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勇者が来りて

 我が家の惨状は、それこそ手の施しようがないところまでいってしまった。
 今までは、とりあえず存在するだけで大した害はなかった。多少生臭くなったり、まな板を占拠されたり、頭にとまられたりすることはあったが、まぁ、大したことじゃない。
 だが……恐れていたことではあったが、遂にしゃべる生物が現れてしまった。しかも、一匹じゃなくて二匹……いや、匹じゃなくて個って言ったほうが良いのかもしれないけど。

「困ったなぁ……」

 頭を抱えて呟く。だってそうだろ?
 ゆで卵作ろうとしたら、その中の二つにいきなり手足が生えた上に、顔までついてしゃべるんだぜ?
 しかも、べらんめぇ口調の親父と、ありんすとかいうおかしな口調の女。実際性別があるのかは、この際気にしないでいるけど。
 その二個は俺が寝てようが起きていようが、お構いなしにしゃべり続けるし、ドタバタと動き回る。一度だけ頭にきて冷蔵庫に閉じ込めたんだけど、中からドカドカ扉を叩いてうるさいったらありゃしなかった。

「いやっほー!!」

 人が悩んでいるってのに、親父卵はサバに手綱をつけて乗り回してやがるし……。

「おやおや、気を付けておくんなんしよ」
「てやんでぇ! この程度なんでもねぇや、べらぼうめぇ!!」

 ずいぶん楽しそうにサバを乗り回しているが、俺としては即刻やめていただきたい。サバが動き回れば回るほど、部屋が生臭くなるし、鳥の奴が不機嫌になっていくからだ。現に今だって、目が血走って殺気立ってるし……。

「あぁ、もう……本当に、なんとかしてくれ……」

 頭痛なんて生易しいものじゃないほどの激痛を感じながら呟く。
 俺の平凡な生活と、消えていく貯金に歯止めをかけてくれる存在の登場を切望している。そう、最初のドラゴンが現れた時から出している勇者募集の張り紙。確かにふざけた行為だが、ここまでふざけた現象が続いているのなら、そろそろ現れてもいいはず……。

 ピンポーン

 突然鳴り響くインターホン。
 その音に、俺と同居人たちが一瞬動きを止める。

 ピンポーン

 二度目に響いた時、幻聴じゃないと確信する。
 というか、この部屋にお客さんが来るのっていつぐらいぶりだろうか……。

「はいはい、いま出ますよ」

 そう言いながら、ドアノブに手をかける。
 少しずつ開かれていくドアの隙間から、外の光が差し込んでくる。今日もいい天気なんだなぁ……春って良いもんだ。そんなことを考えながら目の前のドアを開く。そこには、ベージュのスーツに身を包んだ一人の女の子が立っていた。

「あれ……あなたは?」

 若干癖がありそうな髪をポニーテールにし、少し幼そうに見える表情した女の子。大きな目が、緊張しているかのように見開いていた。
 ここまで言っておいてなんだが、俺にはまったく見覚えのない人物だった。

「わ、わたし! 派遣会社ユーロエンダーから来ました、勇者のエリーナ・シオンと申します!」
「勇者って……」

 自己紹介されたけど、言われた会社にも名前にも覚えはない。むしろ、俺に外人のような名前の知り合いはいないし、頼んだ覚えもない。何より勇者って……。

「今回私が派遣されましたのは、外の張り紙にある事柄を迅速かつ早急に解決するべくっ!!」
「ちょ、ちょっと待って!!」

 慌てて止める俺に、エリーナは不思議そうな顔で首をかしげる。
 いきなり現れて張り紙の事に対処するとか、この娘大丈夫か?
 いやだって、春先ってのは、この手の人間が現れることがあるって子供の頃母親に聞かされてたし、おかしな事件が起きることもあるし……。
 もし対処を間違えば、それこそ金銭をむしり取られるような事件に発展しかねない。だからと言って無下に扱えば、逆上して何か危険な事をしかねない。
 この場合、最適な対処法としては話を聞いてあげて、丁重にお帰りいただくのがベストでベターな選択のはず。そうとなれば――

「おじゃましまーす」
「はいどうぞ~って、おい!」

 考えていた俺の横をすり抜け、エリーナは部屋の中に入っていく。一瞬だけ漂ったいい匂いに、ついつい流されそうになる。
 部屋の中に入っていったエリーナは、台所で小さく震えながら固まっていた。

「ちょ、どうした?」
「こ、こんなにも強力なドラゴンを……」
「え、いや、コイツいつも寝てるだけなんだけど……」
「でも、私は負けるわけには!!」

 何か知らないけど、アニメとかゲームのクライマックスシーンみたいになってる。とはいっても、盛り上がってるのはエリーナだけで、ドラゴンは相変わらず寝てるけど。

「私だって勇者の端くれ、ここで退くわけにはいかない!!」
「いや、あの、エリーナさん?」
「大丈夫! 私にお任せください!!」

 何を任せたらいいんだろうか……。
 俺のため息は、エリーナの発する熱気にかき消されてしまった……。

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