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第5話 絶叫

「よいか、アクタ、ウツロ。わしはおびただしい数の人間を(あや)めてきた。わしによって殺められた者たちには、当たり前だが家族がいる。恋人が、友人が、どんなに小さくとも、関わりを持つ者がいる。その者たちの悲痛な叫びを聞くことに、わしは耐えられなくなってきたのだ。愛する者を奪われた人間たちの、嗚咽(おえつ)を聞くことに」

「おそれながらお師匠様、それは先ほどもお聞きしました。しかしそれが何でしょう? 生きるために他を犠牲(ぎせい)にするのは、世の(つね)でございます」

 ウツロはこのように申し立てをした。

 アクタも言葉には出さずとも同意している。

「もう十年ほど昔のことになるが、わしはある政治家の暗殺を依頼された。わしはすぐにその男の身辺(しんぺん)を調査した。名を万城目優作(まきめ ゆうさく)。当時、政権与党の中堅政治家だったが、幹事長に目をかけられ、強い発言力を持っていた。彼の妻は、日和(ひより)という名の少女を生んだあと、不慮(ふりょ)の事故で鬼籍(きせき)に入っていた。万城目は男手(おとこで)ひとつで娘を育てる『戦うパパ』として、世間での評判も良好だった。しかしこの男、支持基盤である大手(おおて)ゼネコンと結託(けったく)し、その企業の受注を有利にする見返りに、多額の賄賂(わいろ)を受け取っていたのだ。依頼主は素性(すじょう)を明かさなかったが、おそらくそやつに遺恨(いこん)を持つ何者かだろう」

「なんと、そのような悪行(あくぎょう)を……しかしお師匠様、そんな男など始末されて当然ではないでしょうか?」

「最後まで聞いてくれ、ウツロ。わしは身辺調査の過程で、万城目優作が国際的なテロ組織から何度も脅迫(きょうはく)されていることを知り、これを利用することにした。彼が主催するパーティーの会場を、そのテロ組織の犯行に見せかけ、襲う計画を立てたのだ。ビルのほとんどを爆破する大胆な作戦だったが、正体を知られないためにはいちばん合理的だった」

「その話が、いったいどうつながるのでしょう?」

 話の筋が見えない。

 アクタはぶしつけを承知で、おそるおそる質問をした。

「わしは万城目の娘、日和のことが気にかかっていた。ちょうどお前たちと同じ年ごろだったからだ。わしはなんとか、彼女だけでも逃がしたいと考えた。父親を殺せば彼女は二親(ふたおや)を失ってしまうわけだが、それでも命だけは助けたいと思った。幸いにもイベントの当日、父方(ちちかた)の実家に預けられるという情報を得たわしは、作戦を決行した。しかし……」

 ウツロとアクタはごくりと生唾(なまつば)をのんだ。

「万城目日和はその会場にいたのだ。父が忘れたスピーチの原稿を届けるという理由で。こっそり行ってパパを驚かそうという、子どもの発想で」

 まさかと、二人の顔に冷や汗が浮き出る。

「わしはこの黒彼岸(くろひがん)で万城目優作の頭を砕いた。作戦の完遂(かんすい)を見届け、その場をあとにしようとした矢先……あの声が、少女の絶叫(ぜっきょう)が……」

   人殺しいっ!

   お父さんをっ、返してえええええっ!

「わしは名状しがたい恐怖に()られた。いままでわしのしてきたことは、すべて間違いだったのではないかと。そしてわしは、混乱したわしは……手に(にぎ)っていた黒彼岸を、その少女に向かって、振り下ろした――」

 ウツロとアクタは絶句した。

「そのとき以来、わしの頭の中には、あの少女のことがつきまとって、離れなくなってしまった。あの声が、わしに憎悪(ぞうお)()しみなく向ける、あの顔が……」

 まるで覚醒(かくせい)しながら悪夢でも見ているかのような心境を、似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)はまざまざと吐露(とろ)した。

 ウツロもアクタも身じろぎすらできずにいる。

「あの少女がお前たちと重なる。お前たちが成長するごとに、わしの頭の中のあの少女も大きくなってくるのだ。そしていつか、わしに(うら)みを晴らしに来るのではないかという、幻影(げんえい)が……」

 このように彼は、精神の中に巣食う呪詛(じゅそ)について告白した。

 普段の威厳(いげん)ある師からは想像もできない姿に、二人は息をのむのも精いっぱいだった。

「だからもう、わしは耐えられなくなった……この稼業を、続けることに……アクタよ、ウツロよ、どうかわかってくれんだろうか? このとおりだっ――!」

 似嵐鏡月はやにわに頭を深々(ふかぶか)と下げ、板の()に両手をついてひれ伏した。

「おやめください、お師匠様!」

「頭をお上げください、お師匠様!」

 ウツロとアクタは(あわ)てふためいて、師を土下座へ追いこんでしまったことを激しく後悔した。

「アクタ、ウツロ……(おろ)かなわしを許してくれ……」

   *

 その後、三人は会話も(とぼ)しく食事を済ませ、ウツロとアクタは師のすすめで風呂に入ることになった。

 鋳物(いもの)風呂釜(ふろがま)は似嵐鏡月が()かして、すっかり湯気(ゆげ)の立ちこめる熱湯(ねっとう)になっている。

 二人は順番に湯につかったが、先ほどのことが頭から離れない。

 (まき)は外で似嵐鏡月がくべている。

 不器用ながらも親を演じようとする態度に、彼らは人知れず落涙(らくるい)した。

 その涙は文字どおり、結露(けつろ)の中へと消えていったのである。

 風呂から上がったあと、ウツロとアクタは薪をくべると申し出たが、似嵐鏡月に「残り湯で入るから、お前たちは休みなさい」と、逆に気づかわれた。

 彼らは奥座敷(おくざしき)の二十(じょう)ほどある寝室に入り、(たたみ)の上に布団を敷いて横になった。

 言葉は、ない。

 アクタは頭の下に両腕を組んで、天井をボーっと見つめている。

 いっぽうウツロは、書棚(しょだな)から一冊の本をおもむろに取り出した。

(「第6話 深淵(しんえん)をのぞく者たち」へ続く)

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