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(四)理解できない

 鬱蒼(うっそう)としげる暗い森。
 魔種の咆哮と、獣じみた笑い声。
 木々の隙間から差しこむわずかな陽光へ、飛行トカゲ――フライングリザードが飛びだした。滑空して向こうの高木へ逃げおおせようという刹那、容赦なく艶のない黒色が影を落とす。次の瞬間には、大太刀の刀身が魔物の胴体を鋭利に貫いていた。
 だがそれだけでは終わらない。ひと息に大太刀を抜いて、穿(うが)たれた腹の穴から鮮血が噴きでるまでのあいだに、黒影は次の得物に狙いをさだめている。真上を飛んだ(めす)のフライングリザードを目視するよりも早く、黒影は今しがた殺した死体を足場に跳びあがった。さらに樹の幹を蹴りあがり、わずか数瞬で獲物に追いつく――斬る。その一太刀は角状突起の隙間へ当然のようにさしこまれ、なめらかに、しかし凄絶に両断した。
「っはははははははは!」
 口の両端がこれでもかというほどに大きくつり上がり、細い眼が三日月のようにゆがむ。
 黒影からこぼれる声は、魔物の咆哮と大差ない。それを聞くたびに、ソウはまったくちがう世界に来てしまったのではないかと、そんな錯覚をする。
「ぬるい。ぬるいぞ! もっと来い! まだ足りん!」
 フライングリザードの翼膜が根こそぎ飛ぶ。樹木に打ちつけられた胴体が、血の痕を残して地面に落ち潰れる。白い鱗が次々と赤く染まり、わずかな陽の光によってぬらぬらと光ってはつたい落ち、染みを広げていった。
「ナギさん、伏せて」
 ソウは次々と宙を舞う赤い血とよどんだ黒色を横目に見ながら、飛びかかってきたフライングリザードを斬りふせた。次にせまってきた一体をとっさに蹴りとばして、今度は背後を狙ってきた白色を裂く。
「お金を稼ぐとはいいましたが、どうしていきなり魔種の巣につっこむんですかああ!」
 木陰でうずくまったままのナギが、涙声で叫んだ。

 魔幽大陸に来て二日目。ソウたちは冒険者の依頼仲介所で、比較的、簡単な依頼を受注した。フライングリザードの繁殖時期に合わせた、狩猟討伐だ。
 いくらナギが博識だとはいえ、ソウにとっては知らない土地だ。この地方の魔種の生態がわからない以上、簡単な討伐依頼でようすを見たい、というのがあったのだが……。

「ワタシを満足させてみろ!」
 依頼を受けることに対して、黒影からなにも否定意見がなかったことは、ソウ自身も多少いぶかしく思った。そしてその後――一直線に魔物の巣に特攻する姿を、いったい誰が想像できただろうか。
 大太刀を大きく振りまわして、片っ端から魔物の群れを刻んでいく背中は、さながら真っ黒な肉食獣だ。人族は魔種を恐れ、魔種に喰われる側だが、これではどちらが喰う側なのかわからなくなってしまう。

(……にしても、食料の問題は深刻だなぁ)

 ナギの話では〈白の境界線〉は瘴気の霧におおわれているせいで、一帯が白亜化しているらしい。それはすなわち、そこに生息する動植物もまた、瘴気に侵されているということだ。瘴気に侵されているものが食べられるわけもない。つまり、まともな食料を確保できない。

(いちおう、補給地点で食料の補給ができるって話だけど……へたすると、魔種の肉を食うことになるんじゃ……)

 ソウはため息をこぼした。
 手間をかければ瘴気を抜いて食べることは可能らしい、とは聞いたことがあるが、今までにそんな状況はなかった。そもそも、魔種の肉を好んで食べようという者はいない。そんなことをする人間は、よっぽど気が狂った美食家か、物好きか、後先を考えない無謀な馬鹿、というのが、世間の一般的な認識だろう。
 それほどまでに、瘴気は人体に有害だ。
 瘴気濃度の高い空間で活動する、または瘴気をふくむ魔種の攻撃を受けるなど、なんらかの方法で体内に規定値以上の瘴気が入ってしまうと、発熱や倦怠感・呼吸困難など特定の症状が現れる。一般的には、瘴気症と呼ばれている。

