２
時は流れて、ゲンイチロウが宣言した上意決行の日がやってきた。
この日、『四季』の面々は、都心部からかなり離れた巨大リゾート・プールに向かっていた。日頃の行いの賜物なのか、朝から好天に恵まれ、気温も急上昇中で、絶好のプール日和にシオリは意気衝天の勢いで足取りが非常に軽かった。好対照を為していたのはナオトである。表情は冴えず、天を恨めしそうに見上げたかとおもえば、地面に目を落として意気消沈したりして、肩を落とし、何度も溜息をもらしていた。その度にシオリに活を入れられるのだが、効果の程はほとんど無いに等しかった。足取りがすこぶる重くなってしまうのも理由があることなので、致し方ない。
そんなナオトの心がようやく穏やかに凪いだのは、プールの入場口と感動のご対面を果たしたときであった。不測の事態に遭遇する願いを断念したのであろうか、諦観した趣で呟いた。
「天はよくご覧になられておいでだ、そうは思わないか？ シオリ」
ナオトの表情を目にして、シオリはゲンイチロウの大きな背中に慌てて身を隠した。そんな、ちょっとした
園内のフード・コートで落ち合う約束をして、男女分かれてそれぞれ
ゲンイチロウは、目がチカチカするような極彩色のボートショーツにアロハシャツ。カナタは、落ち着いた灰色のサーフパンツにチェックのカットソー。ド派手な
ナオトは、黒と紺のクレイジーパターンのトランクスにグレーのカットソー、その上にネイビーのパーカーを羽織っていた。自分自身を着飾ることに無頓着な上にお洒落にも疎いため、マネキンが着けていたものをまとめて購入してきたとキョウジに告げると、呆れたような辛口の論評で胸をえぐられてしまった。
「よくわかったよ、お前さんがなにを着ても似合わないのがね」
キョウジは、デッドリー・ストーンをサイドに配した黒いトランクス、白いＴシャツにストライプシャツを羽織っている。容姿端麗なことがまったくの無関係ではないであろうが、さすがに似合っており、ナオトを扱き下ろすだけのことはある。しかしキョウジ曰く、中身だけではなく、
着替え終わった男性陣が園内に姿を現すと、目に飛び込んできたのは大変な人の賑わいであった。平日を選んでやってきたのだが、学生にとっては夏休みにあたるため、友人、恋人、それ未満、また、小学生以下の子供も大勢いて、探偵業を生業にしていながらの
とりあえず男四人はフード・コートに向かったものの、これだけの賑わしい中でひとりの女の子を探すのは困難かもしれないと案じていたのだが、杞憂であったようだ。自分よりも大きなイルカの浮袋を抱えている人物に、目を引かれたのである。
シオリは、タンキニタイプの水着で、フリル付きのピンクのハイネックのトップス、ボトムスもフリル付きのピンクのスカートタイプである。ご自慢の長い髪の毛は、両サイドをねじって後方で結び、残りは結び目の下でまとめられていた。フランクフルトを手にしているのに気がついたナオトは思わず微笑んだ。
「おっ、こっちを見つけたようだな」
ゲンイチロウが指摘したように、シオリは男たちを認めて、フランクフルトを掴んでいる右手を大きく振っている。しかし妙なことに、手を振る速さは徐々に遅くなり、やがて、完全に停止してしまった。小首をかしげているようである。双方が合流を果たすと、シオリは見慣れないオールバックの男をフランクフルトで指差した。
「あなた誰？」
ゲンイチロウが思わず吹き出した。キョウジは意味ありげに微笑んでいる。カナタはもともと表情が豊かではない。ナオトは名状しがたい表情で口をヘの字に結んでいる。
「わからないかい？ 今ここにいるのは顔馴染みのはずなんだがね」
キョウジが半笑いで応じると、シオリは一人ひとりの顔を記憶と照らし合わせて指を折っていった。どうやら、名前と顔が一致しない人がいたみたいである。シオリは、胡散臭そうな目で、オールバックの男に目を凝らしている。やがて、目は右斜め上方へ向いて、程なく、オールバックの面上に再び固定された。脳内回路が
「もしかして、ナオト？」
なぜだか恐る恐る尋ねるシオリにナオトが無言で頷くと、シオリは自分でも驚くほどの裏返った素っ頓狂な声を上げた。
