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 リクと大喧嘩をして家を飛び出したのをきっかけに遭遇した交通事故で、昴は右足を骨折する大怪我を負った。あとは擦過傷と打撲がいくつかあったが、それも半月の入院中にほぼきれいに完治した。
 ギプスをした大袈裟な様相になってしまった右足を伴っての歩行には、松葉杖とリクの手助けが不可欠だ。
 昴が入院中の付き添いは殆どリクが付き添っている。
 共働きで忙しい両親の代わりというのもあったが、それ以上にリクには昴を事故に遭わせてしまった罪悪感からか、それを償うかのようにこれまで以上に甲斐甲斐しく昴の世話をしていた。
 例えばりんごを食べたいと昴が言えば、何に置いてもリクはすぐさま剥いてやって口に運んでやるほどの世話焼きぶりだ。
 きれいに剥かれたりんごを差し出されて昴は照れくさそうにしていたが、その過保護とも言えるケアが自分を怪我させてしまった罪の意識から来ていることは彼にも解っていたので、ただ甘んじて受けていた。
 着替えひとつとってもそれは同じだった。

「リク、僕、ひとりで着替えぐらいできるんだけど、脚以外は……」
『いやいや、何かの拍子に引っかかって転んだりしたら危ないから、俺がやってあげるよ。さ、手を出して』
「ボタンぐらい止められるよぉ!」
「昴、やらせてあげたら?」
「……じゃあ、一個だけね。あとは、僕がやるよ」

 昴が渋々といった様子でそう言うと、リクは嬉しそうに頷いて昴のシャツのボタンを一つ、丁寧に止め、そして名残惜しそうに昴の頭を撫でる。
 昴の“兄”のような存在であるはずのリクが、なんだか随分年下の弟のように扱われている様がおかしくて、優海はくすりと微笑んで見守っている。
 それから、ほんの少しだけ、切なそうな表情をして、家から持参した昴の着替えをベッド横のサイドボードに片付けた。


 シッターロイドの役割としてのリクは、そろそろ終わりを迎えようとしているのかもしれない。先日の事故が、リクのシッターロイドとしての能力の限界を垣間見るきっかけとなってしまっていたからだ。
 それは、シッターロイドとしての限界、リク自身の――つまり、RS0412のアンドロイドの機能としての限界と言える。
 繰り返してきたアップデートやメンテナンスをもってしても、経年劣化などで日進月歩に変化していく世の中の流れに対応することは段々難しくなる面がこの先も増えてくるだろうし、それに加えて、昴の著しい成長の追いつけるのかもわからない。
 いまは口答えなど生意気なところはありつつも、リクの言う事は素直に聞いてはくれるが、それもそろそろ時間の問題かもしれなかった。
 我が子が、シッターロイドから、セキュリティータイプのアンドロイドへケアサービスの変更をし出す家庭も増えてくる年代に差し掛かりつつある現実を、優海と空は今回の事故で目の当たりにした形になった。
 ただ、いまその話を持ち出してしまえば、きっと昴もリクも、あの事故のせいでリクが昴の許を離れなければいけなくなったと思ってしまうだろう。
 事故は現状を考え直すきっかけになったかもしれないが、決め手になったワケではなかった。しかし、そう昴とリクを納得させられるほどの説得ができる気が、両親にはしなかった。
 昴とリクは、ようやく最近になって、事故のショックから立ち直ってきたところだ。
 ケンカ別れのようになった末での事故だったこともあって、昴が入院していた当初はとてもふたりの間はぎこちない空気が流れていたものだった。
 リクは、昴に大怪我を負わせてしまった罪悪感で腫れ物に触れるような態度だったし、昴は、リクがスクラップになることまで選択させてしまうほどに自分が追い詰めてしまったことを、誰から聞かずともリクの態度からなんとなく察していたので、その罪悪感のような感情から、なかなか素直になれずにいた。
 優海や空がふたりの間を取り持つようにしてくれようとはしたが、忙しさもあってままならず、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。
 そうした時間を経ての世話を焼くリクと焼かれる昴のいまの状態があるため、両親は頭を悩ますばかりだ。
 無慈悲に大人の都合だけでシッターロイドとマスターの関係を解消させてしまうには、あまりにリクと昴は密着した関係を築きつつある。
 それはただの主従関係と片付けてしまうにはあまりに親密で、やわらかで、薄く甘い雰囲気すら漂っていた。

「いつか、昴はリクから離れることになるのかな……それを、選ぶことができるのかな……」

 昴が病院で眠り、その隣に文字通り寝ずの番で付き添うリクの姿を思い浮かべながら、優海は空に訊ねる。
 子どもの気配のない静かな家の中でその言葉は重くのしかかり、濡れた布のように彼らを覆っているように感じられた。
 空は、すっかり冷えてしまったコーヒーをひと口啜って、しばし考えこむ。

「離れることも、そうでないことも、昴しか選べないことだから……僕らはその選択を受け入れて後押しするしかできないよ」
「……そうだね」
「ただ、できる限り、昴が悲しまないようにはしてやりたいとは、思ってるけどね……」

 「あたしも」と、優海は困ったような表情で小さく微笑み、同じように冷めたコーヒーの残りを飲み干す。薄く苦い味が、彼らの一致した考えのように喉の奥へと流れていく。
 優海と空が懸念していることは、ただ昴がリクの手に負えなくなることだけではない。
 先述した通り、リクは一昔前の旧式シッターロイドだ。今はまだ辛うじてメンテナンスサービスが受けられているが、やがてそれも終了を迎えてしまうだろう。
 アップデートサービスも先が長いわけではない。そうなってしまったら、否応なしにリクは……廃棄処分の選択をせざるを得なくなる。
 物である以上、それはいつか来る日ではある。人に死があるように、アンドロイドにも“寿命”がある。
 いつか来る“その日”を、昴の傍で迎えさせるのがいいのか、否かが、優海と空には決断できずにいた。
 昴の傍で迎えさせない、とするならば、何ができるのか。それは昴とリクの別れを意味することにも繋がりかねない。
 つまり、新たなアンドロイドを昴に宛がう代わりに、リクを他の誰かの許に譲渡するか、もしくは、廃棄処分にするか。
 しかしそれは、リクの“その日”を昴が目にしないだけの応急的な処置にすぎず、ふたりの別れがないワケではない。別れは、どんな選択をしても付きまとうのだから。
 答えの出ない問題を、優海と空は分かち合うように噛みしめながら、昴とリク不在の静かな夜を閉じた。

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