バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第六話 黒の襲撃

 才吉は二階の客室で煉が来るのを待った。そこは才吉が運び込まれ、最初に目を覚ました部屋。
 領主の家系といっても、煉の家は普通の民家とさほど変わらない。一階と二階合わせて狭い個室が四つ、あとはリビングに台所、バストイレだけである。リビングで話さないところを見ると、どうやら彼の相談というのはあまり人に聞かせたくないものらしい。そう才吉は思った。
 しばらくして、誰かがドアをコンコンと叩く音がした。

「はい、どうぞ」

「やあ、お待たせしました」

 声と共にドアが開き、煉の後に続いて部屋に入ってきたのは不機嫌そうな顔のあのエルフであった。彼女は才吉を一瞥(いちべつ)すると、空いている椅子に腰を下ろす。

「さて、まずは紹介しましょうか。ディアーナ、こちらは那須野才吉くんです。なんと、あの拳聖の子孫なんですよ」

「はじめまして、ディアーナさん。よろしくお願いします」

 才吉は椅子から立ち上がると、丁寧に挨拶をした。

「……知らないわ」

 そう言って彼女はプイっとそっぽを向く。そして呆気にとられる才吉をよそに、彼女は呟くようにこう続けた。

「ケンセイなんて、わたしは知らない」

「ああ、そうでしたか。えーと、拳聖というのは――」

 慌てて煉が説明をしてくれたので、才吉は黙って待つことにした。すると、一通りの話を聞いたディアーナが声を上げた。

「じゃあ、彼が助っ人だって言うの? まだ子供じゃない」

 普段なら子ども扱いされたことにムッとするところだが、それよりも助っ人という言葉が才吉には気に掛かった。

「まだそのことは話してないんですよ、ディアーナ。才吉くん、とりあえず我々の話を聞いてもらえますか?」

「え、ええ、もちろん」

 そうして煉が語り始めた話は、才吉を驚愕させるに十分なものであった。

 狩野村の北には広大な森が広がっている。そこはエルフ族の住む森で、人間族と亜人族世界の境界ともいえる場所だ。一部は白い森と呼ばれ、ホワイトエルフの居住地域。残り半分ほどは黒い森と呼ばれ、そこはダークエルフが暮らす領域となっている。
 人間やエルフを含む多くの種族は、過去の数度に渡る争いを経て、今では互いに不干渉の条約を交わしている。世界種族会議で定められたその条約は、あくまで種族間の争いに関する決め事であり、決して互いの交流を禁じるものではない。実際にエルフやドワーフとの交易は各地で盛んに行われており、狩野村も白い森の外れの集落とは友好的な関係を築いていた。
 ハーフエルフが暮らすその集落は外れ村と呼ばれ、純血のエルフからは差別的な扱いを受けてきた歴史を持つ。ディアーナはそこの村長の娘であり、同じく早くに母親を亡くした境遇のためか、狩野家とは家族同然の付き合いをしていた。
 そんな平和な村に事件が起きたのはおよそ二週間前、煉の父が木材調達の依頼で村を訪れたときのことだった。
 その日、外れ村では月に一度のランチビュッフェが開かれていた。それは各家が料理を一品ずつ持ち寄り、中央広場で食事をするという催し。村人全員が参加するため、同時に話し合いや報告の場としても利用されていた。
 煉の父も仕事で訪ねる際は、その日を利用していた。その場で村人の総意が得られて都合がいいのだと、生前によく話していたそうだ。
 宴が進み踊りや演奏が始まる頃になって、何人かの村人が体の痺れを訴えはじめた。最初に疑われたのはヨハンという男。彼は数週間前から村で寝泊まりするようになった純血のホワイトエルフの商人だった。人間の街での商談のため、しばらく外れ村に滞在していたという。
 だが疑わしいはずのヨハンまでもが動けなくなり、やがてほとんどの村人が倒れ込んでしまった。ディアーナと彼女の父親そして煉の父の三人は別卓で食事をしていたのが幸いしたのか、痺れはあっても動けないほどではなかった。
 そんな中、突如ダークハーフエルフが村を襲う。総勢五十名ほどの集団の中には、頭のてっぺんから爪先まで黒ずくめの異様な風体の者たちが混じっており、その連中は村の男性や老人だけを狙って、次々と亡き者にしていった。一方、ダークハーフエルフたちは動けない女子供を縛り上げ、村の外へ連れ出していく。死に物狂いで応戦するディアーナたちであったが、黒ずくめの一団はかなりの手練れ揃い。とても太刀打ちできる相手ではなかった。まして彼女たちは痺れ薬でまともに動けない状態なのだ。
 守備兵でもいたのなら、状況は違ったのかもしれない。だが白い森を治める純血のエルフたちがハーフエルフの村に軍を駐留させることはなかった。巡回の兵が訪れるのはせいぜい月に一回程度、守備兵を常駐させている他の集落と比べれば、明らかな差別と言えた。
 徐々に追い詰められたディアーナたちは、苦渋の決断を迫られた。彼女は父の説得により、助けを呼ぶため狩野村の方角に向かって走り出す。熱鉄(ねってつ)を飲む思いで村を後にする彼女の背後に黒ずくめの追手が迫った。奴らが放つ飛び道具が全身をかすめ、あちこち血が(にじ)む。それでも、彼女は必死で走り続けた。
 やがて狩野村が遠くに見えはじめると追手たちは諦めて引き返し、彼女は残ったわずかな気力を振り絞って村へと走り込んだ。