「えー、えー、ウソでしょー」
ナオトのうっとうしい髪をスカーフでまとめたのはキョウジであった。キョウジ自身は髪留めを使用して髪はハーフアップにまとめたのだが、ナオトにはキョウジが首に巻いていたスカーフを転用したのである。
「こちらがプール仕様の夏目ナオトになります。いかがでしょうか、フラウ」
初めて目にする珍獣でも見るような表情でシオリは、頭部を中心にして反時計回りにナオトの周囲を巡った後で、ぽつりと感想をもらした。
「いつものナオトのほうがいい」
「ほら見ろ、だから言っただろう、オールバックは似合わないって」
ナオトが髪をまとめているスカーフを外そうとすると、キョウジがそれを制止した。
「いいからそのままにしておけって、不自然さは一時のものさ。それに、自分を飾ることには頓着しないんじゃあなかったのか？ 言行不一致は信用を失う理由の最たるもの、とどこかのご老人がのたまっていたそうな」
「むー」
言い返す言葉が見つからないナオトは、外方を向くことで不満を表明した。
「これ、あげる」
シオリが申し訳なさそうに、綺麗な歯型のついたフランクフルトをナオトに差し出した。ナオトは複雑な表情で答えた。
「いいよ、別に本気で腹を立てているわけじゃあないから。それより、楽しみにしていたんだろう？ 気は乗らないけれど、早く行こう」
「うん」
シオリとナオトは他の三人を待たずに先に行った。有料の
「あっ、ここみたいだよ」
大きな瑠璃色のビーチパラソルが立っている。テーブルが一卓と椅子が二脚、それに加えて
遅れて到着したゲンイチロウは、ラウンジャー一脚をビーチパラソルの陰に収まるように、もう一脚は日向に配置し直した。日向に置いたラウンジャーはゲンイチロウが使用し、シオリはプールで水遊び、ナオトは嫌々ながらもその相手をしなければならない。カナタはビーチパラソルの陰になっている地面に座るそうだ。結局余ったラウンジャーは、キョウジが使用することになった。
ナオトは緩慢な動作でパーカーとカットソーを脱ぐと、シオリが持ってきていた巨大なイルカの浮袋を抱えた。
「えらいでかいな」
「これだと恥ずかしくないでしょ」
シオリが気を利かせてくれたのは理解できたものの、大きくて目立つことこの上ない。別の意味で恥ずかしいと思ったものの、角が立つかもしれなかったし、シオリが臍を曲げる恐れとキョウジにからかわれる可能性も捨てきれなかったので、ナオトは本心を心の内に封じ込めた。
「それじゃあ、行ってくるねー」
シオリは、乗り気ではないナオトの背中を文字通り押して、プール・ゾーンに向かった。対極な二人と巨大なイルカが歩き去っていくのを目に映しながら、キョウジがゲンイチロウに問いかけた。
「おっさんは泳がないのかい？」
「わしは引率者だ。連れて来て、連れて帰るのが仕事だ」
「相変わらずお固いね」
「そういうお前はどうなんだ？」
「そうだな、しばらくは目の保養を優先するとしようかね」
ゲンイチロウは溜息混じりで釘を差した。
「騒動は起こすなよ」
「大丈夫大丈夫、おれ自身にはまったくその気はないんでね。まあしかし、相手のあることだから確約はできないがね」
笑って済ませたキョウジの言葉を信じたわけではないけれど、ゲンイチロウはなにも言い返さず、今ひとりに目を向けた。カナタは三角座りして早速本を読んでいる。泳ぐ気はまったくなさそうである。
「まあ、プールに来たからといって、泳がなきゃならん法はないわな」
自分のことは棚に上げながら独り言つと、ゲンイチロウは諸肌を脱いで、ラウンジャーに背中を預けて横になった。
競泳プールに現れたナオトとシオリは、まず、軽くストレッチをした。その後シオリは深い場所で縦横無尽に泳ぎ始めた。ナオトには、なぜそんな涼しい顔をしてそんな芸当ができるのか、シオリが特別ではないのは周りを見ればわかるのだが、自分が同じように泳いでいる姿は、とんと想像できなかった。特別なのは自分なのかもしれない、との考えが脳裏をよぎったが、あまり深く考えると自己嫌悪に陥るのは目に見えていたのでやめておくことにした。
