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【一】兄の死と今

 兄、一紗が脳死判定を受けた時の事を、青山二葉(あおやまふたば)はよく覚えている。2220年のその日は白い雲が街を低く見せていて、雨が小降りに路行く人々を濡らしていた。マンションの一室で街路を見おろしていた青山は、指輪型の携帯端末が音を立ててたその日、大学の卒業パーティーの時刻を待っていた。

 第八シェルターの人間は、全員が右手の薬指に、銀の指輪型の通信システム・幸神(さいのかみ)を嵌めている。これは通信端末・芸術感情(アーティフィジカル)管理・金銭管理・個人情報管理等を包括的に行うシステムだ。

「兄が……? センシティブに堕ちて……死んだ……?」

 その訃報は、あまりにも唐突だった。
 二葉の兄である青山一紗は、警邏庁所属特別刑務官として特務級の感情表現者を監視・制御しながら、芸術家と呼ばれる犯罪者を排除する仕事――四月から青山もまた従事する蒐集家(コレクター)の仕事に就いていた。自慢の兄だ、憧れの兄だ。

 センシティブに堕ちるというのは、捜査などに深入りしたり、監視対象であるある種のバディに肩入れする内に、己まで感情表現者や芸術家になってしまい、排除対象となることを言う。今回の訃報は、兄・一紗がセンシティブになり、事態に気づいた別の特別刑務官の手で撃たれ、脳死状態になったという報告だった。

 つけっぱなしだった壁にあるテレビ端末からは、場違いに明るい音声が響いてくる。

『人工心臓の開発に成功したセルミネティック社は声明で――』

 チラリと見る。
 最近では、人工臓器の報道が多い。だが、人体間移植にはまだ及ばないとされている。
 たとえば、それは脳が筆頭だ。現在のところ、脳移植は、脳死した患者に対して以外の成功例はない。しかし、脳が死んでしまったら、あとは臓器移植を許諾するかどうかの、生ける臓器ホルダーとしての価値しかなくなる。つまり兄は、たった一人の家族である己が許可を出せば最後、バラバラに分解されて、誰かに移植される。しかし家族であれば、移植拒否や、脳死状態のままでも体が衰弱死するまで生命維持装置に繋ぐ許可を求められる。思案するように瞼を伏せてから、青山は選択した。

「兄の体は、生命維持装置に繋いでくれ」



 ――三年後。2223年。

「青山二葉特別刑務官」
「はい」

 警邏庁所蒐集課付属特別刑務班の班長となった青山は、課長である小此木朝霞(おこのぎあさか)の前に立っていた。黒縁眼鏡の小此木も、元は特別刑務官だったという。

 特別刑務官は出世すると、警邏庁ひいては国の中枢を司る評議委員会に近しい場所にいける。青山は、第一種指定犯罪事件により没した両親の死因について知りたいがために、その機密情報を閲覧可能な階級まで出世したいと考えている。元々それは、兄である一紗も同じ考えであり、二人で決めたことでもあった。

「君に今日から担当してもらうのは、元々君の兄上が担当していた特務級の感情表現者――芸術家である篝朔だ。君の兄上の事件の後、特別監置所で拘束していた。今回、解放し、君の配下とする。くれぐれも、私情を挟むことの無いように」

 三十六歳の小此木は、外見よりも老成して見える。
 少なくとも二十八歳の青山にはそう感じられた。

 指示を受けたその足で、青山は特別監置所へと向かう。仰々しい一般刑務官からの挨拶もそこそこに、独房と呼ぶに相応しい場所に向かう。それは地下十五階にあった。進んでいくと、椅子に拘束されている女性の姿があった。

 ――篝朔、二十三歳。
 芸術家カテゴリは、小説家である。元々は同じ更生施設の児童・生徒・職員を、二名を残して大量虐殺した殺人犯だが、当時の記憶が曖昧な事で錯乱状態だったという司法の判断から減刑され、さらにAIが特別刑務官のバディ適性を認めたために、今ここにいる。

「篝朔だな?」
「……」
「ああ、答えることは不可能だったな。監視官、拘束具を外してくれ。篝、立て」

 青山が感情の見えない声で告げると、周囲の監視官が、篝の拘束具を遠隔操作で外した。するとビクリと体を揺らしてから、篝が立ち上がる。その足取りは、端から見ていてもおぼつかない。

