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 アンドロイドの中でも、幼い子供と接することが多いシッターロイドの類(たぐい)は、外見は人間と殆ど相違ない姿をしている。世話をする相手に違和感を抱かせないために極力な並みの人間に近づくように開発されたためだ。
 その賛否は様々あるが、人間社会の中に溶け込むには不可欠な仕様とも言える。
 ただ一つ注意しなくてはいけないのは、いくら外見の姿が生身の人間にほぼ相違ないと言っても、その中身は人工の皮膚と筋肉に包まれた特殊金属の身体(ボディ)と人工知能なのだ。血が流れているわけではないし、ケアの役割を果たすために触角は一応備わってはいるが、人間のような痛覚があるわけではない。
 だからなのか、長く人間社会で暮らすシッターロイドなどは、自らのミスでという事は極稀なのだが、人間が相手の場合に向こうのミスを被って“怪我”を――つまり、破損をする機会に見舞われることが多い。
 リクもまた、これまでに幾度となくそういった機会に遭ってきたことがある。
 マスターが幼い子どもであることが多く、大小様々な“怪我”を負う場面に多く遭遇するため、マスターの保護を主命としている“彼ら”にとっては、マスターを守りきれた名誉の負傷とも言えるのかもしれない。
 とは言え、科学の発展は著しいので、譬え指先がもげるような大きな破損をしようとも、長くて数週間も修繕に出せば元通りになってしまうのがシッターロイドだ。
 しかも彼らは“怪我”しても痛がることも血が流れることもない。そのため、子どもが原因で起こった破損を機に、マスターである子どもに“彼”がアンドロイドであることが明かされるきっかけになることも少なくないのだという。

 そして、今まさにそれが起ころうとしていた――

 仕事が休みの優海と一緒に、キッチンでリクが三時のお茶を用意している時、それは起こった。
 最近昴は秋に三歳を迎え、家の中も外もところせましと走り回り、その上両手を広げているものだから、手当たり次第の物をなぎ倒していくことが増え、大人を悩みの種だ。
 なぎ倒すたびに両親にもリクにも叱責されるのだが、懲りずにその日も両手を広げ走り回っていた。

「わぁーい! 飛行機ぃ!」
「こら、昴! 走らないの!」

 叱られるほどに昴ははしゃぎまわり、大人の言うことを聞かない。つい五分前にもリクに同じことを注意されているのに。
 その時、昴の腕はキッチンカウンターの上に置かれていた旧式の有線の電気ポットのコードに引っ掛かり、そのまま引っ張られるようにポットはカウンターから落下していった。おまけにフタは締まりが甘い。
 しかも、運悪くそこには走り回ったことを叱られた昴が立ち止まっている。

「昴!」
『昴!!』

 ポットが逆さになって、緩んでいたフタが開いて中の熱湯が零れてそのまま昴に頭から降り注ぎそうになったその時、リクが俊足で駆けつけて落下するポットを薙ぎ払いつつ昴の上に覆いかぶさる。
 カウンターに置かれていた小物類や食器も巻き込んで落下して音立てて床に転がり辺りは騒然となった。

「っう……ぅあぁーん! あーん!」
『昴! 大丈夫?!』

突然の事態に驚いた昴はリクの腕の中で泣き叫んだ。そのため、優海もリクも慌てて昴の手足や顔などを隈なく調べたが、熱湯は一滴も昴にはかかっていなかった。
優海とリクが安堵したのも束の間、優海はホッとした表情で昴の泣き濡れた頬を撫でるリクの指先を見て悲鳴を上げる。

「リク! 指が!」

 優海が震えながら指す方にリクが目を向けると、その指先の皮膚と筋肉――どちらも人工のそれなりに性質のいいもの――がただれる様に溶け、そこから無機質な金属が僅かに覗いていたのだ。
 人間であれば当事者は決して冷静でいられないはずだし、現に優海の顔は色を失っている。
 しかし、痛覚が備わっていないリクは至極冷静だ。