「ナオトー！ 気持ちいいよ！ 早く早くー」
シオリが呼び立てるので、ナオトは仕方なくプールを覗き込んだ。かすかに波立っている
「冷たっ、いが、たしかに気持ちいいな」
この先は、泳げない者にとっては大きな
「いつまでそうしてるつもり？」
シオリが石化を解く呪文を口にすると、ナオトは浮かぬ顔で呟いた。
「できればずっとこうしていたい」
「それで楽しいって思える？」
少し間を空けてから、ナオトが言葉を返した。
「……、思わない」
「でしょ。せっかくプールに来たんだから、少しくらいは泳げるようになりたいじゃない？」
「先ず前提からしておれの本意ではないんだが」
「まだそんなこと言ってる」
シオリが呆れ顔で応じた。
「とりあえず顔つけてみてよ」
「うーん。やりたくないな」
「最低でもそれができないと、他の
ナオトにもシオリの言葉が大前提であるのはわからないではない。ただ、苦手意識がそう簡単に払拭されるのであれば、ナオトの夏の過ごし方も、それらの色彩が彩りを加えて、今よりももっと彩色豊かなものになっていたであろう。それでもナオトが夏を嫌いにならないのは、プールや海だけが夏の楽しみ方ではないからである。それに、肌を刺すような日差しも、体が溶けてしまいそうな高温も、目を楽しませる向日葵も、耳を震わせる蝉の声も、心を潤す風鈴の
「おれなんか放っておいて行ってきなよ。楽しみにしていたんだろう？」
シオリは、身体を寝かせて水に浮かびながら空を見上げ、太陽に手をかざした。
「ひとりじゃつまんないモン」
「キョウジがいるだろう？」
シオリが秀麗な眉根を寄せた。
「キョウジの側にいたら面倒なのよ。他の女の人の目が怖いし、別にあたしは気にしないんだけど」
道理にかなったシオリの返答は、ナオトを得心させるのに十分であった。
「それよりさ、まずは水が怖いのを克服しないとね」
シオリが向ける明るい笑顔を見て、ナオトは少しやる気になろうとした。シオリにそんな気は無いのかもしれないけれど、限りある時間を無駄にさせたくはなかった。ナオトは意を決して水に顔をつけた、のだが、十秒経っても顔を上げる気配が一向にない。シオリは慌ててナオトに近づいて顔を水面に引き上げた。
「ちょっと大丈夫？ 息継ぎしないと死んじゃうよ」
ナオトは激しくむせ返った。
「少し、水飲んだ」
腕組みしたシオリは、差し当たって、水に慣れることを第一義に考えることにした。シオリはナオトの手を引いて、足が
「水の中で、目、開けられない？」
「目？ そういえば、まるで気にしていなかった」
「じゃあやってみようよ。ナオトは目を開けてあたしを見て。あたしもナオトを見るから」
ナオトは首肯した。
努力の成果は少しずつではあったが顕著に現れた。シオリの助言を三十分ほど繰り返す間に、ナオトは水の中でシオリを見られるようになり、息継ぎのほうもなんとか慣れてきたようだ。そこで、ステップは第二段階に移行する。
「少し休憩する？」
シオリの優しさあふれる心配りにナオトは首を横に振った。一刻も早くできるようにならないと、シオリが楽しむ時間が本当に無くなってしまうかもしれない。プールに行こうと提案したときのシオリの眩しい笑顔を思い出すと、このまま自分のお守りだけで帰らせるわけにはいかなかった。ナオトは何度沈んでも、その度に水を飲もうとも、決して休むことなく黙々と同じことを繰り返した。横になっては沈み、水を飲む。激しく咳き込んでも一向にやめようとはしなかった。そんなひたむきなナオトを見ていたシオリは胸に迫るものがあったのであろう、自分でも気づかないうちにナオトの側に近づいていた。そして、そっとナオトの背中に手を回した。
「あたしが支えるから。絶対できるから」
半べそになっているシオリを目にしたナオトは、どのように対応するのが正しいのかがわからなくて困惑した。勝ち気な女の子だと思っていたが、意外な一面を見せられて、人は単純ではなく、多面性を内包した存在なんだということに改めて気づかされた。間違っているかもしれないが、ナオトは優しそうな笑顔を浮かべて頷いた。