 自発意思での歩行では無いからだ。
 首輪が、進退動作を掌握し、足を動かしているに過ぎない。
 思考を奪う薬も投薬されている。

 こんな状態でも人と呼ぶのに、ただ脳が死んだだけで、兄は人権を奪われようとしている。それが、青山には不思議でもある。

「投薬段階をフェーズ3まで弱めるように。徐々に歩行を俺の制御下のもとにかぎり行えるように電気信号制御を変更してくれ」

 まるでアンドロイドだ。いいやAI搭載型のアンドロイドだってもっとマシに動く。
 青山は無表情で、篝を見てから踵を返す。
 黒い髪は長く伸びていて、俯いているから顔が見えない。
 長身の青山から見れば、篝の背は低く、ギリギリ150cmあるかというところだ。目測だが、そのくらいだろう。体躯は細い。あれで果たして、芸術家を本当に排除できるのか。いいや、本人も危険な芸術家なのだから、侮るわけにはいかないが。そう考えながら焦げ茶色の前髪を後ろに撫でつけた。


 エレベーターに乗り、車に誘導し、後部座席に二人で乗ったところで、青山は改めて篝を見た。

「篝」
「……」
「特別インテークにより、管理システム・塩の柱の段階を、一時的にフェーズ2に移行した。話せるはずだ。声帯圧迫を解放している」
「……」
「今後、お前を監視下に置く青山という」
「……? アオヤ……っ……違う、貴方は青山じゃな……っ、げほ」

 苦しそうに篝が右手を喉に当てる。

「――青山一紗の弟だ。俺は青山二葉という。今日からは、俺がお前の担当だ」
「……弟……」
「弟という概念は知っているか?」
「……っ……か、ぞくでしょう?」
「そうだ。無駄話はここまでとする。特別刑務官は、特務級感情表現者をバディとする……名ばかりの相棒とする際、ただの芸術家……即ち犯罪者としてではなく、一定の希望を叶え、生活を保障・補助するという決まりがある。そうしなければ、芸術家は多くの場合、一人では生きることが出来ない生活破綻者だからだ。その上で、特別インテークとして希望を聞くことになっている。必ず叶えるとは叶わないが、希望があるならば、今言うように」

 淡々と青山がいうと、青い瞳を揺らした篝が、小さく首を傾げてから、青山を見た。

「希望? それは?」
「前の特別インテークでは、お前は俺の兄――前任者の青山一紗にこう答えている。『お祭りが見たい』と」
「……お祭り……っあ! そうだ、そうだ……その……でも違ったの」
「ん?」
「私が見たかったのは、水風船が売ってるお祭りで……でも、一紗が連れて行ってくれたのは、テーマパークのパレードで、全然違ったの」
「そうか。では俺が、お前を和風の水風船といった屋台が存在する祭りに連れて行くことは約束する。希望は、あと二つ述べられる。何がしたい?」
「したい……こと……」
「例を挙げるならば、金・肉欲・名誉……そういった者を望む者が多いようだが。まぁ肉欲の解消は職務上でもあるから、そこには別の欲、お前であれば今の祭りを当てはめれば良い」
「……私……普通の生活がしてみたい」
「普通の生活?」
「一日三回ご飯を作って、ゴミを出して、食材を買いに行って、お掃除をして、お洗濯をして、お風呂を沸かして、お風呂に入って、眠るんだ」
「篝。お前は家事が出来るのか?」
「や、やったことはないけど、でもきっと出来る!」
「……何を根拠に? 生活用ドローンが最低限必要だ。そしてお前が挙げた多くの事柄は、ドローンが一人でも可能だ。ドローンつきの家が欲しいと言う意味でいいか?」
「う、うん」
「それを二つ目としよう。三つ目は?」

 青山が問いかけた時だった。青山の指輪が光り、緊急通信を告げる。

「はい、青山です」
『区画N65東グリーンモールにて、芸術家による大量殺傷事件発生。至急現場に急行願います』
「わかりました」

 頷いた青山は、篝を見る。

「最後の頼みは後で聞く。制圧案件が発生した。首輪のフェーズをデフォルトに戻す。殺れるな?」

 青山の声に、どこかぼんやりとしていた篝の青い瞳に、光が宿った。首輪から、興奮補助剤が注入された結果だ。すると、篝の体がビクンとしてから――その唇の両端が持ち上がり、瞳が残忍な色を宿す。篝が頷く。既に声帯は封じられた後だ。

 こうして二人を乗せた車両は、現場へと急行した。


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