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第1話

 櫻華学園(おうかがくえん)高等科の自称教育実習生である春海(はるみ)キョウジは、今日も大勢の女子高生に取り囲まれていた。いわゆるハーレム状態であったが、愛欲の対象では、決してなかった。キョウジ曰く、「若すぎると犯罪者になる。その辺りをわきまえるのが、立派な大人というものなのだよ」だそうだ。
 それはともかく、キョウジは授業中はどこかに隠れていて、休み時間になると、どこからともなくあらわれて、積極的に生徒たちに声をかけては、情報を集めていた。
 依頼人(クライアント)間仲有佳里(まなかあかり)は、模範的な生徒であった。彼女のことを悪くいう生徒は、ほとんどといってよいほどいなかった。当然、例外者はいるものであったが、(ねた)み、(そね)み、(ひが)みの所産であって、事実を正確には捉えてはいなかった。とにかく、有佳里は優等生であった。それは、間違いがないようである。
 昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り出していた。
「このチャイムを考案したのは誰なのだろうかね?」
 キョウジは、ふと疑問に感じたが、どうでもよいことだとして、すぐに頭の中から消し去った。
 教室へ戻るために、キョウジを取り囲んでいた女生徒たちが、名残惜しそうに、時折振り返っては手を振っている。それを見送ると、キョウジは大きく伸びをした。
「うーんっと。情報も集まったことだし、そろそろ帰るとしましょうかね」
 頭の上に伸ばした両手を下げると、ポケットに手を突っ込んで、堂々と校門から出ていこうとした。すると、唐突に声をかけられてしまった。
「ちょっと、あなた」
「ん?」
 キョウジは、首を動かして左右を見たが、誰もいなかった。空耳かと思った。
「あなたよ! あなた!」
 声はキョウジの背後から聞こえた。振り向いてキョウジは、ギョッとした。赤いフレームの丸メガネをかけた、丸い顔と丸い体型をした中年の女性が立っていたのである。キョウジの得ていた情報では、その女性は、櫻華学園の学園長であるはずである。その学園長に、誰何された。
「あなた、一体誰ですか?」
「ああ、おれは、もとい、わたくしは――」
「見ない顔ですわね。まさか、不審者!」
 キョウジの言葉を遮って、赤い丸眼鏡がキラッと輝いた、ように見えた。
「いえいえ、わたくしは父兄ですよ。不審者だなんてとんでもない」
 さすがに、キョウジは場数を踏んでいるだけあって、こういう不測の事態を前にしても慌てなかった。それでも、学園長は、まだ警戒心を解いてはくれなかった。
「父兄? どなたのですか?」
 赤い丸眼鏡の奥に見える双眸は、相変わらず疑いの色を帯びている。キョウジは慌てず騒がず、ある苗字を騙った。
「わたくしは、間仲キョウジと申します。以後、お見知りおきを」
「間仲? もしや間仲有佳里さんの?」
「ええ、そうです。間仲有佳里の兄です」
 効果は覿面であった。間仲の苗字を口にしてから、学園長の警戒心が、徐々に薄らいでいくのがはっきりと見て取れた。つり上がった眉が次第に緩んでいった。
「ああ、そうでしたか。……でも、有佳里さんに、あなたのような若いお兄さまがいたかしら?」
 首をかしげて、頬に手を当てて、まだ、学園長はいぶかしんでいる。
「まあ、わたくしは妾腹の子でして、間仲の姓を与えられてはいますが、実際の権限はなにひとつ与えられてはいないのです」
 畳み掛けるように、キョウジが平然と嘘八百を並べたてると、どうやら、学園長は信じたようである。慰めの言葉をかけられてしまった。
「そうですか……。あなたのご苦労、ご心労をお察し致します」
「いえいえ、どうもどうも」
 キョウジはゆったりと髪をかきあげた。相手に考える暇を与えずに過重な情報を与える、それが、相手を誘導する要諦である。口から生まれてきたキョウジらしいやり口であった。
「それで、キョウジ、さん、でしたね。なにか御用でも?」
「ええ、妹に忘れ物を届けに来たのです」
「そうでしたか。それはご苦労さまです」
 丸メガネの学園長が丁寧に頭を下げた。
「では、用事も済みましたので、わたくしはこれで、失礼させていただきます」
 大富豪の御子息よろしく礼儀正しく会釈をすると、キョウジは校門から出ていこうとした。すると、風よりも疾くキョウジの横を学園長が通り過ぎた。キョウジと校門の間に学園長は割り込むと、両手を広げて制止した。
「間仲さんには多大の寄付をいただいております。なんのお迎えもしなかったことは痛恨の極みにございます。このままあなたを帰すわけにはまいりません。粗茶を一服差し上げたいと思うのですが」
「いえいえ、お気遣いなく。わたくしも忙しい身でしてね」
