閑話 ある奴隷少女の追憶 その十
『ところでセプトちゃん。その、胸に付けてるブローチ。どうしたの?』
トキヒサ達を待っている間、ふとソーメがそんな事を口にする。私は咄嗟にブローチを手で撫でた。
『そういえば、武器屋に行った時にセンパイが買ってましたっすねぇ! 自分のにしては可愛らしい物だと思ってましたけど、まさかセプトちゃんへのプレゼントだったとは』
『えっ! 何々? その話詳しく!』
ツグミがニヤニヤしながらそうポツリと漏らし、それを聞いて何故かシーメが鼻息荒く詰め寄って少し離れる。……よく見たらソーメも話を聞く態勢に入っている。
時折『おぅっ! そこはかとなく漂うラブ話の気配っす』とか、『やっぱこういうのは乙女の栄養源だよね!』とか聞こえてくる。ソーメも話に合わせてコクコクと頷いているので聞こえているみたい。
よく分からないけど、何だかこのままだとどんどん話が進んでしまいそうなので訂正しなきゃ。
『たまたまシーメ達が身に付けているのと似たブローチに目が留まって、それをトキヒサも気に入って買っただけだよ。それに贈り物ではあるけれど、あくまでトキヒサの物で私は預かっているだけ。付けた方がトキヒサが喜ぶから身に付けているけど。あと魔力を流したら光るから暗い所でもトキヒサの役に立てるし』
『『『へ~。本当に~?』』』
何故かほぼ同時に、三人がこちらを微笑ましいものでも見るみたいに言う。どこにそんな要素があったのだろう?
トキヒサ達が来たのはそれから少ししてからの事だった。
トキヒサとアーメにさっきのレイノルズとの話の内容を聞き、ひとまずレイノルズ達より先にヒースを見つけて連れ戻すという方針が皆の中で決まる。
『“同調”の加護?』
『そっ! 私とお姉ちゃんとソーメが生まれつき持っていた加護。ざっくり言うと、
三手に別れ、ヒースの手がかりを探して私とトキヒサ、ツグミとシーメで以前行ったラーメン屋に向かう途中、シーメからそう聞かされた。
何でも、この町の端から端までくらいであれば姉妹で互いの場所や考えていること、体調なんかが分かるらしい。
羨ましいと思った。そんな力があれば、離れていても
その後ラーメン屋に着いたけど、店のおじさんも今どこに居るのかは知らなかった。
手がかりがなくなってしまったと困り果てるトキヒサやツグミ。だけど、シーメを介してエプリが何かに気づき、一度合流して話し合おうということになった。
そうして店を出ようとした時、
『ちょっと待って下せえ。……こちら、お土産にどうぞ』
おじさんが持たせてくれたのは、ギョウザという蒸かしたパンのようなもの。後でツグミに聞いてみると、中に刻んだ野菜や肉が詰まっているらしい。ホカホカの湯気を立ててとても美味しそうだ。
『うちの常連さんをよろしく頼んます』
そう言って深々と頭を下げるおじさんの姿は、紛れもなく誰かを大切に思うヒトの姿だった。なのに、
『早いとこ見つけないとな』
『……ムグムグ……そうっすね』
『……そうだよね……ムグムグ』
トキヒサはともかくツグミとシーメは早速ギョウザに齧り付いている。二人とも早く見つけに行かないと! それにしても美味しそう。
ちなみに、
『……遅かったわね。それと餃子を私達にも渡しなさい』
『ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、お腹が空いてしまって。すみません』
『ああもう分かった。時間が無いからさっさと食べてしまおう。セプトも遠慮せず食え! 俺も食う!』
『ありがと。トキヒサ』
合流したエプリとソーメ、それにボジョもギョウザを欲しがり、結局皆で食べてから行くことになった。……やっぱりとても美味しかった。
『全員乗ったわね? ……出るわよ』
食べ終わってクラウドシープに乗り込んだ私達は、エプリの推測や教会に向かったアーメの心当たりを頼りに次の場所へ向かう。その途中、
『ゴメン。少しだけ止めてくれエプリ。……すみませんっ! ヒースの情報は何かありましたか?』
『貴方方でしたか。……いいえ。こちらではまだ何も。先ほどからレイノルズ殿の部下の方も探してくれているのですが、あちらもまだ見つけられていないようです』
エプリが今日ヒースを見かけた場所、そこでは何人ものヒトがヒースを探していた。これだけでもヒースがいかに多くのヒトから気に掛けられているかが分かる。
私が仮に居なくなったとしても、身を案じて探すヒトはそうはいないだろう。もしかしたらトキヒサは優しいから探すかもしれないけど、やはりそれくらいだろう。
