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事故当時~3日目

2023年7月20日の朝。
会社まであと30mほどの所で……私は荷運びの小型箱型トラックと接触事故を起こした。

最後に見た時刻は8時58分。
始業時刻まで、残り2分であった。


***


さて、時間を戻そう。

私が目覚ましに叩き起されたのは6時30分。
何だかんだで母の声でやっとこさベッドからはい出たのが……7時15分頃だろうか。

その日はいつも以上に頭が回っていなかったように思う。

家を出たのはギリギリいつもの電車に間に合うかどうかの40分頃。
途中で全力疾走をカマしつつも駅に着き、ホームの目の前で50分発(いつもの)電車のドアが閉まった時の絶望をよく覚えている。

思えばコレが不運と自業自得の始まりだったのだろう。


仕方ないので、次の55分に乗った。
これは乗り換え時間3分コースかなーと思っていた……の、だが。

どこかの駅でドアが開いたとかで、安全点検のために電車が止まったのだ。
ドアすら閉まらず、遠い目をして母にメールを送った。
この時点で8時01分。

ここで遅刻はほぼ確定。
上司にはその旨をLINEした。
その文面にあったのは「焦らずお気をつけください」の一文。

ヘタをすれば、これが母や上司との最後の会話になる所であったのである。

閑話休題。

結局、電車が動いたのはその5分後。
11分の遅延だった。


***


その後乗り換えをして、最寄りに着いたのが……8:45分頃だっただろうか。

ギリ間に合うかなー?
なんて思いながら競歩(概念)をする。

何故ここで走らなかったかって?
オタクの中でもかなりインドア派(自称)な私は体力が無かったからである。
地元でも走って、体力はイエローゾーンに達していたのだ。

そして会社まで残り120mほどのタイミングで何となくイヤホンと、その有線コードも外した。
これが不幸中の幸いだったのではないかと私は思っている。

で、残り50mほどの所で時間を確認してスマホを肩掛け鞄のポケットに仕舞う。
ちなみに鞄は右肩から掛けていた。

これが例の8時58分である。

現場は見通しの悪い、車がすれ違えないよう(一方通行)な狭い民家の隙間にある十字路。

私は一時停止も、左右の確認もせずに飛び出した。



そして、右側からやってきた車を避け切れずに衝突したのだ。



入社から3か月と少し。
皆勤賞が消えた瞬間である。


***


流石によろけた私だが、幸いな事に道路で頭を打ちはしなかった。

私は、慌てて降りてきた運転手の方に「大丈夫です!」と返した。
その時ふと左の鞄を見た時、血しぶきが飛んでいたのを見て……やっと怪我に気付いたのだ。

患部は右のこめかみ。
しかし余り痛くもないし、酷い訳ではないだろう。

私は邪魔にならなそうな場所として、近くの電信柱の傍に寄ってしゃがみこむ。

たまたま居合わせた方々が、傷に当てるタオルを貸してくれたり救急車や警察への通報をしてくれた。

その中の1人に自分の会社へこの事を伝えに行ってもらった。

運転手の方も、自分の上司へ連絡をしているらしい。

その様子を見ていた私は、そんなに慌てるか???と思っていたのだ。


しばらくして私の直属の上司と事務の方の2人と、相手の上司が駆けつけた。

少し傷を見せた所、どうやら5cmくらいパックリ行っているらしい。
そりゃあ鞄とタオルが血みどろスプラッタにもなる訳だ。

これは親にも言わないとダメだなと思い直した私は、吹き飛んだだけで無事だった眼鏡を鞄に乗せながら母へ電話をかける。

今履歴を見たら、ここで9時02分だったらしい。
思っていたより時間が経っていなかった。


動揺させてしまったが、病院が決まってから再度連絡を入れることになった。

電話を終え、少し経った頃に救急車がやって来る。

私は自分で担架に乗り、車内へと運ばれた。
結構がっちり固定されるんだな、というのがその時の感想である。

付き添いとして、直属の上司が共に乗り込んだ。


***


車内で最初に巻かれたのは、救急隊員の方の会話からおそらく三角巾。
状況を確認されたり脈や血圧を確認されているうちに血が滲んで来たようで、1度それを外してキツく包帯(?)を巻かれた。

私の電話番号を聞かれ、これは見せた方が早いかと思ったのだが……巻かれた包帯(?)が予想以上にキツく、眼鏡もないので画面がよく見えない。
結局、口頭で伝える事となった。