「わかった、頼むよ」
ナオトは全身の力を抜いた。そして、ゆっくりと上体を後方へ倒した。背中にはシオリの手が感じられた。もう片方の手が、腰に添えられた。ナオトは全てをシオリに委ねた。
「そう、ゆっくり、慌てないで、力を抜いて」
ナオトはシオリの言葉に従った。
「うん、そう。両手、広げてみて、ゆっくりね」
ナオトはゆっくりと両手を広げた。
「うん、いい感じ。力入れちゃダメだよ。そう。なにがあっても慌てないで」
シオリはナオトを支えている手をゆっくりと離していった。それはナオトにも感じられた。
「目は空を見て。なにが見える？」
「青い空が広がっている。雲ひとつ無いな。あっ、鳥が横切った」
シオリは空を見上げた。ぬけるような青空に浮かんでいる太陽の光が、二人を祝福しているかのように燦燦とふりそそいでくる。ナオトが視界を横切ったと語った鳥を目で探した。
「うん、そうだね」
逃げ出したセキセイインコの親子だろうか、それともつがいだろうか。一羽はミストホワイトとスカイグレイ、もう一羽はサーモンピンクやネーブルズイエローの羽色をしているのだが、シオリには黒い影としか視認できなかった。シオリは横になって浮かんでいるナオトに視線を向けた。
「どんな感じ？」
ナオトは素直に感想を述べた。
「気持ちのいいものだな」
「そう、良かった」
シオリが聖母のような優しそうな笑顔で答えた。
「ありがとうシオリ。おかげで、始めて水遊びが楽しいって思えたよ」
横になった姿勢のまま沈んでいったので、ナオトの感謝の言葉は後半からあぶくと化した。
「ナオト！」
シオリは慌ててナオトを救け上げた。そして背中をさすりながら、プールの縁までナオトを誘導した。
「大丈夫？」
「ああ、大丈夫だ。水を飲むのにも慣れたものだよ」
「そんなの慣れちゃダメだよ」
シオリが寂しそうにうつむいてしまったので、ナオトは頭をかきながら言葉を継いだ。
「ごめん、失言だった。でも、楽しいっていうのは本当なんだ。シオリが助けてくれるってわかってるから、たぶん安心しているんだろうな」
シオリは照れたようにはにかんだ。
「もーっと楽しいところがあるんだよ」
シオリの声が今日一番弾んだ。シオリはプールから上がるとナオトに手を差し出した。その手を掴んで、ナオトもプールから上がった。シオリがイルカを抱えて歩き始めたので、ナオトは後を追った。
シオリが向かったのは『四季』のみんなが休憩している場所であった。キョウジが居なくなっていたが、誰もが無意味だと思ったのか話題に上らなかった。イルカの浮袋を空いているラウンジャーに寝かせると、シオリは早足で歩き出した。ナオトが影のように従う。見えてきたのは、半円形や円形の筒みたいなものが複雑にうねっている設備であった。高さは五十メートル以上はありそうだ。半円形の筒みたいなものの最終箇所には大きな着水プールがあった。
「ジャーン！ ウォーター・スライダー！」
「ウォーター？ なんだって？」
「話したじゃない、水が流れてる滑り台のようなものだって」
「うーむ」
ナオトは、ウォーター・スライダーを見上げて、腕を組んで低く唸った。
「全長三八六メートル、最大勾配六十八度、滑走速度は三十キロを越える、国内でも有数のウォーター・スライダーなんだって。ワクワクするでしょ！」
シオリの瞳が爛爛と輝いていた。ナオトは懸念を表明した。
「おれみたいに満足に泳げなくても滑っていいのかな？」
「大丈夫よ、あたしが先に滑って下で待ってるから。プールも足がつくし、なにかあってもあたしが救けるから」
シオリの表情が「早く行こうよ」と急かすように訴えかけていた。ナオトは観念したように呟いた。
「了解だ」
開始地点に上がる階段には長蛇の列ができていた。ナオトは思ったものである。この国の人々は並ぶことを苦とも思わない。加えて、人が並んでいると興をそそられる。横入りなど
しばらくして、ようやくウォーター・スライダーの滑走開始場所がある最上段に到着すると、とても眺望がよく、広い園内を一望できた。下から見上げた感じより、思いのほか高く感じられた。