だって……私は、ただの奴隷なのだから。
『…………あっ! うんうん……今着いた。そっちは…………分かった。引き続きよろしくね』
『シーメ。向こうはどうだって?』
『先に着いて探しているけどまだ見つかってないって。まあ簡単に見つかれば苦労はないんだけどね』
私とトキヒサとシーメ、エプリとソーメとツグミの二手に別れ、アーメの調べてくれた場所に到着。そこは倉庫のような建物が集まった場所で、ヒトもほとんど居ない場所だった。
早速シーメがエプリ達と連絡を取るけれど、向こうもまだ見つけられないでいるらしい。
そしてこちらはこちらでヒース探しを始めたものの、一向にその姿は見当たらない。
『確かにエプリの言った条件に当てはまっているけど、どういった場所なんだろうな?』
『ここらは通称物置通りって言ってね、確かテローエ男爵って貴族様が管理してるって前お姉ちゃんから聞いたよ。金を払うと一時的に物を預かってくれるんだって。……話によると後ろ暗い物なんかもあるってさ』
そんな雑談を交えながら、月が隠れてすっかり暗くなった場所を、明かりをつけてヒースの名を呼び掛けながら探す私達。その途中、
『ヒースや~い! 近くに居るなら出てこ~い! こらっ! 聞いてんのか良いとこのボンボ~ン』
『ボンボ~ン』
トキヒサが言うには、金持ちの親に甘やかされて育ったヒトをそう言うらしい。甘やかされたかはともかく、意外と語呂が良いのでつい私もそう呼んでしまう。
いくら何でもそれは不敬じゃないかとシーメが窘めるけど、
『良いんだよこれくらい。ヒースの為にどれだけ皆心配しているかって話だよ。むしろガツンと言ってやんなきゃ分かんないんだって』
なるほどとトキヒサの言葉にそう思った。私とは違って、ヒースはあれだけ多くのヒトに自分が気遣われていることを知るべきだ。
だけど……トキヒサにもそれは当てはまるのじゃないかと少し思う。トキヒサが居なくなったら、少なくともエプリやボジョ、ジューネ、アシュ、ツグミ、それに当然私も探すだろう。なのでその点を踏まえてじっと見たら、トキヒサはあからさまに顔を背けて知らないフリをしていた。
それからはシーメも気が変わったのか興が乗ったのか、
『ヒース様~。ボンボン様~。居るなら早く出てきてくださいよ~! 出てこないと以前エリゼ院長から聞いた恥ずかしい話をペラペラ喋っちゃいますよ~!』
なんてことを言いながらにんまり笑っていた。それなりに敬っているのは態度から分かっていたけど、それでも普段から溜まっていたものはあったらしい。とても楽しそうだ。
そして遂に、
『ボンボ~ン』
『ボンボ~ン!』
『ボンボボ~ンのボ~ン!』
『やかましいわこの野郎っ!!』
呼びかけにやっと反応があった。良かった! ここに居た! そう思ったのに、そこに建物の一つから現れたのはヒースではなくボンボーンという別人だった。
『さっきから黙って聞いていれば、ぶっ飛ばされただのお漏らしだのと何言ってやがんだこのチビが!』
トキヒサに詰め寄る怒り狂うボンボーン。危ないっ!? このままじゃトキヒサが殴られてしまうと前に出ようとしたが、
『待って。今出ると余計ややこしくなりそう。ここはトッキーに任せようね』
そっとシーメが私の肩に手を置いて引き留めてきた。確かに私が戦ったら、場合によってはトキヒサに迷惑がかかるかもしれない。
本当にトキヒサが危ないと思ったら飛び出すつもりだけど、ここはトキヒサの実力を見守ろう。
『おい。どうしたよ!』
『なんだなんだそのガキ共は?』
ボンボーンが出てきたのと同じ建物から、別の二人が出てきた。
やっぱり私も加勢した方が良いかもしれない。
『外が騒がしいと思ったら、どうしたよボンボーン?』
『お前らか。このガキ共に今からちいっとヤキを入れてやろうと思ってな。さっさと済ませるからそっちは戻んな』
『ヒヒッ。良いねぇ。酒も切れて退屈していた所だ。俺も混ぜろよ』
新しくやってきた二人。どちらもまた明らかにこちらに好意を持っているとは言い難い雰囲気のヒト達だった。トキヒサとソーメが何とか弁解しようとするも、話を聞いてくれる感じじゃない。
『トキヒサ。このヒト達、やっつける?』
私はトキヒサとシーメにだけ聞こえるよう小さな声で話しかける。
身体の調子もほぼ万全。毎日練習もしているので、精密さに関して言えば以前よりも上がっていると思う。トキヒサはヒトを殺すことを嫌うみたいなので、死なないように急所を避けて腕や足の関節を狙えば良いかな?