一応、交通事故で頭を強打しているので(頚椎)を固定される。
いやこれ地味に苦しいっすね?
あとアゴ上がるのか……

その後、様子を見に来た直属の上司のさらに上司とも少し話したりもした。
運転手との相手をしてくれるそうだ。

後から聞いたが、私が運ばれた後に警察が来たらしい。


その後、隊員の方に取得してから数年ペーパーな免許証を見せたりして、私の普通には読めない名前の話をしていたら病院が決まったようだ。

母にその旨を連絡した。
家から1時間ほど掛かるが、間に合いはするだろう。
この時、9時25分。

動き出して思ったのは、ほとんど揺れないなということ。

これは後から聞いた話だが、付き添いで横に座っていた上司は結構揺れたと言っていた。
あと、椅子が固いとも。


***


運ばれている間、とりあえず微妙に暇であった。
首が固定されているので周りを見渡すことも出来ず、視界が天井だけなのだ。

これでTVクルーとか入れば面白かったんだけどなーと思った辺りで、この体験を小説にしようかと思い至ったのである。


そして、病院に着いたのは15分後くらいした頃。

担当してくれたのは、何処ぞの失敗しない彼女っぽい雰囲気の漂うキリッとした女医さんであった。
後から分かったが、脳神経外科の方だったらしい。


処置室で担架から備え付けの処置台ベッドへまた自分で移って、傷を見た女医先生が一言。

「あー結構出血してるねぇ。後で縫おうか」

……遠い目をした私は悪くないと思う。


例の流行り病の抗原検査用のロング綿棒を鼻に突っ込まれ、ご時世だなとフガフガする。

その結果待ちをしながら頭のCTを撮られた。
なおここでも自分で移ったので、ついぞドラマで見るような「せーの!」は見られなかった。
少々残念である。

しかし、撮られている間はちょっとSFっぽくてテンションが上がったのでプラマイゼロである。


戻ってきた時には陰性が確認され、こちらも血まみれだったらしいマスクを外す。

あ、鼻の入口にも血の塊入ってら……


看護師らしき方々の会話曰く、“ゼロロク”という太さの糸を使うようだ。
調べると表記は“6-0”で、直径は0.05~0.069mmらしい。
これでも医療用の縫合糸の中では太めのようだ。

さらに、今回使われたのはナイロン製の黒い糸だった。
色の理由はおそらく、抜糸の際に見付けやすいからだろう。


まだ新人らしき研修医(半袖だったので多分合っている)の若そうな女性がワタワタしながら、手術をする時に見る保護用の不織布(?)に穴を開けて頭に被せる。
ここで私の視界は濃いめの水色1色になった。

そして、声での推定おばちゃん看護助手が患部を生食……生理食塩水をドバドバと掛けながら洗浄した。
おかげで少し後頭部の髪も濡れた。

明細書を見るに、100mlの1瓶丸ごと使ったらしい。

生食だから染みないのかなと思った。


そして局部麻酔を打たれ、これも余り痛くないなーと思った。
なんと言うか……予防接種の時のような感じである。
打たれてるのは頭だけど。

効くまでの待ち時間で、血まみれだった手などを拭かれる。
右手なんて念入りにコシゴシされたので、結構な事になっていたらしい。


3分ほどした頃、研修医さんが傷を下から縫い始めた。
感覚から推測するに、半円状に曲がった針だと思う。

2つ目に入る頃、先生が再度合流したらしい。

不織布(仮)の穴の大きさや消毒した?などの指摘で、再度アタフタする様子の研修医さんに心の中でエールを送る。
あ、消毒していなかった最初でも一応大丈夫らしい。
あれだけ洗浄すればそうだろうなと思った。

改めて消毒をされる。

その間にも、縛ってから残す糸の長さ(会話曰く1cm)の話や、微妙に麻酔の効きが弱かったか所が見付かり追加を打つ事になったりして色々と先生に指摘を受ける研修医さん。

その間私が思っていたのはひとつ。

頑張れ新人さん。
誰でも初めてと失敗はあるよ!


***


で、終わってみれば【 8 針 】縫われてました。
人生初の大怪我が結構な事になってしまった。

女医先生曰く、頭だから細かめに縫ったそうだ。

患部の上にガーゼを貼られ、説明と書類に必要な事などを女医先生と話す。

そこで気付いた。
着ていたポロシャツも血まみれであった事に。

変え用意があるようなので、とりあえず外に出る事になった。

ここでやっと自分の靴を履き、足が地面に着いた。
フラつくことも無く、OKが出たので上司の待つ椅子へ。

上司に心配されつつ、プリントのデザインがかっこいい黒Tシャツを貰ってトイレで着替えた。
(後から調べたら、サーフィンの元世界チャンピオンだとかの方がやってるブランドの物だった)

Tシャツは返さなくていいと言われた。
おそらく古着などをストックしてあったのだろう。

……救急だから、服切っちゃったら着るもの無いもんなぁ。


***


そして精算待ちなのだが……結構混んでいた。
その間にも運ばれて来る患者さんがちらほらと居た。

しばらく経った頃、上司の上司も合流して色々聞かれたりした。
8針縫った話でうわぁ……という反応をされた。
まぁそうなるよね?