 だがもっとも恐ろしいのは〈白亜化〉だ。

 瘴気症を発症すると、早ければ数時間で〈白亜化〉が始まる。末端、あるいは最も瘴気に侵された部分から、白く変色し、やがて全身に広がって死にいたる。そうして死にいたった遺体は、また新たな瘴気を生みだす――この恐ろしい循環が、十数年前に世界を震撼させ、多くの人族を死にいたらしめた感染爆発だ。つい十年前にも青国がこの感染爆発で滅んだのは、記憶に新しい。
 瘴気症は予防と、発症後の初期対応が重要とされるが、当時は有効な薬も手引も確立されていなかったために、各国で暴動や白狩りが発生し、混乱をきわめた。

 いまでは専用の薬も開発され、瘴気症の初期段階で投薬すれば命を落とすにはいたらない。しかし、白亜化だけは、いまだ不治のままだ。白亜化が始まってしまえば最後、その部位を切除することでしか命を救えない。そして、白亜化で死んだ者の遺体は、二次被害を防止するために焼却処分される決まりになっている。

 人々が白を恐れ忌み嫌うのは、ひとえに魔種の姿を想像しているからではない。
 白い死が、身近にあるからだ。

 それは魔狩も例外ではない。
 白亜化で身体の一部を失い前線から退いた魔狩も、白亜化で亡くなった魔狩のことも、ソウは知っている。
 瘴気をまとう魔種を相手にする以上、魔狩は瘴気症、そして白亜化の危険にさらされることになる。そのため、魔狩には瘴気症の特効薬である携帯用緊急注射剤〈ワィトフォーワィト〉が支給されている。それは人さし指ほどの大きさのシリンジで、緊急時にプロテクターを外し、十秒かけて注入するものだ。
(俺はまだ、瘴気症になったことはないけど――……)
 もちろんソウも持っているが、あくまでも緊急用であって、これを使ってしまえば後はない。
「ああ、本当に」
 頭が痛い。ソウは嘆息を重ねて、黒影がとりこぼした魔種らを淡々と斬りふせていた。あっちもこっちも、考えることが多すぎて頭がどうにかなりそうだ。この数分の間で、三回もため息をついてしまった。
「キサマが親玉か!」
 向こうでは、すっかり血に濡れた黒影が、ついぞフライングリザードの親玉と対峙しよう、という頃合いだった。
(俺が前に出ても、黒影にうまく合わせられる自信がない。雷撃は範囲が広いから確実にまきこんでしまう)
 それはもっとも非効率で危険なことだ。

――黒影は強い。
 それは見れば明らかだ。敵を目の前にした胆力。とっさの判断力と行動力。命を狩り落とす太刀筋。いずれも、自分(ソウ)とは比べものにならない。
 だが決定的に欠けているものがある。
 それは他者の命の保護だ。それどころか、自分の命すら投げだしているのではないか、と思うような戦い方が垣間見える。
 結果的にソウがナギを護衛する位置に落ち着いたのは、ごく自然な流れだった。

 ソウ自身は、もともと単独で仕事をこなすことが多く、他者をかばいながら戦うのは不慣れだ。むろん、そんな言いわけをしていられない状況だということも理解している。ここはひとつ、戦い方の幅が広がると前向きにとらえることにして、ソウは戦いの中で思考と実践をくりかえしていた。
「いい練習だけど、数が多いなぁ」
「ソウさん!」
 おもむろにぼやいたとき、ナギの声が鋭く響いた。その指先は、ソウの後ろを示している。
「もう」
 ソウは片足を軸に、そのまま蹴りおとした。
 黒影は戦いを楽しんでいるようだが、ソウはその心情がまるで理解できなかった。
 戦いはあくまでも仕事であり、危険な作業でしかない。そんなものに、いったいなんの喜びを見出せるのか。あれほどまでに興奮できるのか。
(理解、できないな)
 流れにそって右の片刃曲刀をくるりと逆手に持ちかえ、地面に伏せたフライングリザードの頭蓋にふりおろす。その瞬間を狙ってきた別の気配を、左手の片刃曲刀で切り裂く。
 視界の端にきらりと光がひらめいた。黒影の大太刀が、森の暗がりから陽斑(ひはん)に抜け、光を鋭く反射したのだろう。ソウは恬然とそれを見あげた。
 頭上から、高く。一直線に振りおろされた太刀筋が、ひときわ大きくいきり立つフライングリザードを、殺した。ふきだすように弾けた鮮血をまきちらしながら、最後の抵抗すらなく、白色は伏す。
 ゆらり、と地面に立ちあがった異様に細い背中へ、遅れて、長い黒髪が重く垂れこめた。血に染まった濡羽色の髪は、不気味なほどに艶やかだ。
 大太刀の血をひとつはらう。黒影は、ソウの視界のずっと向こうで、ひとり血の雨を見あげた。
「このていどか。つまらん」
 尖った横顔は、小さく言葉をこぼすだけにとどまった。 

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