『待てってセプト。こういう時は話し合いで解決しないと』
だけどやはりトキヒサは優しいから、あくまで話し合いで解決しようとする。シーメはどう転んでも大丈夫なようにこっそり身構えているみたい。
このまま戦いになるかと思った時、相手の一人が許してやっても良いと言ってきた。トキヒサは安心したように顔をほころばすけど、その男の表情に近いものを私は見たことがある。クラウンがわざと奴隷に失敗させて相手を苛めようとする時と似た顔だ。
『その代わり、そっちも誠意って奴を見せてもらわねえとなぁ。なぁに簡単なことだ。……そっちのオンナ二人を置いていきな』
『…………へっ!?』
トキヒサは今の言葉が上手く伝わらなかったように呆けた顔をして聞き返す。
シーメは私を庇うように手で制しながら一歩下がり、私もより一層影に魔力を込めてもう今にも荒れ狂いそうなほど。
どういう目的で私とシーメを置いて行けと言ったのかはよく分からないけれど、私は
だけど向こうは既に決まったことだと言わんばかり。男の一人がなにやらクラウンとはまた違う気持ちの悪い笑みを浮かべながらこちらに手を伸ばし、
『何のつもりだボンボーン?』
『そりゃあこっちの言葉だ。舐められたらその分ぶちのめすのは当然だが、ガキに手を付ける程日照っちゃあいねえ。……ほどほどにぶちのめして追っ払うつもりだったが、気が変わった。おいガキ共。さっさと行け。今回は見逃してやる』
そこで何故か最初に出てきたボンボーンが横から他の男を止める。どうやら向こうも一枚岩じゃないみたい。そして、
『黙って聞いていたら無茶苦茶言って、いい加減にしろよっ!!』
歩み寄ったトキヒサの一撃が、男の一人の顎に綺麗に入ってそのまま打ち倒した。まさか最初に動くのがトキヒサだとは思っていなかったので、私も少しだけ驚いて揺らめいていた影が収まる。
『こっちはちゃんと謝るつもりだったんだ。殴られるくらいは仕方ないと思ったし、多少であれば金を払っても良いと思ったさ。けどな……仲間を、しかも美少女を身代わりに差し出せなんてこと言われて、黙ってられるわけないだろうがっ!!』
仲間……か。多分だけど、トキヒサの中ではそれは私も含まれている。トキヒサはそういうヒトだと思うから。だけど私はあくまで奴隷。いざとなったら真っ先に見捨ててほしいと思う。
だから、トキヒサが私の事を含めてそう言ったことに、今一瞬だけ胸の奥底がドクンと弾んだのは良くない事なのだろう。
その後ボンボーンは何故か戦おうとせず、残ったもう一人が逆上してナイフを出してトキヒサに襲い掛かろうとした。
だけど、私やシーメが割って入って防ごうとしたその瞬間、まるで風のように何者かが男の首筋を叩いて気絶させる。そこに現れたのは、
『さっきから騒がしいと思ったら、どうしてお前達がここに居る?』
『アシュさ……って今度はお前かよヒースっ!』
探していた人物である、都市長の息子ヒース・ライネルだった。