「助けて! お願い……、村を……」

 悲痛な叫びが響き渡る。知らせを受けた安室の行動は迅速だった。非番の兵士の緊急招集と村の警備を副隊長に一任するや否や、自ら先陣を切って飛び出す。それを追うように兵士たちも出撃。隊列も作戦もなく、各自が全力で走ったという。
 軍としての行動理由は領主の救出。だが同時に外れ村の人々を救いたいという強い思いが彼らの胸にはあった。外れ村のエルフたちは、種族は違えども互いに祭りや祝い事に招待し合い、何度も酒を酌み交わした気心の知れた仲間なのだ。
 だが、安室が外れ村に着いたときにはすでに狂気の舞台の幕は下りていた。広場には村人たちの亡骸が並べられ、その中には静かに横たわる村長と領主の姿もあった。
 骸の向こうに隠れるように、ダークハーフエルフたちは両手をあげ膝をついていた。戦う意志はないというアピール。黒ずくめたちの姿はどこにも見当たらない。安室は血が出るほど唇を噛み締めた。
 そんな彼女の前に顔に大きな古傷のあるダークエルフが歩み出る。その男は卑屈な笑いを浮かべながら、こう言った。

「あんたらと事を構えるつもりはない。どうか武器を収めてくれ。これはあくまでもエルフ同士の争いだ」

 メイスを握る安室の手は怒りに震え、遅れて合流した兵士たちもその状況に絶句する。ダークエルフの男は言葉を続けた。

「人間が一人巻き込まれてしまったが、これは彼が敵に加担した結果、いわば彼自身が招いたことだ」

 片方の口の端を上げながら、男はさらに話す。

「もし無抵抗の我々を攻撃すれば、それは重大な不干渉条約違反になる。どうかこのまま引き下がってほしい。お望みなら、亡骸は全てお渡しする」

 鬼のような形相になりながらも、彼女は今にも飛び掛かりそうな部下たちを制する。そして、なめた口をきいた男に向かって答えた。

「貴様ら……、自分が何をしたのかわかっているのか?」

 男はニヤリと下品な笑いを浮かべた。

「残酷だが、これが争いというもの。あなた方も軍人ならおわかりのはずだ」

 一瞬、怒りが頂点まで達しそうになった彼女の脳裏に、ある青年の顔が浮かぶ。するとその表情は真顔に戻り、怒りによる震えもピタリと止んだ。だが、彼女の心中は決して穏やかなどではない。静かに怒気を(まと)うその姿は、彼女を知る部下たちですらゾッとするものだった。

「一つだけ忠告しておく。貴様らはすぐに思い知ることになる。誰を敵に回したのかってことをね」

 そう言うと安室は細く息を吐き、男に背を向けた。全ての遺体を回収するよう指示を出す彼女の背後で、ククッと押し殺したような男の笑いが聞こえた。
 その日、狩野村では全ての村人が悲しみに暮れた。ディアーナは傷を負っているにもかかわらず、体中に血を滲ませながら憑かれたように埋葬を続ける。結局、狩野村に逃げ延びたのは彼女ただ一人だった。
 絶望に打ちひしがれながら、ただひたすらに穴を掘り続けるディアーナ。そんな狂気をはらんだ彼女を止めたのは安室だった。ディアーナはスコップを投げ出すと、やり場のない感情をぶつけた。

「なんで! どうして奴らを殺さなかった! あいつらは父を、村の仲間を殺したんだぞ!」

 そう泣き叫びながら両手で安室の胸を何度も叩く。安室は何も言わず、ただそれを受け止めた。
 やがてディアーナの叫びは嗚咽へと変わる。足元に泣き崩れた彼女に安室はそっと声をかけた。

「このままでは済まさない。煉がそれを許すはずないわ。ねぇ、そうでしょう? ディアーナ」

しおり