これが11時頃であった。

で、さらに10分ほどした頃に母とも合流した。
病院から渡された書類を記入している前で、母と上司たちが話している。
いやほんと心配かけました……。

会計も終わり、上司たちも仕事へと帰って行った。
私は先生から今日は絶対安静と言われていたので帰宅する。

タクシーで近くの駅に向かう間も、父や友人とメールやLINEで報告をした。


そして地元に戻り、安心してお腹が空いた母の提案で近所のファミレスに入る。

この時私も落ち着いたのか、血が足りなくなっていたようで少々ぐったりとしていた。
冷やし中華が美味しかった。

その後家に着いて風呂に入るため、ガーゼを外す。
その際に、縫い跡を見た母に写真を撮られたりもした。
面白がっているらしい。

なるべく傷口は濡らさないでとの事だったので、たまたま家にあった保護テープ的なモノを貼った。
沈むのはNGだったのでシャワーを被る。

あ、腕上がるけどちょっと痛いわ。

髪を洗いながら、まだ麻酔が効いているのかなと思った。
流石に触ると痛いが。


父も帰宅し、状況を話す。

その頃になって痛んできたのは肩。
母が言う。

「今そこ急所だね」

いや、押すな。
痛ぇんだわ。


こうして降って湧いた休日を持て余しつつ、ぐったりしながらも時は過ぎて行くのであった……。


***


次の日。

右の二の腕の筋肉痛に耐えて起きてきた私が、傷の周りが青くなっているのを見た両親に遠い目をされた朝。


その後の検診のため、私運ばれた病院併設のクリニックを訪れた。

予定ではその後警察の調書だったのだが、最初の待ち時間でそれを済ませる事になった。

クリニックと警察署が近かった事もあり、交通課の方が来てくださったのだ。

そこで母のファインプレーが光った。
シャチハタではない判子を持っていたからである。
……何故入っていたのかは謎である。
四次元ポケットなのだろうか。

そして調書会場となった車が……覆面仕様だった。
乗った後部座席の隣に置いてあった後付け回転灯にテンションを上げつつ、状況の確認をする。

事故状況や、気を付ければ良かった事、訴えるかの意思確認をして判子を……押せなかった。
ケース付属の朱肉がカッピカピだったのだ。

幸い、交通課の方が朱肉を持っていたので事なきを得た。

「気を付けてね?もうこんな事で会いたくないからね???」と念を押されつつ、解放されたのは10分ほど後のことだった。


クリニックでは支払いを労災に切り替えるための書類を書いて、待ち、呼ばれて診察場所の近くで待ち、やっと呼ばれて診察を受ける。
昨日とは違う、男の先生だった。

その後の様子を聞かれ、右の肩甲骨の辺りと胸の上の方や首が痛い事を伝えたが、どっちでも良さそうな事を言われたので整骨院は行かない事になった。
だって土日潰したくない。

有休なんて、4月入社の新人にはURよりもレアなので。

そして傷口を消毒され、医療的に意味は無いけどと言われながら再度絆創膏を貼られる。
もう貼らなくていいし、今日からは普通に風呂に入って良いそうだ。
流れで抜糸は1週間後と決まる。

結構適当だなーと思いつつ、会計を待つ事になった。

……今日になっても頭の右前側の1部の感覚が鈍い事を言い忘れたな、と思い出したのはこの時だだった。


そして私はこの後、普通に出社した。

方々から心配されたり、状況を話したりしたが無事な姿を見せられたのは良かっただろう。
自分の意思で出たので、決してブラック企業ではないことをここに明記する。


その帰り道。
事件現場で現場検証をした跡らしきチョークで印が付けられた血痕を見付けた私は、テンションが上がって写真を撮った。
(本小説の表紙画像がソレである)


***


そして土曜日こと、本日。
相も変わらず痛い右側で、寝返りが少々難しく早めに起床した。

湿布を貼って寝た肩は、青痣になっていた。
初日からだが親よ、押すな。

だから今そこ急所!!




とまぁ、色々あったが作者は一応元気です。
私が言える事は、【不注意 飛び出し ダメ絶対】ですね!

学生の方々は夏休みが始まったか、始まる頃でしょう。
ハメを外し過ぎて死なないように、とにかく事故に合わないよう十分お気を付けください。




事故から3日目に本文を書いている作者、星月 猫 より

※7月29日加筆修正、同時にシリーズ化しました。

しおり