『ああ、大丈夫です、指の機能に支障はないので……』
「でも! すぐにメンテナンスセンターに連絡しなきゃ!」

 最近リクとのお勉強ごっこと称して色々な図鑑を眺めるようになっていた昴は、人間の身体が肌の色をしていることをなんとなく知ってはいた。
 しかし、目の前のリクは、その図鑑で見た自分と同じ皮膚の下にあるという桃色の筋肉とは違ったものが出てきているではないか。
 リクの事態に慌ててシッターロイドのメンテナンスセンターに連絡を取りに行った優海を横目に、昴は呆然とただれるリクの指先を見ていた。そしてそっと、そこにちいさな手を宛がう。

「……リク……お指、銀色……」
『ごめん、昴……びっくりしたよね……大丈夫、なんでもないから』
「リク、お指、痛くないの? 熱くないの?」
『うん……ちょっと熱かったけど、痛くはないんだよ。俺はね、どんなに怪我をしても痛くないし、血も出ないんだ』
「……どぉして?」
『うーんとね……俺、シッターロイドなんだ。ロボットなの』
「しったぁ…? リク、昴のお兄ちゃんじゃないの?」
『うん、お兄ちゃんみたいだけど、お兄ちゃんの格好した、ロボットなんだ。昴のための、ロボットなんだよ』
「昴の、ロボットなの……?」

 未知のものを見るような、怯えも窺える眼差しがリクを見据える。
 この眼差しを、リクは自らの出自をマスターである子どもたちに明らかにするたびに、幾度となく受けてきた。驚きを隠さない、好奇を含んだ視線を。
 そして、その後に拒絶の言葉を投げつけられることもあった。怖い、おばけ――あっちへ行って! ということも。
 そうなってしまえば、リクはお役御免となり、倉庫にしまわれて次のマスターを待つことになるのもなくはなかったので、今回も充分にあり得ると半ば覚悟していた。
 マスターが幼ければ幼い程、拒絶される場合が多かった気がする……リクは、今までの記憶という名のメモリーデータを振り返りながら、昴の次の言葉を待つ。
 どんな言葉を向けられても受け止めて従う。マスターから拒まれれば、シッターロイドはどんなに有能でもそれまでなのだ。
 すると、昴はただれた箇所に幼い指先をそっと宛がい、まるで傷口を癒すように撫で始めた。

「ごめんね、リク……昴のせいで痛い痛いなっちゃった……なおるかなぁ。昴、なおせない……どおしよう……ごめん、ね……ごめ……昴の、ロボットなのに、壊しちゃった……」

 幼いちいさな丸い眼許に、水晶玉のように透明で美しい雫が浮かんだかと思うと、はらはらと幼い丸い頬を伝って零れ始めた。それらは、剥き出しになったリクの金属の身体の上にも降り注ぐ。
 リクには痛覚がないが、触角は世話をする際の力加減を察知するために備わっている。でもいまは熱湯によってそれは大きく損傷しているはずだ。
 だからただ金属の上に、ぱらぱらと水滴が零れるばかりなはずなのに――リクには、降り注ぐ水滴があたたかく感じられ、そして何かが“痛む”気がした。そう、あの軋んだ音が聞こえた気がしたのだ。
 触角は、損傷しているはずなのに、痛覚はないはずなのに……“痛い”って? 自らの体内に過った感覚に、リクは戸惑いを覚えた。こんなのは、バグじゃないのか、と。
 だけど……なぜだか、リクはそのバグが心地よく思えていた。
 心地よい、という感覚は初めて学習する感覚であることすら忘れて。

『大丈夫だよ、昴……いま、ママが俺を直してくれるところに電話してくれてるから、すぐに直るよ』

 ただれていない方の手で昴の濡れた頬を撫でてやると、昴はぎゅっとリクに抱き着いてきて、そして声をあげて泣いた。ごめんね、リク、ごめんね、と呪文のように繰り返しながら。
 破損していない指先で触れる幼い頬は熱くてやわらかで、軋む音がどんなに聞こえようとも構わなくなるほどに、ずっと触れていたいとリクは思った。

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