレメントによるダメージをあまり受けていないため、耐えられると判断したのだ。
 衝突の瞬間、強い衝撃と共に魔法障壁の一部が砕け散った。その威力はエレメントの比ではない。

「ぐっ、なんて威力だ」

 何とかギリギリのところで火蜥蜴(サラマンダー)の一撃を弾き返した煉であったが、もうこれ以上は障壁がもちそうもなかった。彼は最後の手段に出る。

「ディアーナ! 氷剣魔法《アイスソード》を!」

 彼女はハッとした顔で振り返ると、即座に状況を理解し氷矢魔法(アイスアロー)の構えを解く。そして自分に体当たりしてくるエレメントには見向きもせず、引き抜かれた煉のレイピアの柄に左の拳を当てた。
 前方ではサラマンダーがまたも炎の渦を作り始めていた。煉は瞬きもせず、渦の中心ただ一点に全神経を集中させる。
 そしてディアーナの魔法が発動し、レイピアが青白い光を纏った瞬間、サラマンダーの炎の渦が弾丸となって再び打ち出された。
 刹那、煉は鋭い突きを放つ。
 その刀身は薄っすらと魔法の氷で覆われ、通常は弾かれるはずの敵の体を見事に貫いていた。炎の塊が、まるで水風船から水が飛び散るように弾けながら障壁の表面を炎で覆う。最初の一撃で開いた穴からわずかな炎が入り込み服を燃やしたが、それが火蜥蜴(サラマンダー)の最後の足掻きであった。
 残ったエレメントたちは、散り散りに空へと逃げ去っていく。

「……ふう」

 極限まで高めた集中力を解くように息をつく煉の背後で、ディアーナはフラフラと地面に倒れ込む。彼女の魔法障壁も数か所に亀裂が生じており、それに合わせて服のあちこちが焼け焦げていた。
 ディアーナのマナ消費量は限界に近く、意識を失わずにいるのが精一杯という状態。煉は彼女を背負うと、振り向きたい気持ちをぐっと抑え込む。後ろの建物では才吉たちが戦っている。振り返ればきっと自分は彼らの援護に向かってしまうだろう。だがそれではせっかくの作戦が意味を成さなくなる。
 人狼(ワーウルフ)はスピードを武器に接近戦を得意とする前衛タイプ。今のところ、その速さに対抗できるのは才吉だけ。だからこそ今回、煉とディアーナが火蜥蜴(サラマンダー)に、才吉と安室が人狼(ワーウルフ)に当たる作戦を立案したのである。
 あの二人ならきっと大丈夫。煉はそう信じて吊り橋へと走り出した。

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