 キョウジは一旦断ったが、学園長が是非にという事もあって、また、有佳里の情報を得るために、快くかどうかははなはだ疑わしかったが、申し出を受けることにした。
 丸い顔の学園長に先導されて、キョウジは校舎に入っていった。授業中ということもあってか、廊下は静まり返っていた。ただふたりの足音だけが、等間隔に鳴り響いていた。自称・教育実習生改め、自称・間仲キョウジは、学園長室に丁重に通された。
 複雑な意匠をこらしている学園長の机が、窓を背にして置かれていた。綺麗に磨かれており、鏡ほどには判然とはしないが、室内の景色が映り込んでいた。ソファーも上質の革張りで、質素とは正反対のようである。一流私立学園の学園長室ともなると、さすがに置かれている調度品の数々も一級品である。
 キョウジはソファーに堂々と、深々と腰かけた。テーブルを挟んで、赤い丸眼鏡の学園長が座ると、小さな呼び鈴を揺らした。程なく、キョウジが感嘆するほどの美しい妙齢の女性が、隣室から現れた。
「お呼びでしょうか?」
 珠が響くようなステキな声であった。
「お茶をふたつお願いね」
 学園長が告げると、よく出来た美しい女性は、客人であるキョウジに軽く会釈してから隣室に消えていった。しばらく時があった。この学園と間仲家との関係はかなり古いものらしい。学園長は、壁の上部に掛けられている代々の学園長の写真を指差しては、この方が学園長の際には、茶室を寄贈していただいたとか、講堂を寄贈していただいたとか、聞いてもいないことを話し始めた。すでに露ほども、キョウジが間仲の人間であることを疑ってはいないようである。学園長の丸い顔には、形容し難い微笑みが広がっていた。
「はあ」
 と、気のない返事をしたのは、キョウジの意識は隣室に注がれていたからでもある。しばらくして、先ほどの女性が姿を見せた。キョウジの右側に歩いてくると、膝をかがめて、お茶と羊羹の乗った皿を置いて、次に学園長の右側に移動して同じものを置いた。チャラそうな金髪のキョウジが興味深そうに自分を見ていることに気がついているようであった。女性はもう一度会釈すると、再び隣室に消えていった。
 キョウジは遠慮無く、テーブルに置かれた羊羹が乗せられている皿を手に取った。こういう場合の遠慮は、かえって失礼にあたる。そう考えてのことであったかどうかは定かではない。
 キョウジは、楊枝を器用に使って羊羹を小さく切って、一切れを口に放り込んだ。舌で味を感じると、なにかに気がついたようにキョウジの眉が上がった。今まで食べた羊羹の中で、最も美味しいと思った味と同じものであったのである。
「この羊羹は、『味和(みわ)』の羊羹ですね」
『味和』とは、行列ができることで知られていた、美味い和菓子店の名前であった。ここの羊羹は絶品で知られている。厳選された小豆と寒天を使った羊羹は、一日五〇本の限定品であった。
「よくおわかりですわね。さすがは間仲さん、舌が肥えていらっしゃる」
「甘いものには目がなくてね、もとい、いやいや、ほんとうに美味しいですね」
 キョウジは皿をテーブルに置いて、今度は茶碗を手に取った。
「おや、この茶碗も実に見事ですね。織部焼ですか?」
「舌のみならず、目も肥えていらっしゃるようですわね」
「美しいもの、美味いもの、芳しいもの、どのようなものでも一流のものとは、人の心を豊かにしてくれます。いや、実に、素晴らしい」
 赤い丸眼鏡の奥で、学園長の瞳が笑っていた。
「同感ですわ。うふふふ」
「うふふふ」と笑う女性をキョウジは初めて目にした。キョウジは自分の目的を思い出したようで、お茶を一口飲むと、テーブルに茶碗を戻しながらさり気なく問いかけた。
「妹は、学校ではどうですか?」
「今は、学級委員をなさっておいでですわ。人望もありますし、頭もよろしく、生活態度も申し分ございませんわ」
 キョウジは、学園長が有佳里に敬語を使ったことで急速に興が冷めていった。自分の半分も生きていない相手にへりくだるのは、長幼の序に反する。もちろん、学園長は大企業の息女を預かっているので、そうなさざるをえないのであろうことはわかる。しかし、度が過ぎると、そんなつもりがなくてもあざとさが見え隠れする。キョウジは、早々に立ち去ることに決めたが、その前に、ひとつだけ確認しておきたいことがあった。
「なにか、悩んでいるようなことはないでしょうか?」
「さあ、それは、あたくしは担任ではないので詳しくはわからないのですが……」
 キョウジは、学園長がなにか気になることがあることに気がついた。
「ですが、なんでしょう」
 学園長は丸メガネを外すと、目頭を押さえてから、眼鏡のレンズを拭き始めた。
「最近、ふっと表情を曇らせることがあるようなのです。授業中にも心ここにあらずといいますか、遠い目をなさって窓の外を見つめているようなのです」
「理由に心当たりは?」
「さあ、それは、お兄様のほうがご存知ではないかと思うのですが……」
