19 ワンド地質調査研究所
エヴァン様がラフなシャツスタイルでミンツ子爵令息と話をしています。
「お待たせしました」
ララと私は駆け寄りました。
「大丈夫かい?疲れたらすぐに言うんだよ。特にロゼはまだ本調子じゃないのだから」
私たちはミンツ様が用意してくれた馬車で研究所に向かいました。
「副所長が首を長くして待っていますよ」
そういえばワンド地質調査研究所の所長は私でしたっけ。
地質のことなど何も知らない私を所長にするなど、何を考えているのでしょうね。
到着すると、研究員達が並んで迎えてくれました。
「ようこそ、初めてお目に掛かります。私が副所長のワードナー・ベックです。伯爵家の出身ですが三男ですので今は平民です。ワンド伯爵の研究に惚れこんで結婚もせずここに住み込んでいます」
「はじめまして、ベック様。私はベック・ワンド伯爵が遺子、ローゼリアと申します。父の研究を引き継いで下さり、感謝の言葉もございません。今日は無理なお願いもしておりまして、申し訳ございません」
「いいえ、ワンド伯爵のお嬢様が土に詳しい方だと知って、これほど嬉しいことはありません」
「私は全然詳しくないです。そもそも興味もあまりないのですが」
「そうですか?土の種類が十二だとご存じなだけでも、十分驚嘆に値しますよ」
エヴァン様とララと一緒に応接間に案内され、紅茶をいただきながらジョアンの話をしました。
するとベック副所長がとても嬉しそうに言いました。
「ぜひそのジョアン様にも来ていただきたいですね。きっと喜んでいただけると思います。私も土に関しては同じ道を歩んできましたから断言できますが、ジョアン様の次のご興味は水ですよ」
「水ですか?」
エヴァン様が驚かれました。
「ええ、水です。水によって土は様々な顔を持つのです。土は乾いたものだけではありません。水によって含有する栄養素も変わりますし、棲む虫も変わります」
私とララは呆れた顔でベック副所長を見ていました。
立て板に水のごとく喋り続けるベック副所長を、ミンツ様が止めてくれました。
「副所長、悪い癖が出ています。所長がドン引きしてますよ?」
ベック副所長が頬を赤らめて謝罪されました。
それからはエヴァン様が中心になって、これからの運営方法や管理方法などを話し合いました。
副所長も研究員の皆さんも、研究が続けられるなら何も問題ないということでした。
むしろ専門の統括担当者を派遣してもらえるならありがたいと言われ、エヴァン様と私はホッと胸をなでおろしました。
「こちらがご依頼のものです」
「ありがとうございます。きっとジョアンも喜ぶと思います」
「いつでもご連絡ください。ジョアン様にも質問をお待ちしているとお伝えください。もしも何かの実験に使われるなら、いつでも追加を送りますので」
私たちは十二個に区分けされたガラスケースに収まった、土のサンプルケースを受け取りました。
土の種類が十二しかないということを私に教えてくれたのはジョアンです。
その全てを一度に見ることができるこのサンプルケースが、ジョアンへのお土産です。
その他にも金を含有する岩が砕けた光る砂や、ダイヤモンドができる地層から採掘した土なども見せてもらいました。
そろそろ帰ろうというとき、研究所のエントランスに飾られた父の肖像画を見て、私は胸に迫るものがありました。
「さすがロゼの父上だ。男前なうえに優しい目をしておられる」
「男前ですか?」
「ああ、知性と温和さが滲みでいいるような肖像画だね」
「私の知っている父の顔と少し違うような気がします。父はもっと目が細くて口角がきゅっと上がっていたような?」
「それはロゼを見ているときの顔だろう?満面の笑みってやつだね」
エヴァン様の言葉にベック副所長が同意しました。
「間違いないですね。ワンド所長はとんでもなくローゼリアお嬢様を愛いしておられましたから」
私はベック副所長の言葉に微笑みました。
私を愛してくれたお父様は、死ぬ間際まできっと私のことを考えていたのでしょう。
お父様が私の幸せのために結んでくださったアランとの縁を、自ら断ち切った私は親不孝な娘なのかもしれません。
「何を考えているのかすぐにわかったけど、それは違うよ?君のお父様が願ったのは君の幸せだ。彼とのことは、あの時点で選択できた一番現実的な手段だっただけだよ」
「エヴァン様?」
「義父様、あなたの全てだったローゼリア嬢を、どうか私エヴァン・ドイルに託してください。私の人生を賭けてローゼリア嬢を幸せにすると誓います」
エヴァン様が父の肖像画に最敬礼で言いました。
私は泣きそうになってしまいましたが、私より先にベック副所長が泣き出してしまったので、ララと一緒に宥めました。
研究員の皆さんに別れを告げ、私たちはマナーハウスに帰りました。
長期休暇も残り一週間ですし、エヴァン様もそう長く皇太子殿下の側を離れるわけにはいきません。
全ての手続きを終えたら、王都に来るというハイド子爵の言葉に見送られて、私たちは馬車に乗り込みました。
来るときは一台でしたが、あまりのお土産の多さに急遽ハイド家の馬車を借りることになりました。
朝早くにヤマーダ様がワサビをたくさん届けてくださいました。
このゴツゴツしたものを鮫の皮でおろすそうで、専用のおろし器も入っていました。
清流があれば栽培もできるとのことで、栽培方法のメモまであります。
きっとジョアンに相談すればタウンハウスでも新鮮なワサビを楽しめそうです。