「高い
ナオトが頭を振ると、安心したようにシオリが笑った。
「良かった。
シオリの笑顔には人を安心させる効力が付与されているに違いない。なんとなく、そんな感慨をナオトは覚えた。
この園のウォーター・スライダーはボディスライド形式であった。順番がくると、まずシオリが滑走位置に着いて、振り返ってナオトに伝えた。
「よく見ててね」
シオリは仰向けになり、両手を左右に広げて縁を掴んで一時停止した。それから体を押し出すようにすると、勢いよく滑り始めた。見る見るうちにシオリの姿が消えていった。
係員に促されたので、ナオトはシオリがやっていた手順を思い出しながら倣った。それから目を閉じて、一度深呼吸をして心を落ち着かせてから、カッと目を開いた。
「ままよ」
ナオトは滑り出した。最初は十メートルほどの急勾配の直線である。その後、半円形の走路が円筒形に変化し、左へ曲がる。円筒形内部は
「大丈夫？」
放心状態のナオトが我に変えると、シオリに支えられながら歩いていることに気がついた。
「ああ、もう終わったのか」
ナオトは呼吸を整えるために何度か深く息をした。シオリはプールの縁にナオトを座らせると、その隣にちょこんと腰を下ろした。
「どうだった？ 楽しかった？ 面白かった？ 怖かった？」
「いや、そんな感情を確認する余裕はなかったな。しかし、ウォーター・スライダー？ 凄いものだな。誰が考案したんだろう」
「そんなのどうでもいいじゃない。楽しいんだから」
正面に見えるウォーター・スライダーに目をやって、ナオトは少し顎を引いた。
「それもそうだな」
「もう一回行ってみる？」
シオリがナオトの横顔を見て尋ねた。ナオトはお腹をさすった。
「お腹減らないか？ 今何時なんだろう」
「実はあたしもお腹ペコペコ、なにか食べに行こっ」
シオリは立ち上がると、ナオトの手を掴んで早歩きでみんなのもとに向かった。
「十二時、過ぎていますね」
カナタがスマートフォンを見て冷静に伝えた。ナオトはカナタも昼食に誘ったが、ゲンイチロウがまだ眠っており、「ボスが起きるまで待っています」というので、シオリを伴ってフード・コートに向かった。
フード・コートで軽めの昼食に舌鼓を打ちながら、ナオトはシオリに次はどこに行きたいかを尋ねた。あらかじめ今日の予定を考えていたのであろうか、シオリは簡潔で明瞭な言葉で即答した。
「流水プール！」
ナオトが小首を傾げたので、聡いシオリが園の
シオリたちが休憩場所に戻ってくると、カナタがゲンイチロウを無理矢理起こして、入れ違いに昼食を摂りに行った。ナオトとシオリはラウンジャーに横になって、午前中の疲れを癒やすために、しばらく体を休めることにした。
「ねえ、ひとつ訊いてもいい？」
シオリの気遣いがナオトには感じられた。ナオトが首を縦に振って促すと、シオリは少し間を開けてから口を開いた。
「ナオトって、小・中・高のときの水泳の授業って、どんな感じだったの？」
ナオトは空に浮かんでいる太陽に眩しそうに目を据えたが、すぐに目を閉じた。
「あまり、いい思い出はないな」
「ごめんなさい」
シオリの声が申し訳なさそうに沈んだので、ナオトはシオリを見つめながら、つとめて明るく補足した。
「全然気にしていないといえば嘘になるけれど、シオリが謝る必要なんて無いよ。今日は自分でも驚いているんだけれど、十分楽しめているからね。それは間違いなくシオリのおかげだ。感謝しているよ、本当にね」
「そっか、なら良かった」
華が咲いたような笑顔がシオリの満面に広がった。不思議なことにナオトが固まってしまったので、シオリはきょとんとした。
「どうしたの？」
「いや、なんでもないよ」
ナオトは平静を装いながら周囲に視線を向けた。大勢の人たちが声を上げて楽しんでいて、その中に自分もいる。そんな情景は想像だにしていなかった。シオリに語った言葉に嘘はない。そういえば、いつかキョウジが語った台詞を思い出していた。「確定した未来なんてないさ」という台詞を。キョウジは軽口で済ましていたけれど、ナオトの胸にはストンと落ちていたのであった。