 キョウジは、この学園長は言葉を濁すために、語尾に「が……」をつける癖があることに気がついた。
「わたくしも、そのあたりのことを気にはなっているのです。しかし、妾腹の子でもあるので、あまり、有佳里と話す機会がないのです。学校でなにかあったのではと思っているのですが。些細なことでもかまわないのです。よく思い返してください。なにか気になる点はないでしょうか?」
 メガネをかけ直すと、学園長はキョウジを真っ直ぐに見つめた。
「学校での生活は限られていますわ。やはり、ご家庭でなにかあったのではと思っているのですが……」
「そうですか」
 短くつぶやくと、キョウジはしばらく考え込んだ。冬木(ふゆき)シオリが不満そうにいった言葉を思い出していた。「まだ十八歳にもなっていないじゃない。重すぎると思うし、酷だと思うし、ひどすぎると思う」といった、シオリの言葉を。あの時キョウジは、感傷的な発言だと一蹴した。しかし、シオリの心情やその言葉を否定したわけではなかった。会社の経営とは非情でなければならない。十万人以上もの従業員を路頭に迷わせるのは、経営者としては失格である。生き残る手段を講じて最善の道を選んだのだ。間仲有佳里の父親は、その点では間違ってはいなかった。しかし、ひとりの親としてはどうか。娘を差し出すことは、普通であれば、苦渋の決断であったに違いない。そして、間仲有佳里も同じ思いであったのではないだろうか。立派な決断だとは思う。キョウジはシオリにこうもいった。「理性的な判断だろう」と。正しいか正しくないかを問題にしているのではなかった。それはまた、別の問題である。
 黙りこんで長考しているキョウジを見つめて、学園長が口を開いた。
「そうですわね。あえて理由をあげるとすれば、マリッジ・ブルーということは考えられないでしょうか?」
「マリッジ・ブルーですか。確かに、仰るとおりかもしれませんね」
 考えられないことではなかった。覚悟を決めたとはいえ、まだ十七歳である。気持ちの整理がつかないこともあるだろう。感情を押し殺して笑って見せても、滂沱とあふれる涙のように、あふれ出る思いをこらえきれないこともあるだろう。遠くを見つめて気分を紛らわせてみても、一時のことでしかない。現実は冷酷である。時は刻一刻と迫ってくる。なんとかしなければ落ち着かない。探偵に素行調査を頼んだのは、そんな有佳里が、心の底から救いを求めたからではないだろうか。とはいえ、風間慶一(かざまけいいち)が不貞をはたらいていたとしても、風間グループと間仲グループの合併がなかったことにはならないであろう。これは、高次の決定事項なのだから。反抗しても無駄であった。ゆえに、有佳里はすべてを受け入れた。瞳に諦めの色を宿して笑う写真に収められた有佳里の冴えない表情は、有佳里の心情を饒舌に物語っているのではないだろうか。
 ふとキョウジは、思い出したようにつぶやいていた。
「それでも、不貞の現場を掴んで欲しいといってはいたが、それをどのように活用するつもりなのかね」
「不貞? それは、どういうことでしょう?」
 赤い丸眼鏡が光り輝いた。キョウジは人差し指を突き立てると、左右に振った。
「ちっちっちっ、極秘事項でして、詳しくは話せません。それと、今日、わたくしがここに来たことは、他言無用に願います。よろしいですか?」
 赤い丸メガネをかけた学園長は、機械的に、小さくコクリとうなずいた。
「それはそうと、先ほどお茶を運んで下さった女性の名前をうかがってもよろしいでしょうか?」
「はあ?」
 学園長は、まるで話が見えないというように小首を傾げた。
「とても魅力的な女性だと思いまして。ぜひとも親睦を深めたいと」
「あたくしからは、お教えいたしかねますが……」
「そうですか、では、こうしてはどうでしょう。わたくしを校門まで送るように、と、お申しつけください。これは、良い口実だと思うのですが」
 学園長は丸メガネの奥で、驚いたように目を丸くした。キョウジは自論を口にした。
「恋愛は自由でしょう?」
「ごほん」
 学園長がもったいぶったように咳ばらいした。
「そうですわね、恋愛は自由ですわね。では、そういたしましょう」
 学園長は呼び鈴を振った。隣室の扉が開いて、先ほどの妙齢の美しい女性が現れた。
「お呼びでしょうか?」
 女性は会釈してから、尋ねた。
「こちらの方を校門までお送りするように。決して、粗相があってはなりませんよ」
「はい、わかりました」
 女性はキョウジに目を向けると、すぐに視線を転じて学園長に目を向けた。
「お願いね」
「はい」
 女性はうなずくと、立ち上がったキョウジに向きなおった。
「では、こちらへ」
 そういったのは、客人であるキョウジであった。美しい若い女性と丸眼鏡の学園長が目を見交わして微苦笑したのは、いうまでもなかった。

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